■『ソナチネ』
やりすぎ限界映画:☆☆☆☆★★★[95]
1993年/日本映画/93分
監督:北野武
出演:ビートたけし/国舞亜矢/渡辺哲/勝村政信/寺島進/矢島健一
[ネタバレ注意!]※見終わった人が読んで下さい。
■やりすぎ限界男優賞:ビートたけし
■やりすぎ限界男優賞:矢島健一
■やりすぎ限界女優賞:国舞亜矢
[北野武監督第4作目]
「見て理解できなかったらどうしよう…」。『あの夏、いちばん静かな海。』が全く理解できなかった僕は怖くて『ソナチネ』を見に行けなかった。「世界が評価するものが理解できない」現実から逃げられない。ミニ・シアターブームで『トラスト・ミー』『ハモン・ハモン』のような単館上映の映画が多く公開された時代。『ソナチネ』が日本よりフランスで評価されてる噂はすぐ聞こえてきた。またタランティーノが「深作欣二監督をリスペクト」した『レザボア・ドッグス』がさらに僕を追いつめた。
[北野武と淀川長治]
■「僕は「激突」見て、「ジョーズ」見て、この監督は映画の面白さ、楽しさ、そういう大衆へのサービスの天才だと思ってたの。ところが、これ見たら、映画全体になんともしれん野心がいっぱいでいやになっちゃった。オリバー・ストーンだけがバイ菌だと思ってたら、こんな大きなバイ菌がいたのね」
■「僕、たけしが本当に映画を知ってることに驚いちゃった。キャメラの位置とかそういうのもうまいんだけど、どういうのかしら、映画なんだね」
(『おしゃべりな映画館③』より)
怖くて『ソナチネ』を見に行かなかった僕は1年後に出版された『おしゃべりな映画館③』を読んで大きい方が出る寸前となった。アカデミー最優秀作品賞『シンドラーのリスト』は「バイ菌」で『ソナチネ』は「本当に映画を知ってる」なのだ。…「怖い」。理解できない人間は「映画監督になれない」恐怖に追いつめられた。
[瞬間の感覚]
■「この映画で、僕が愛するシーンが二つあるの。一つは、裏切り者をクレーンにぶら下げて、海の中に沈めたり上げたりするとこ。放りこんでは引っぱるいう構図がいいし、見せ方がうまいの。水に沈めて一分二分三分、もう死んだか思って上げると、まだわめいてる。「やめてくださいよー、やめてくださいよー」。死なないからもう一回やろうかって降ろす。一分二分三分、シーンとした水面を映すの、「もう死んだかな、あとは頼むわ」。耳切ったりするよりずっと残酷でこわいし、ショックの見せ方がうまいもの」
(『おしゃべりな映画館③』より)
1997年にWOWOWで放映された『淀川長治、北野映画を語る』の『その男、凶暴につき』『キッズ・リターン』でも淀川先生は北野監督の「瞬間の感覚」を賛美してる。僕はこの歳になるまで見えなかった。
自分で映画を監督すれば痛感できるが、観客に自分が何を考えて撮ったかをちゃんと伝えることがまず難しい。「本当に走らなければ走ってるように見えない」「本当に殴らなければ殴ってるように見えない」からだ。初めて撮った映画で自分の思考を100%伝える難しさは学生映画を見ればわかる。
北野監督が “狂気の天才” なのは『その男、凶暴につき』から「初めて撮ったように見えない」からだ。淀川先生が言う「瞬間の感覚」は北野映画全作品に研ぎ澄まされてる。『その男、凶暴につき』では冒頭の浮浪者のシーンからラストの白竜がナイフで刺すシーンまで、「瞬間の感覚」=「ショック」の見せ場の連続だ。観客に「怖い」ものを「怖い」と正確に伝える “狂気の天才”。淀川先生は北野監督の「瞬間の感覚」を「贅沢」とまで賛美した。
■『その男、凶暴につき』より
■「残酷主義、怖さ、怖さのショック。それがね、本当にね、映画のショックとしてはこんな見事な、ショックの表現があるのか思うくらいうまかったのね」
■「この人はね、容赦なくね、サッと入れてね、サッと感覚出すのね。だらだらだらだら出さないのね。すごいのね、その贅沢さ、残酷さ。パッと終わっちゃうのね。感心したね」
(『淀川長治、北野映画を語る』『その男、凶暴につき』より)
『ソナチネ』では淀川先生の「クレーンのシーン」に始まり事務所の爆発シーン、飲み屋での銃撃シーン、全編「ショック」の連続だ。「サッと感覚出す」「贅沢さ」。その「緩」と「急」の感覚はもはや “狂気の天才” という言葉以外ない。23歳の僕には何も見えなかった。今はもう怖くて大きい方が出るギリギリだ。
[本物の生きてる人間]
■「もう一つは、沖縄行って沖縄の踊りをするとこ。ヤクザの連中がちょっと照れながら踊ってる。なんともしれんムードがあるのね。荒くれ者が一瞬はあんなふうに子供になるということ、いろいろあるだろうけどヤクザも人間だということ、哀れさが出てるの」
(『おしゃべりな映画館③』より)
■「中野のキンジョウって奴知ってる?」
「え?」
「ほら スーパー強盗入って 立て籠もった奴」
「知らねぇよ」
「ナンバラって暴走族知ってる?」
「お前な 悪い奴ばっかり知っててよ
もっと何かいねぇのかよ?
甲子園出たとか もっとマシな奴よ」
北野映画全作品に共通するのは登場人物全員が「本物の生きてる人間に見える」極限のくそリアリズムだ。淀川先生が見つめる「沖縄の踊り」での「ヤクザも人間」という「哀れさ」「可笑しさ」は北野映画全作品の共通点。人間の「悲劇性」は『ソナチネ』でも一貫される。
淀川先生が好きな「紙相撲」のシーンもだが、「俺はいらねぇ 腹が痛くて飲めねぇ」「煙草持ってます?」など全編隅々まで貫かれた極限のくそリアリズム演出に度肝を抜かれる。今までのヤクザ映画と全く違う新しい視点。僕は「中野のキンジョウって奴知ってる?」という間抜けな会話の生々しさに圧倒された。
[「拳銃を使った人間は幸せになれない」]
■「暴力団を賛美した表現をしたことはなく、拳銃を使った人間は幸せになれないようなシナリオにしている」
(Wikipedia『ビートたけし』より)
■「高橋 お前も行くんだろうな」
「俺はお前 親分の面倒とか
組のまとめとかやんなきゃいけねぇだろ
行きたくたって行けねぇんだよ」
『その男、凶暴につき』から『アウトレイジ ビヨンド』まで北野映画全作品に貫かれた共通点。北野監督のヤクザ映画は「自分が他人にしたことは、いずれ全部自分に返ってくる」を永遠に繰り返す。「人間を殺せば自分も殺される」という「絶対助からない」倫理観に共感する。
北島組の組長と高橋(矢島健一)にハメられた村川(ビートたけし)。組長と高橋が「悪」、村川が「正義」に錯覚して見えるが絶対そんなことはない。ヤクザで人殺しの村川も高橋と同じ「悪」でしかない。「拳銃を使った人間は幸せになれない」最期に納得した。
■『その男、凶暴につき』
■『3-4X10月』
■『あの夏、いちばん静かな海。』
■『ソナチネ』
■『みんな~やってるか!』
■『Kids Return』
■『HANA-BI』
■『菊次郎の夏』
■『BROTHER』
■『Dolls ドールズ』
■[Next]
画像 2014年 12月