高校時代、「自分らしく生きたい」と強くそう思った。それは、おそらく30代まで私は、そう思って生きていた。周りに流されそうな時は、長渕剛の歌を聴き自分を励ました。大学のラグビー部の時は、先輩から飲みに誘われても行きたくない時は、行かなかった。先輩からしたら可愛げのない後輩だった。
相手がどんなに偉い人でも、逆に自分より後輩でも態度を変えて接することがイヤだった。自分とは何か?自分がやりたい事は何か?それを求めていた。
大学を卒業して勤めた会社は、ラグビーがもっとやりたいっていう理由だけで、2週間で辞めたくなり、上司に相談した。当然、親にも上司にも次に行くところが決まってもいないのに、会社を辞める事は反対された。結局半年経たずに会社を辞めて、いわゆるフリーターになりクラブチームでラグビーをする事にした。もちろん、その時々の選択は間違いでは無かったし、そのクラブチームでの仲間との出会いは今でも続いているかげがえのない私の財産だ。
そして、ラグビーをプレヤーとして続けることを終える時に、再び自分のやりたい事を求めた。それが、今の仕事、トレーニングコーチだった。
色んな選手たちやスタッフの方と接する事、あるいは夫として父親として生きること、本を読む事で40代くらいになり気づいた。
「自分らしく生きる」なんて事にこだわらなくても良いことにだ。
解剖学者の養老孟司さんが、こんな事を書いている。
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個性なんて違って当たり前だからこそ、「お前はこういうふうに」「お前にはこれは向かない」と違いを見る目が大事なのに、それが「個性」ですべて崩れてしまった。人がどう見ようが「個性」はあるものだということになってしまいました。「見る目」がないと「個性」なんてないも同じです。
他人のことがわからなくて、どうやって生きられるでしょう。社会は共通性の上に成り立つものです。「個性を持て」というよりも「他人の気持ちをわかるようになれ」というほうが、よいはずです。👈
劇作家の平田オリザさんは、コミュニケーションについてこんなことを言う。
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心からわかりあえることを前提とし、最終目標としてコミュニケーションというものを考えるのか、「いやいや人間はわかりあえない。でもわかりあえない人間同士が、どうにかして共有できる部分を見つけて、それを広げていくことならできるかもしれない」と考えるのか。
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『私とは何か』の中で平野啓一郎さんは、こう書く。
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私という存在は、ポツンと孤独に存在しているわけではない。つねに他者との相互作用の中にある。というより、他者との相互作用の中にしかない
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自分らしく生きるより、他者と折り合いをつけて、生きる方が、断然人生が楽しくなってきた。
人は皆違うっていう当たり前のこと、そして、自分自身も、これが自分だっていう一つのモノではなく、色んな自分がいるって事に、ようやく気がつき出した。
とは言え、若い人には、人生は一度限りだから、思ったように好きように生きた方がいいよって言う自分がいるし、まだまだ自分自身の思いが強く、他人の気持ちを考えられるほどの人間にはなれずいる、52歳のオッサンではあるのだが。