銀座逍遥 鶏つくね鍋とライブ演奏を楽しむ  | 八ヶ岳ゆるふわ日記

八ヶ岳ゆるふわ日記

八ヶ岳南麓大泉と東京を行ったり来たりの毎日。日々のよしなしごとを綴ります。

(新橋(たぶん)「わらじーず・バー)

 

 この日向かったのは銀座。シイタケ友Aさん行きつけの店で裏メニューのつくね鍋を食べよう、という企画である。場所は歌舞伎座のすぐ裏の由。

 

 銀座線銀座駅のホームに降り立つと、さすが銀座、流れてきたメロディは「銀座カンカン娘」だった。

 

 雨にふられてカンカン娘 

  傘もささずに靴まで脱いで

 ままよ銀座は私のジャングル 

  虎やオオカミ怖くはないのよ

 これが銀座のカンカン娘

(はいご一緒に)これが銀座のカンカン娘~

 

 銀座を織り込んだ歌はそれこそ星の数ほどあるが、これが一番好きな曲だ。

 

 記憶に残る私の初銀座は小学校低学年のころ。

 亡母に連れられてソニービルの1階にあった「パブカーディナル」」で量の少ないサンドイッチを食い、その後「007サンダーボール作戦」を観に行った。

 調べてみるとパブカーディナルの開店が1966年、007の日本公開は1965年12月のことだから

おそらく銀座を訪れたのは2年生の終わりの春休みだったのだろう。当時亡母は女盛りの35歳、

開店間もない英国風の店に行ってみたかったのに違いない。

 

 以来60年、私は銀座をウロついたことがない。

 誰かのお供で飲みに行ったり(当時職場で泰明小学校近くのショーパブが流行ったりした)、歌舞伎座に足を運んだりということが散発的にあった位。

 これは東京西北部にお住まいの方ならご理解いただけると思うが、銀座、新橋、六本木からあっち方面へ帰るのはとてつもなくメンドウなのである。

 

 そんなわけでどっちへ行けばどう、という土地鑑が銀座には全くない。

 これが八ヶ岳南麓なら話はカンタン、道はだいたい南北に走っているし、八ヶ岳、甲斐駒、富士山で目指す方向は手に取るように分かる。畢竟銀座は私にとって八ヶ岳南麓以上のジャングル、人外魔境なのである。

 

 地上に出てすぐにグーグルマップをセットしたが、あっち行け、こっち行けと挙動が安定しない。八ヶ岳南麓と違ってそこいらじゅうに通行人がいるのだが田舎モンの見栄が邪魔して聞くことができない。

 ままよと適当に歩いていると、歌舞伎座の前にたどりついた。

 

 

(地獄に仏、乾天の慈雨だよ、これ)

 

 今宵の宴席は歌舞伎座のまんま裏側の焼き鳥割烹「暫亭(しばらくてい)」。

 店にはすでに皆さん勢ぞろいで、まさにつくね鍋を始めんというタイミングであった。

 

(つくねを団子状にして鍋に投下するのだがやらせてもらうと中々難しい)

 

 かけつけ三杯ということでテーブルにあった日本酒をガブ飲みしたが、これが旨い。

 聞けば「作 ZAKU(鈴鹿市・清水清三郎商店)」純米酒とのこと。やっぱり皆さんお目が高い。

 

(本日の優勝トロフィー贈呈役はゴルフ友Bさん)

 

 飲んで食って与太話に興じた後、これまたAさん行きつけの新橋のバーに向かった。

 

(現役時代「階を間違えて違う店に入ったがそこが気に入って常連になった」という話を何度か耳にしたがそれもむべなるかな 「おだまり」という店が気になるが目指すは8階)

 

 バーの名前は「わらじーず・バー」。

 ダンディなマスターによると店名は「二束のわらじ」から来ているそうだが、酔っぱらっていたせいでそれ以上は失念した。

 

(店の常連だったという松本ちえこさんの遺影が飾られていた)

 

 カウンターのみのこじんまりした店内にマスターと女性が一人というよくあるバーだが、なんとここでライブをやるのだという。

 エラいなつっこいお客さんだな~、と思ったお二人は本日の演奏者で時間が来るとカウンターの向こうに陣取ってやおらライブを始めた。

 

ギター:晩年の谷村新司にジュリーと車だん吉をホンの少しトッピングしたような感じ

管楽器:菅原洋一と坂本龍一を52:48でブレンドしたような感じ

 

 上手い。

 演奏がいい、声がいい、そして時折交える口笛が切なく、美しい。

 

 音楽やお芝居の世界でのし上がるにはさ、実力だけでなく、運が絶対に必要なんだよね~、そんな思いにボンヤリ浸っていると、野太いビートが店内に響き渡った。

 

 ドゥンドゥンズビズビバババヤ~

 オデェリイオ~

 ドゥンドゥンズビズビバババヤ~

 ラリーフラレ~

 

 懐かしいサントリーオールドのCMソングである。私が小学生の頃のCMソングのはずだから、耳にするのはそれこそ50年以上ぶりだ。

 

 男がいる

 女がいる

 出会いがある

 別れがある

 

 確かそんなナレーションがかぶったはず。

 後で調べてみると、曲は「夜が来る」。小林亜星作曲でCM放映は1968年のこと。

 

 この曲は子供の私に何故かよく沁みた。

 大人になるって、きっと辛くて切ないものなんだろうなあ、そんなことを感じたのをよく覚えている。

 

 8000曲にのぼるという小林作品の中でも、この曲と、

 明治チェルシー(忘れかけていた幸せ あなたに~も分けてあげたい) 

 積水ハウス(あの街にあの家に心は帰る~)

が白眉だろう。

(積水ハウスは7年前のブログにも登場した好きな曲)

 

 東京にはいったいどれだけのバーがあるのだろう。

 そんな中でいい店に出会えるのは縁である。

 そして、人との出会いも、いい曲との出会いも全て縁のなせる業だ。

 

 今日もいい一日。うつらうつらそんなことを考えていたらいつの間にか吉祥寺駅を乗り越すところだった。