北京で働くバーテンダーのカウンターから見える今の北京! -3ページ目

1/∞ keep in touch 温故知新

今日また僕の大好きな人が2人日本に帰ってしまいました。

一人は僕が大学に入学して1番最初に出来た友達で元クラスメートの女の子。

「一緒に単位足んねーよ!」とか言ったり、映画見たり、飯作ったり、髪を切りに行ったり、こっちで成人式を迎えたりした。そんな人。日本に帰って就活するらしい。


もう一人はerがオープンしてからずっと懇意にしてくださったTさん。

お酒の飲み方に自分のスタイルを持ってるすごくスマートな方。

恋愛の話やお酒についての話、色んなお話をさせてもらった。勉強になることもいっぱい有った。


そんな人たちと会えなくなってしまうのはホントに凄く寂しい。


人と人との出会いは1/∞だと思ってる。

色んなきっかけがあるタイミングに作用して出会いが生まれる。


それが、家族であったり、友達であったり、恋人であったり、親の仇だったりするかもしれない。

だから僕は自分の出会ってきた、出会えなったかもしれない人達を大事にしたい。

自分の手の届く範囲で自分の出来る限りのことで。

幸い今の世は僕の知らない間にとても便利になっててメールというものがある。

しかし、どんなに便利になろうとも自分が筆不精では意味がない。これからはもっと筆マメにならなくては…

そして皆とずっと「keep in touch」でいられるように勤めよう!

温故知新、先ずは昔の友達に今日は久しぶりにメールでもしてみようかな。

みんな元気にしてるかな?

コンフェデ杯 突発性愛国心 発作

日本よくやったヽ(^▽^@)ノ

本日未明に行われたコンフェデ杯、日本―ブラジル戦。

私吉田も一日本国民として中国は北京より見守っておりました。

今回はブラジルとは同点にまでもつれ込んだものの、残念ながら得失点差で惜しくも敗退ということらしいのですが、それでもブラジル相手によくぞここまでやってくれたものです!

しかし、今回の好戦もひとえに中村俊介の功績だと言っても過言ではないでしょう!

1点目のロングシュートといい2点目のFKといい。

ブラジル人からしたら目からコーヒー豆の落ちる思いだったに違いありません。


僕はサッカーはまるで詳しくないし、愛国心だって強い方ではないのですが、こういうイベントのときに生まれる突発性愛国心(と言うと何か病名みたいですが)面白いものですね。

2002年ワールドカップ、2004年はオリンピックとサッカーの日中戦の時、2005年今年はデモが有った時などにも例の突発性愛国心による発作を起こして参りましたが、逆に日本(人)が何か悪いことをしたときに時に感じる申し訳無さというのも愛国心の一種と言ってもよいのだろうか?

と、自分に問題提議をしたまま出勤時間が迫っているので今日はここまでです。

でわ、行ってきます。


バーテンダー 距離感 ハリネズミ

改めてバーテンダーという職業について考えて見た。

僕はバーテンダーという仕事をして1年半になる。

営業時間中のバーテンダーの仕事というのは大分すると二つ、接客とお酒を作る事である。

その上で僕が1番大事にしていることは、お客様との距離感である。


というのは、例えば男性と女性のペアでいらしたお客様にペラペラと話しかけに行ってしまってはムードも何も無くなってしまう。そうでなくても仕事の話をしてるとき、その方の内情に大きく関わるような話をしているとき、何はなくともとにかく盛り上がっている時、こういった時僕は極力聞こえていないふりをするし、自分からはなるべく話に口を挟まないようにする。しかし、それでも急に同意、意見を求められた時のために、そして何より注文の際の「すいませーん」という声を聞きこぼさないために、常に耳はそばだてている。


例えばカウンターに5組のお客様が居たとしたら4組の客様がその時何を話しているかの大体の流れは把握できているつもりだ。だから、逆に話題に困っているようなことがあれば、近くに行って「そういえば…」なんて言ってお客様同士で話が盛り上がってきたなという頃合を見計らってスススと引く。まさしく「ヒット・アンド・アウェイ」である。

それと、僕がもう一点気をつけていること、それは接客というのは決してお客様を笑わせる事ではなく、楽しませることである。と思っている。

その結果お客様に笑っていただければそれがもちろんベストである。



Barというのは自殺願望者が死ぬ前に最後による場所だといわれている。

酒を飲んで勢いをつけてから逝こうということだろう。



バータンダーはあまりお客の内情に立ち入ってしまうのは御法度なのだ。

そして、適度な距離感があるから非日常性というものが生まれる。

僕が客なら求めることはそこである。


例えば、僕がBarに行ったとして、ジントニックを頼んだとしよう。

ハッキリ言ってしまえばジントニックなど家庭でも作れるお手軽カクテルの代表例見たいなモノだ。

それでもBarで飲むジントニックはホントにおいしい。

それはひとえにそこのバーテンダーさんの腕前ということもあるかもしれないが、それよりもその『非日常性』に因るものの方が大きいだろう。同じジントニックでも家で野球を見ながらスルメをつまみに飲んだって美味いわけがない。


だから、僕はこれからもその『距離感』を大事にして行こうと思う。

距離を置くことで逆にお客様を大事にするという一見矛盾とも取れるこのハリネズミスタンスが僕なりの最高のお客様のおもてなしの仕方なのだ。

正しい吉田の育て方1

昨日例の週例会議があった。


今回のプレゼンのテーマは前にもここで書いたが「北京における中所得者階級の自家用車保有率の上昇に伴うサービス事業展開」だった。自分のやっているようなプレゼンなど夏休みの自由研究みたいなもので、世の社会人の方にはとてもお見せできるよう代物ではないが、それでも今回は前回オーナーに言われた数点の改善点を自分なりに改善し、1回目に比べるといくらか増しになったと思う。イメージ写真的なものを数点貼り付けて、資料になるグラフも数点、検索して貼り付けた。


けど、それだけでもやっぱりだいぶ違うみたいで内容、資料共にお褒めいただけましたヽ(^▽^@)ノ

そもそも、この吉田という小さな人間は褒められると変に張り切ってしまう。

これからは吉田は褒めて育てましょう(*´∇`*)


というわけで、今日はもう出勤です。

帰ってきたら、またゆっくり更新します。

でわ行って参ります。

お別れ会 背伸び カメレオン

昨日久しぶりに大学の友達と飲んだ。2年前からこっちに語学留学で来てた女の子の友達がそろそろ留学を終え日本に帰るというので、僕は2次会からの参加だったが数人で集まってお別れ会を開いてあげた。


彼女は明るくて喋る事とボンベイサファイアジンの大好きなとても可愛らしい女の子で、年は僕と同じ年。しかも、彼女も僕と同じ「華僑」という、共通点もあり来た当初から仲良くて結構よく皆で一緒に飲みに行ったりしてた。


8人でBarに行きそこで2次会スタート。


恋愛の話や、お互いの結婚観について語ったり、これから先どうしようとか、時間も忘れて朝まで皆で飲んだ。それが、すごく新鮮でとても楽しかった!久しぶりだった。


1年前に今のお店『er』を任されてから僕はずっと背伸びをして生きてきた。うちのお店に来るお客様はほとんどが自分よりも一回りも二回りも、それよりも上のお客様だって沢山居る。だからホント勉強になることは山ほどある。けど一方で店長としてなめられてはいけないと必死だった。最初はホントに毎日緊張しっぱなしだった。毎日が就職活動の面接に行ってるような気分だった。しかもその相手はカウンター70cmを挟んだだけのところにいる。その相手も1人ではない。そもそも、家庭の中に父親という者の存在がなかったから、それ位の年齢の男性の存在自体がほとんど未知との遭遇だった。


なめられてはいけないとただ肩肘を張っているだけはえらそうに見えるだけだし、お酒だって作らなきゃいけない、時には少しでも高いお酒を如何においしいかをちゃんと分かっていただいて売らなきゃいけないからお酒の勉強だっていっぱいしなければならない、そしてまた来てもらわなければならない。自分と同じ年くらいの中国人従業員の管理だってしなくてはならない。


そうして色んな役を演じていくうちに実生活や友達に対しても背伸びした自分を見せようとするようになっていた。例えると自分の本来の色を忘れたカメレオンである。


最近になってようやく少し肩の力を抜いた接客が出切る様になってきたと思う。これは、自分でもすごくいいことだと思っている。その方がお客様だって気軽である。そうして、ようやく自分の色を取り戻せてきている、今日この頃です。



回復 保険 SARS??

え~大変長らくお待たせいたしました。


ワタクシ吉田完全復活でございます!

いまや体温も35,9度となぜか平熱を大きく下回り、動きにもようやく切れが戻ってまいりました。


その間、ご迷惑をおかけした皆様、どうもすみませんでしたm(u_u)m


また、電話やメール等で応援してくださいました皆様、どうもありがとうございました(*´`*)


そして、そのまま死ね!と願ってた皆様には、お前が死ねーψ(`□´)ψと言ってやりたいですね。


今回、改めて保険の重要性というものを感じさせられました。

何せ日本で海外保険に入ってないので、イザ何かあったという時にやっぱり不便ですね。

保険がない場合、診察だけで400元位するんですからね。 (1元≒13円)


昨日もギリギリまで病院に行くかどうか迷いましたがお金を惜しんで結局行きませんでした。

海外保険に入ってない場合でも日本で国民保険にさえ入っていれば、日本で正当な手続きを踏んだ上で差額は返ってくるらしいのですが、それでも今回の場合だと治療費込みで1500元以上はかかるだろうと

自己算出した僕は行かないことを決意しました。


結果的に昨日は行かなくて正解だったのかな?とは思いましたが、やっぱり皆さん海外に行かれる際には保険には入っておきましょう!安心感が違います!咳とか全然してなかったのに正直昨日ちょっとだけSARSかな?とか思ったりしましたからね。


さてこれからお店に出勤です。

行って来ます。

風邪…

今日は週に一回の休日。


なのにどこにも行っていない。


いや、どこにも行けない。


動くのもキツイ(-_-メ)


おかしいなと思って、熱を測ってみたら

38,7度

明日までに治さなければ・・・


今年に入ってもう3回目の風邪。


しかも決まって休みの日に。


ホントについてない(*-゛-)ウーン

週例会議 給料日 そしてやっぱり浪費癖!!

先ずは昨日の週例会議の事後報告から。


なんと、延期になりました!やったーψ(`□´)ψ

昨日は給料日だったので、、その給料精算が大変で間に合わなかったらしい。


それでも昼12時前には起きていたので、この空いた時間を、お店に行って(昼はカフェになってる)自分のパソコンで4時間かけて何とか原稿だけはまとめられた。後は、資料を集めて文章にペタペタ貼ればいいだけ、と言っても実はそっちの方が時間がかかりそうだけど…


今回もプレゼンと言うよりは新事業提案書みたいな感じになってしまった。

テーマは「北京における中所得者階級の自家用車保有率の上昇に伴うサービス事業展開」

また大それたテーマになってしまった。


そして昨日は前述の通り待望の給料日!

自分の悪いクセで、給料が出るとまずナニを買おうかナニに使おうかということばかりを考えてしまう。

自分の考えでは仕事と休暇は対義であると思っている。

では、『仕事』がお金を稼ぐためであるなら、『休暇』は当然それを消費する時であると僕は考える。

そして、こんな事を言ってるうちは僕の浪費癖も治らないであろうと僕は考える。


おやすみなさい。

やって参りました。魔の金曜日…

例の週例会議ですよ。実はこの日に毎週プレゼンしなきゃならないんですよ。

毎週ですよ?しかも、今回はホントに何もしてないし。草案すらないし(-_-;)


とりあえず今日はこのへんで寝とこう、それがいい!

で早めに起きて、テーマ決めて、資料集めて、下書きして、推敲して、プリントアウトする。

これを約3時間ですすればいいだけじゃん(*´∇`*)



ぜってーー無理 Σ(・o・;)

どうしよう(*-゛-)ウーン


なので今日はとりあえず寝ます。

おやすみなさい。

二つの馬鹿 中学高校 もう一つの馬鹿

やらない馬鹿と出来ない馬鹿。それらは何か一つのことを成す時、かたやそれを成すに足る能力を持ちながら何もしない者。かたやそれを成しえるだけの能力を持たない者。それらは往々にして同じことである。なぜならどちらも結果的には何も産出しないからである。
かく言う僕自身が「やらない馬鹿」だったのである。


中学時代、なぜか勉強だけはとにかくよく出来た。授業中だって寝てばっかりいたし、まして家でシコシコと予習復習を繰り返していたなんて事は先ず無い。しかしそれでもテストになると1番ばかりとっていた。数学だけはどうしても勝てないやつがいていつも2番だったけど… そんな感じだったから、中間、期末テストというのが大好きだった。テスト期間中は午前中で帰れる!その分いっぱい遊べる!!そんなことしか考えてなかった。しかも、それで返ってくるテストの成績も良いのだから、そりゃもうテスト期間中なんてホントにゴールデンウィークと同じようなもんだと思っていた。


けど、5だけは1度もとったことが無かった。そりゃそうだ、授業中は寝てる、提出物もろくに出さない。そんな生徒がテストで1位を取ろうが満点を取ろうが先生からしたら5をやる訳にはいかなかったのだろう。

そうこうしてる間に気付けば中学3年になり高校受験シーズンである。その当時の自分夢はホストになること。ホストになってチヤホヤされて40才位で売れなくなってきたら死のう!と、本気で思ってた。ところが、というか当たり前なのだが親に大反対されて高校受験することになった。


さて、どうしようかと思ったときに自分が学校について何も知らないということに気がついた。自分がその当時知っていた学校の名前というのは明治、早稲田、慶応、しかなかった。なぜこの3つなのかは今でも分からない。が、とにかくその時はなぜかこの3校だけは雲のずっと上の方の世界だという漠然としたイメージがあった。


ちなみに今でも覚えているのは学校で受けさせられた模試で安全圏の欄に明治学院大学付属高校という名前を見つけて何じゃこりゃ?と思い、親と一緒に直接電話して「明治大学の系列か何かですか?」みたいな事を聞いた記憶がある。今思うとなんと失礼な事を聞いてしまったのだと深く反省しています_(._.)_


そして迎えた高校受験。もう絶対に勉強なんかしたくなかった自分は大学の付属高校に行こうと思い、某大学の付属高校を2校、押さえで千葉にある付属高校1校と地元の都立高校(そこが自分の母校ともなった都立両国高校、旧府立3中である)を受験した。結果は本命1校と残りのおさえの2校に合格した。


ところがそこで何を思ったのか本命には行かず地元の都立高校に行くことにした。理由は簡単。近かったから。本命は荻窪の方だったし、もう一つの学校は松戸の方だったし、家から通うにはどちらも電車で1時間以上はかかるのだ。かたや地元の都立高校は地元と言うだけあって、自転車で20分くらいで着く。


そして迎えた高校入学。元来より努力もろくにしたことの無い、要領のよさだけで合格してしまった自分のような人間は、本来こういう学校には入るべきではなかったのかも知れない。

そこに集まった学生たちは努力することに一片の惜しみも無く、そしてホントに頭のいい人ばかりだった。だから、自分は勤めて勉強をしない、努力をしないようにした。一見すると自虐的にも取れるこの行為は逆に自分を守ろうとする防御策だったのだ。


もし、一生懸命やって出来なかったら傷づくのは自分だ。それだったらいっそ全くやらない方がいい、というこの馬鹿な矛盾的理論。「出来ない馬鹿」になるよりは「やらない馬鹿」を演じようと思ったのだ。
今思うとホントに愚かだったと思う。皆やらずしては出来なかった筈だったのに。自分と同じだったのに。やるから出来るようになり分かるようになる。それが、あの時は分からなかった。


だから、これからは何でもやる馬鹿になろうと思う。「No action no reaction」これからはこれを念頭に常に置いて生きていこう。