回顧録「いつか見た映画 1954」1『オズの魔法使』 | やりすぎ限界映画入門

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ダイナマイト・ボンバー・ギャル @ パスタ功次郎

■「やりすぎ限界映画工房」
■「自称 “本物” のエド・ウッド」


■『オズの魔法使』
やりすぎ限界映画:☆☆☆☆★★★[95]

1939年/アメリカ映画/102分
監督:ヴィクター・ フレミング
出演:ジュディ・ガーランド/バート・ラー/ジャック・ヘイリー/レイ・ボルジャー/ビリー・バーク/マーガレット・ハミルトン/チャーリー・グレープウィン

■1954年 劇場公開作品 1本目

「ミュージカル映画」「NG」の僕が「かなり」「泣かし」に追い込まれた。何でこんなに泣かすのか? 完全「非現実」「ファンタジー映画」なのに、恐るべき「泣かし」に追い込まれたのは、歌ってない部分の恐るべき極限のくそリアリズムが「これでもか」だったからかもしれない。

ガルチさんがトートーを殺すとさらって行くが、逃げてきて「助かる」とこ。トートーがソーセージを勝手に食べても、マーベル教授が「怒らない」こと。「よく見えんが 泣いておる」「手で心臓を押さえておる ベッドに倒れたぞ」と、「嘘」かもしれない、「家出を止める」マーベル教授の「やさしさ」。

オズの国に行って、「脳みそを貰えなくても 君のお供をするよ」「僕もお供をするよ 心がもらえなくてもね」と言う、カカシとブリキ男のドロシーへの「無償の愛」「やさしさ」。「エム叔母さんは 優しい人だったわ 家出した事を謝りたかった 叔母さんは病気なの きっと死んでしまうわ」なドロシーの「やさしさ」。「トートーが戻って来た ドロシーの所に 案内してくれるんだ」と、犬のトートーまでが「やさしさ」で恐るべき「泣かし」を見せる。

「もっと」「やさしさ」が「これでもか」な話で溢れるが、「オズの魔法使い」が「ペテン師」「嘘」だった「オチ」まで「泣かし」に追い込む。カカシの「脳みそ」、ライオンの「勇気」、ブリキ男の「心」に、恐るべき「教え」を説いた「オチ」にビビって「泣きながら」震え上がってしまった。

「超有名」な『虹の彼方に』 “Over The Rainbow” を聴くとなぜか「涙」が出た。『ユー・ガット・メール』を思い出したからかもしれない。“Over The Rainbow” が全世界でカバーされた音楽である「怖さ」にも「震撼」「驚愕」「圧倒」「尊敬」「絶句」しかなかった。

「超てきとう」「超不真面目」「超いい加減」に映画を見てきたことを「また」思い知ったのは、「ヴィクター・ フレミング監督」の名前を「どこかで聞いたことある」と思ったが、『風と共に去りぬ』の監督だと「知らなかった」、「忘れてた」ことに「はうあ!!!」 眠気が覚めて「血のしょんべん」が出そうになった。恐るべき「泣かし」の理由を納得した。

人間が寝てる時に見る「夢」は「記憶の整理」という話を聞くが、『オズの魔法使』に恐るべき極限のくそリアリズムを感じたのは、ドロシーの見た「夢」が「記憶の整理」に見えたからかもしれない。「現実」と「夢」の状況で「かなり」重なる部分が多かったことが、完全「非現実」「ファンタジー映画」のように見せながら、実は恐るべき「共感」できる「現実」を見せてたことにも「震撼」「驚愕」「圧倒」「尊敬」「絶句」。

「おうちが一番」だという「教え」を、北の魔女グリンダは「自分で気付くべき事よ」と、ドロシーに冒険させて気づかせた。家族の「無償の愛」を超える「幸せ」がこの世にないことを思い知らせた話が「かなり」「効いた」。オズの国との「別れ」の「泣かし」も「凄かった」。

「戦前」の「カラー映画」であることを「今頃」思い知った。「SFX」も「CG」もない「1939年」に「竜巻」や、恐るべき「極限の美」の「美術」「セット」を「カラー映画」で見せたことにも「震撼」「驚愕」「圧倒」「尊敬」「絶句」。「ドロシー」「ジュディ・ガーランド」と「北の魔女グリンダ」「ビリー・バーク」が恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” だと「今頃」、今まで「知らなかった」ことにも、「反省」「懺悔」「償い」しかなかった。




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画像 2020年 12月