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ムーブメントコーチ ロボラガーのブログ

ムーブメントコーチ(重心移動のスキルを指導)として、高校生や大学生中心にトレーニング指導をしております。現場での試行錯誤を書きたいと思います!

School of movement 認定 マスターコーチ


高校時代、「自分らしく生きたい」と強くそう思った。それは、おそらく30代まで私は、そう思って生きていた。周りに流されそうな時は、長渕剛の歌を聴き自分を励ました。大学のラグビー部の時は、先輩から飲みに誘われても行きたくない時は、行かなかった。先輩からしたら可愛げのない後輩だった。

相手がどんなに偉い人でも、逆に自分より後輩でも態度を変えて接することがイヤだった。自分とは何か?自分がやりたい事は何か?それを求めていた。

大学を卒業して勤めた会社は、ラグビーがもっとやりたいっていう理由だけで、2週間で辞めたくなり、上司に相談した。当然、親にも上司にも次に行くところが決まってもいないのに、会社を辞める事は反対された。結局半年経たずに会社を辞めて、いわゆるフリーターになりクラブチームでラグビーをする事にした。もちろん、その時々の選択は間違いでは無かったし、そのクラブチームでの仲間との出会いは今でも続いているかげがえのない私の財産だ。

そして、ラグビーをプレヤーとして続けることを終える時に、再び自分のやりたい事を求めた。それが、今の仕事、トレーニングコーチだった。

色んな選手たちやスタッフの方と接する事、あるいは夫として父親として生きること、本を読む事で40代くらいになり気づいた。

「自分らしく生きる」なんて事にこだわらなくても良いことにだ。


解剖学者の養老孟司さんが、こんな事を書いている。

👉

個性なんて違って当たり前だからこそ、「お前はこういうふうに」「お前にはこれは向かない」と違いを見る目が大事なのに、それが「個性」ですべて崩れてしまった。人がどう見ようが「個性」はあるものだということになってしまいました。「見る目」がないと「個性」なんてないも同じです。

他人のことがわからなくて、どうやって生きられるでしょう。社会は共通性の上に成り立つものです。「個性を持て」というよりも「他人の気持ちをわかるようになれ」というほうが、よいはずです。👈


劇作家の平田オリザさんは、コミュニケーションについてこんなことを言う。

👉

心からわかりあえることを前提とし、最終目標としてコミュニケーションというものを考えるのか、「いやいや人間はわかりあえない。でもわかりあえない人間同士が、どうにかして共有できる部分を見つけて、それを広げていくことならできるかもしれない」と考えるのか。

👈


『私とは何か』の中で平野啓一郎さんは、こう書く。

👉

私という存在は、ポツンと孤独に存在しているわけではない。つねに他者との相互作用の中にある。というより、他者との相互作用の中にしかない

👈


自分らしく生きるより、他者と折り合いをつけて、生きる方が、断然人生が楽しくなってきた。

人は皆違うっていう当たり前のこと、そして、自分自身も、これが自分だっていう一つのモノではなく、色んな自分がいるって事に、ようやく気がつき出した。

とは言え、若い人には、人生は一度限りだから、思ったように好きように生きた方がいいよって言う自分がいるし、まだまだ自分自身の思いが強く、他人の気持ちを考えられるほどの人間にはなれずいる、52歳のオッサンではあるのだが。

F=ma

=質量×加速度

いわゆる運動方程式ってやつだ。

高校時代に物理で赤点を取り、数学も含めて理系はムリって授業中居眠りばかりしていた私。

この式が、まさかムーブメントコーチにとって、むちゃくちゃ大切になるとは、あの時机に突っ伏して寝ていたバカには知る由もない。

しかし、そんなバカにわかりやすく教えてくれた方がいる。School of movementIES (Introduction to Exercise Science)担当の得原さんだ。ん、英語だけ見てもわからない。そうだった、私は英語の授業中も当時の担任に、毎回のように当てられても答えられず、「森下、またやってないな」と怒られまくっていたのだった。得原さんが教えてくれるのはバイオメカニクスだ。バイオメカニクスとは生体力学と日本語に訳すとなる。


地球上にいる限り、我々は重力の影響を受けている。そう、重力と言えばニュートンだ。

前置きが、とても長くなってしまったが、この運動方程式はニュートンの第二法則と呼ばれているものだ。

F=ma(力=質量×加速度)

言葉にすると、

「物体に力を加えると、その力に比例して物体の加速度が変化する」

んー、私の頭ではよくわからない。

それを、得原さんがこう教えてくれた。

人に例えるのだ。

「外から受けた力に比例して、人は動き(加速度)を変化させる」と。


ん、外から受けた力って何だ。

そうなのだ、これも実はニュートンの第一法則ってやつで説明が出来るのだ。

慣性の法則ってやつだ。慣性の法則は名前くらいは誰でも知っている。

「物体の運動は、外から力を加えない限り変化しない」

これも、得原さんが人に例えてくれた。

「人が動くには、外から何らかの力を受けなければならない」と。

地球上にいる限り、我々は外からの力を受けないと動けないのだ。

では、外からの力とは何ぞや?

外からの力には大きく分けて2つある。

一つが重力で、もうひとつが地面反力だ。

我々は重力と地面反力を得る事で動く事が出来るのだ。


外からの力が大きいほど、人は加速度を変化させる事ができるってことは、言い方を変えたら、地面反力が大きいほど、人は加速度を変化させられるのだ。


F=maの式を変換してみる。

a=F/m

ここで、mの質量を体重として考える。

加速度を上げるには、体重が変わらないなら、地面反力が大きい方がいいのだ。

これが、多くのスポーツ選手が、スクワットやデッドリフトなどをやる一番の理由である。なぜならば、今度はニュートンの第三法則の作用反作用の法則っていうもので説明できるのだ。

作用反作用の法則は、私のような物理が苦手な者でも一番理解しやすい。

「物体がある物体に力を加えると、その物体から同じだけの力が逆方向に返ってくる」

そう、100kgの力で地面を押せば、その反対方向に必ず100kgの力が返ってくるのだ。

この地面を押す力をつけるには、スクワットやデッドリフトはとても効率が良いのだ。


それにしてもニュートンさんは凄い。

この3つの法則のおかげで、私が選手たちに、なぜスクワットをするのかを説得力をもって説明できるのだから。 

ん、これでもスクワットをやる意味がわからないとしたら、あなたはもはや地球上の生物ではないのかもしれない。もはや、自分の説明の下手さを人のせいにしてしまうのである。


こんな私でもゾーンに入ったと感じるプレーがいくつかある。ゾーンとは心理学で言うフローの事で、「完全に熱中したときに経験される、統合的な感覚」の事だと言う。かつて、世界のホームラン王の王貞治さんは、ホームランを量産している時に「ボールが止まって見えた」と言う。

もちろん、私のゾーンなるものは、王さんとは比べるまでもなく、たかだか知れているが、それでも、自分の中の感覚としては、練習でもやった事がないのに、身体が勝手に反応して最高のパフォーマンスが出来た希有な経験だった。ハッキリ覚えているのが3つばかりあるので、それを書きたいと思う。


一つ目が、高校の体育の授業で、大振りあがりという種目のテストの時だ。大振り上がりとは、鉄棒にぶら下がり、前方に脚を大きく振り上げ、その次に戻ってくる勢いを利用して一気に鉄棒の上まで上がるというものだ。いわゆる蹴上がり以上に、これは難しく、本番のテストで成功する生徒はほとんどいなかった。私も、それまでの練習では一回も成功した事ないままテストに臨んだ。しかもテストは文字通り一発勝負。しかし、先生や他の生徒が見守る、なんとも言えない緊張感の中で、私は初めて大振り上がりを成功させる事が出来たのだ。あの時のフワッと身体が浮いて成功した感覚は35年以上経った今でも忘れない。


二つ目は、大学1年の夏合宿の練習試合の時のことだ。大学からラグビーを始めた私は、まだまだど素人レベル。その日の対戦相手は、私のチームよりも強く、だいぶん点差もつけられていた。そんな中、私がフリーでボールをもらい独走状態になった。まさに無我夢中で走る私の右前方から相手が1人迫ってきた。右側から来るので、左斜め前方向に逃げようとした。が、そのまま走ったら捕まりそうなので右に方向を変えようと思い右にステップした次の瞬間、相手も対応してきたので、勝手に身体が左にもう一度ステップを踏み、完璧に相手を抜き去ることができ、そのままゴールラインまでボールを運びトライを取れたのだ。それは相手に全く触らせることなく完璧なステップだった。そんなステップは、それまで全くやった事が無かったのだが、何故か身体が勝手に動いてくれた。結局、ラグビーはその後10年ほどプレーをしたのだが、あの時のステップに勝るものを出来た事はなかった。


さて、三つめの話だ。

これもラグビーでの試合中のことだった。

社会人となった私は、当時クラブ日本一にもなったイワサキクラブという強豪チームに所属していた。そのチームのラグビーフェスティバルで相手は社会人リーグの強豪三洋電機、メンバーは1.5本目くらいなのだが、私のキャリアからしたら雲の上のような存在の人もいた。

そんな中、後半のプレー。ハーフライン付近でボールをもらった私の前に、まさにゴールラインまでの道が確かにあった。私はその道を走るだけで良かったのだ。約50mの独走トライだ。試合後に行われたアフターファンクションでは、相手チームが選んだMVPに選ばれたのだ。社会人になってからは、膝の怪我もありなかなか思ったようなプレーが出来なかった私にとっては、本当に嬉しかったトライとなった。


為末大さんが、ゾーンについてこんな事を書いている。『自分を超える心とからだの使い方』

👉

おそらく重要なのは、夢中状態には「他者の視点がない」ということだと思うんです。ここで強調したいのは他者の視点があるのだけれど、それに頓着しない状態に入れることが大事だと思うんです。他者がそもそもいない観客不在の状態ではゾーンに入れないと僕は思います。数万人の観客の中で自分自身が行為に浸りきっていくのが、スポーツにおけるゾーンとかフローと言われる世界です。

👈


んー、流石為末さん、面白い表現をされる。

夢中状態には「他者の視点がない」と。

確かに、私の上記の経験も、その瞬間は人からどう思われているとか、失敗したらどうしようとか、こんなプレーをしてやるとか、そういったものは一切無かった。行為に浸りきる。

まさに、そんな状態だったように思う。


2週間あまり、新たな仕事の開拓のために、自分自身の強みは何なのか。改めて考えている。

もう、15年以上前のことだが、ずっとお世話になっいた高校野球部の先生が、私にこう言った。

「森下さんの良いところは、謙虚なところですよね」

「いえいえ、単に自信が無いんだと思います」

と即答した。そして、50を超えている今でも、自分に自信など一つもない。おそらく私が、そう思っているせいか、自信満々な人は苦手なくらいである。

とは言え、こうして現実に、就活をして自分の武器は何か、何が自分に出来るのかってことを考えた時には、やっぱり、それは言えた方が良いのだ。ただ、本当に有り難い事に、15年前には出会っていなかったものが、今の私にはあった。

それが、ムーブメントスキルだ。

6年前、偶然にも受講したSchool Of  Movement主催のムーブメントファンダメンタルズ。

School of movement ®リンクschool-of-movement.org


それまで、ずっと試行錯誤していたトレーニングと競技への結びつき。そこへのヒントをたくさん学ぶ事ができた。

もちろん、ムーブメントスキルだけやっていれば良いわけではないし、それとて、今でも選手にどう伝えていくかはトライ&エラーの連続である。

それでも、今、自分の売りは何か?

自分が選手やチームの力になれる事は何かって事を考えれば、考えるほど、それは、ムーブメントスキルを広めることである。と、そう結論に行き着く。SNSのプロフィールにも書いているが、残りの人生、それが私の使命だと思っている。

自信はないけど、「こんなに良いものを、誰かに伝えたくて、伝えたくて仕方がない」。そんな自分がいるのは間違いない。

新規の仕事を探している中で、改めて自分の使命を確認できたこと、本当に有り難い。

メインの指導先を辞めて2週間、18年ぶりに新規の仕事先を求めて営業を始めた。

とは言え、自分の知り合いにお知らせし、何か仕事があったら頼みます!と連絡しているだけなのだが。それでも、いくつか前に進みそうな案件が出てきた。なかには、私が予想をしていなかった方から、私のSNSでの投稿を読んで連絡を頂き、今、動いてくれているのだ。本当に嬉しく有難い。


営業一筋サラリーマンの死んだ親父の飲んで酔っぱった時の口癖が、

「茂、最後は人だぞ!」

だった。が、まだ仕事さえしていなかった学生の息子は、ただただ、親父が毎晩のように、接待や同僚や後輩と飲み、酔っ払って帰ってくるのが、イヤでイヤでたまらなかった。

もっと言えば、サラリーマンだけにはなりたくないと、心に深く刻み込むほどだった。

しかし、特に個人事業主となってから、親父の言葉の意味が、ようやくわかるようになった。20年前に、当てもないのに会社を飛び出した時、人とのご縁で仕事が少しずつ増えていった。

そして、まさに今、私は人との繋がりの大切さを実感している。もちろん、コーチとしての力量が無ければ、仮に人脈を使って仕事を得る事ができても、長くは続かない。

しかし、まず、最初のとっかかりだけは、私のような無名のトレーニングコーチが仕事を得られるとしたら、誰かからのご紹介しかない。


亡くなった中村勘三郎さんが、かつてこんな事を話している。

「人間って、一人で仕事をすることってないですね。たとえ、山の中で黙々と一人で切っていたって、親とか師匠とかの視線を心の中に持っている。ずさんな仕事をすれば、後で仲間に伝わる。


目の前の仕事、それが仮に小さなものでも丁寧に心をこめてやること。それならば、才能も知名度も無い私でも出来ることなのだ。

改めて、それを自分に言い聞かせたい。