八ヶ岳ゆるふわ日記

八ヶ岳ゆるふわ日記

八ヶ岳南麓大泉と東京を行ったり来たりの毎日。日々のよしなしごとを綴ります。


(カントリークラブグリーンバレイ(韮崎)より鳳凰三山を望む 標高800mと丘の公園清里ゴルフコースより400mほど低いが風が冷たかった)

 

 1週間の八ヶ岳南麓滞在中はとにかくよく食った。振り返ってみると、

木曜昼 「魚ZENZOW」で塩サバと刺身の定食(ご飯お代わり)

  夜 腹が苦しくて東京から持参した餃子と枝豆で済ます

金曜昼 丘の公園清里ゴルフコース天玉そば(海老2本)、無料ゆで卵2個

  夜 春巻と高級ワイン

土曜昼 納豆とみそ汁、大根おろしで家ごはん

  夜 家で新年会兼祝賀会 キムチチゲ、刺身など

日曜昼 八ヶ岳教会でハヤシライス

  夜 「心粋」で新年会 焼き鳥、餃子、ぺペロンうどんなど

月曜昼 「萌木の村ROCK」でカツカレー

  夜 塩鮭2切れ、納豆、みそ汁で家ごはん

火曜昼 グリーンバレイでカツカレー

  夜 Aさんを連行して残り物総ざらい キムチうどん、焼きちくわ、玉ねぎサラダ

水曜昼 「レストハウス八ヶ岳」で海老フライ3本づけ 東京へ

 

 

(食い過ぎで顔がゴルフ友Aさんの倍くらいになった)

 

 飽食の時代とはいえ、こんなに食って痩せようという了見が間違っている。

 東京に戻る日には「バックハウスインノ」のパンをどっさり買い、さらに「スコヤコーヒー」で豆を買った。

 

(100g×4パック 池井戸潤の本は豆を挽いてもらっている間に書架にあったものをパラパラみたら面白そうだったのでマスターに無理を言って貸していただいた)

 

 まあ食えるうちは大丈夫だというから、今年もどうにか生きさらばえるのだろう。

 まずはめでたし、めでたし。

(レトルト出すよじゃ味も終わりね カリーマイラブ so sweet ・・・)

 

 八ヶ岳南麓でたまたま単身生活中のブログ友 nobu さんと「寒いほどお得フェア」に乗っかってどこぞでメシを食おうということになった。

 

 2002年に地域振興の一環として始まった「寒いほど・・・」は、私が家を建てた2015年(この前年の2014年には八ヶ岳南麓は未曾有の大雪に見舞われ、北杜市では2人死者がでた)には飲食店の参加数が75店舗にまで発展していた。

 ところが現在では衰退の一途で、今年の飲食店参加数は25店舗にまで減っている。その主な要因は、

・割引率が最大50%から30%に圧縮されたこと(2022年~)

・参加店舗の中に次第に「寒いほど限定特別メニュー」を出す店が増えたこと

 つまり消費者サイドの効用が失われていくとともに参加店舗の集客効果も減衰していったのだろう。

 

 そんな25店舗のなかからああでもないこうでもないと厳正な審査をくぐりぬけたのが「萌木の村ROCK」である。

 

 私はケチなくせに食い意地が張っていて、しかも性根が捻じ曲がっている。

 そんな性格だから、「安くて不味いもの(例えば立ち食い蕎麦のカレー)」は許容できるし、「高くて旨いもの(たとえば「ヴィラアフガン」)もまあ構わないが、決して許せないのが「高くて不味いもの」。

 

 それがROCKのカレーに対する私の評価だ。

 初めて、そして最後にROCKのカレーを食ったのは2018年のこと。あれから7年、味は少しは良くなったのだろうか。

 

(1100開店直後のひっそりとしたROCK)

 

(この日の割引率は20%)

 

 店で待ち合わせた nobu さんと仲良くカツカレーを注文した。

 果たしてROCKのカツカレーは八ヶ岳南麓の強豪連に伍することができるだろうか。

 

 萌木の村の現駐車場辺りに喫茶店「ROCK」が誕生したのは1971年のこと。

 その後空前の清里ブームに乗ったROCKは当時売上が1日100万円を超えていたそうだ(創業者の舩木さん談)。

 

(創業時のROCK 「ROCK MAGAZINE」より)

 

 

(当時のカレーは素朴な感じで実に旨そう 同上)

 

 ROCKの豹変(←私の勝手な評価)は2016年の火事が発端となった。

 再建なったROCKはレトルトカレーを販売するなどコマーシャリズム路線をひた走ることになる。

 

(2017年に当時27歳の三上さん(現鰻の名店「風に吹かれて」オーナー)が総支配人に就任 彼の若さとセンスがROCKの大企業化に拍車をかけたはず 同上)

 

 待つこと15分、カツカレーがやってきた。

 

 

 一見してカツがショボい。南麓ご三家の3分の2程度のサイズである。一方つけ合わせは凄い量で「最高地点」の1000倍、「一休」の1.5倍はありそう。

 肝心のカレーの味はどうだろう。

 スパイシーな味わいは業務用カレーの連中とは一線を画している。単なる偶然だが「最高地点」のカレーとよく似た味わいだ。

 

 お値段はというと20%引きで1560円、正価は1950円と断トツに高い。

 これでは「高くて不味い」という評価は揺らがない。残念~

(日本基督教団八ヶ岳教会の礼拝では当日の説教の概要が配布される)

 

「明日カレーの日ですけど教会行きますか」

 ゴルフ友のAさんからお誘いがあった。

「う~ん、山本牧師の説教は聴きたいですけどカレー目当てだと思われるのがなあ」

「いまさら気にしても皆さんそう思ってますから」

 

 じゃあいいか。

 当日Aさんご夫妻のクルマで日本基督教団八ヶ岳教会へ。

 出迎えてくれた山本牧師はいつもながらお元気そうだ。

「ゆるふわさんお久しぶり。カレーを遠慮なくたくさん召し上がってください」

 ありがとうございます。

 

(配布物の末尾には「どなたでも遠慮なく」と明記されていた)

 

 山本牧師のお墨付きを頂戴したのだから鬼に金棒、さっそく集会所へ侵入してどれどれとカレーの製造過程を検分した。

「すみません、今日はカレーじゃなくてハヤシライスなんです」

 

 いいともさ。

 罪を憎んで人を憎まず。この愛と信仰の殿堂で誰がそんなことに目くじら立てるというのか。

 

(厨房いっぱいに甘酸っぱい香りが漂っていた)

 

 子供のころは給食なんかにも結構登場したハヤシライスだが、ここんとこついぞ見かけなくなった。子供の少ない八ヶ岳南麓ではもはや絶滅しているのではないだろうか。

 

 山本牧師の説教、今日のテーマは「福音」の本義について。

 魂の底から紡ぎ出すような牧師の言葉が心の襞に沁み入ってくる。

 私は牧師の説教に触れるたびに空也上人像を思い出す。

 

(空也上人立像 上人が唱えた称名「南無阿弥陀仏」が仏となったさまを描いたもの(六波羅蜜寺所蔵)

 

 心のデトックスを済ませた後はお待ちかねのハヤシライスの時間だ。図々しくも山本牧師の前に座らさせていただいてハヤシライスのご相伴に預かった。

 

 

 

 旨い。幼かった頃を思い出すなんとも懐かしい味である。

 

 牧師との歓談は森羅万象を巡りいつしか性差にたどりついた。

「将棋の世界で女性が活躍していないのはプレーヤー数が少ないせいですかね」

「違います。脳の構造が違うからです(きっぱり)」

 

 男女の脳は数万年かけてその役割に応じて進化してきた。すなわち、

 男の脳=食い物をゲットするために集中する

 女の脳=子育てのため周囲のリスク要素をまんべんなく観察する

となっている。

 

(「話を聞かない男地図が読めない女」より まあ当たってるでしょ)

 

 将棋やチェスは究極のアルゴリズムゲームで、一流プロは瞬時に1万手を読むのだという。こういう作業には男の脳が圧倒的に向いている。

 つい先日「女流棋士(=女性だけのプロ団体)」西山朋佳さんが藤井聡太7冠らが所属する「プロ棋士」への特別編入試験に臨んだが、残念ながら史上初の女性プロ棋士には届かなかった(注:「プロ棋士」は女性にも門戸を開いているが育成組織である奨励会の激烈な競争を勝ち抜いてプロになった女性はこれまで皆無である)。

 ちなみに囲碁もアルゴリズムゲームではあるが、アルゴリズム(=読みの力)だけでなく未来の世界を画像的にイメージできることが戦いに有利に作用する面があるらしい。

 そんなわけで囲碁の場合は男女の棋力が将棋よりは拮抗しているが、それでも3大タイトル(棋聖、名人、本因坊)はもちろんそのリーグ戦にもこれまで女性棋士は手が届いていない。

 

(プロ棋士編入試験5番勝負より ここまで西山女流3冠は2勝2敗、最終戦の対柵木幹太4段戦に勝てば史上初の女性プロ棋士が誕生するところだった) 

 

「ふ~んそうなんですか」

「そうなんです。我々はテレビに夢中になると他の音が耳に入りませんけど、女性はテレビ見ながら子供の様子を見つつ電話で受け答えして鍋の噴きこぼれを見張っていられるんです」

「なるほどねえ」 

 いつも説教していただく山本牧師にエラそうに話すのってちょっといい気分。

 

 そうこうするとAさんの奥様が息せききらしてやってきた。

「グッドニュースです。4月3日のカレーの日にね、前おいしいっておっしゃってたタイカレーが食べれますよ。えへん、当番の〇〇さんに私がお願いしました」

(前回食ったのは2023年8月のこと)

 

「うわ~、ありがとうございます。・・・それで3月は」

「さあ、そこまでは(図々しいヤッちゃな~)」

 

 まあいいか。

 次は3月末に八ヶ岳南麓に来て4月4日に帰ればレシートもゲットできて、カレーも食えるわけだ。

(北岳方面は雲の中)

 

 朝目を覚ますと雪だった。

 気温は1℃。この分ではそれほど積もることはないだろう。

 

 夜中に勝手口から外に放り出したアルコールの空き瓶、空き缶にもうっすら雪が積もっていた。

 

 

(宴のあと)

 

 昨晩はゴルフ友のAさん、「ゴルフはしないが反省会には必ず参加する」Bさんと我が家で「反省会兼新年会兼Bさんスキー検定1級合格祝賀会」が行われた。

 酒はいつものとおり各自持参、今回はちょっと張り込んで刺身を用意しようということで会費を1000円ずつ頂戴した。

 

 用意した食い物はキムチチゲ、ひまわり市場のお刺身、簡単海鮮サラダ。これに一昨晩頂戴した茎わかめである。

 

 

(タマネギをスライスしてボイル海老、ボイルほたて(どっちもひまわり市場で常に売っている)をポッカ「塩とレモンとオリーブオイル」で混ぜるだけのカンタン料理)

 

 一昨晩の高級ワインと春巻の夕べの話をお2人に伝えると、件のご夫妻と知り合いの2人は悔しがることしきり。

「なんで誘ってくれなかったんですか」と責められてもおミソの私がおミソのおミソを連れていくわけにはいくまい。

「今度声がかかったら誘ってあげるからさ」

「チッ、高級ワインをそんなにガブ飲みしたんじゃ二度と声はかからんでしょう」

 う~む、確かに。

 

(酒造メーカーのCMのようなBさんの勇姿 手にするのは持参した発泡酒「春鶯囀にごり酒穂の雪」)

 

 Bさんは今回齢60いくつにして快挙を達成した。

 検定合格の最高齢記録は最上位の指導員資格で84歳。Bさんの挑戦はこれからも続くことだろう。

 

 Aさんは持参したウイスキーには手をつけずビールの後はどれどれ、と我が家に数本ストックしてある「 ROCHE MAZET ピノノワール」をグビグビ。

「これ、旨いですね~」と気に入った様子。

 フフフ、私が前夜に飲んだピノノワール1本でそいつが何十本も買えるのに。

 

(旨さは比較にもならないがコスパはこっちの圧勝)

 

 宴は重なるもので今宵は最高齢のゴルフ友Cさんご夫妻と「心粋」で新年会だ。

 雪が止んだとしても足元はおぼつかない。万が一転んで寝たきりにでもなられては後生が悪い。

 

 ここは一番クルマで迎えにいってあげることにした。

 

(この程度の雪、斜面なら愛車フォレスターにとっては屁のようなもの)

(今日も雪雲に覆われた八ヶ岳 丘の公園清里ゴルフコースより)

 

 昔むかし、八ヶ岳南麓にゆるふわというナマケモノの翁がおったそうな。

 この日翁は村の衆と山に芝刈りに出かけた。

 

(3バカ大将勢ぞろい スコアは左から99、105、93)

 

 叩き続けたゴルフの帰り

 これで100切りも終わりかなとつぶやいて

 自分の腕をさすりながら

 ヘタだなと思ったら泣けてきた~

 

 傷心の翁がひまわり市場の地下駐車場にクルマを停めて階段を上がろうとすると「あら、ゆるふわさ~ん」と大向こうから声がかかった。

 声の主はAさんご夫妻。今から6年前韓国レストラン「どんぐり」オープンの日に知り合った飲みトモである。

(「高橋の酒まんじゅう」を持参したのがおつきあいの始まり)

 

「今回は単身赴任なの?じゃあ春巻作るから今晩いらっしゃいな」

 Aさん(♀)の中学時代の同級生が何十年ぶりだかに外国から戻ってらしたので今宵Aさん宅にお招きしたとのこと。

 Aさんの料理は玄人はだしで、翁はこれまで何度かご馳走になっているそうな。

 

「そんな図々しいマネはできません」

「遠慮は要らないから」

「暖まっていきなよ~」

「(アホか)彼女はワインに詳しくて、春巻に合わせて選んだおいしいワイン持ってくるってよ」

「・・・」

 

 遠慮の堰はあっさり決壊した。  

「では6時に伺います」

「私が迎えにいくから、家で待ってて」

 あ~ありがたや。

 

 迎えのクルマに同乗していたBさんはAさんとほぼ同じ年恰好(まあ同級生だから当たり前だ)。ご親族が仕事でワインを扱っていて、ワイン通になったらしい。

 

 さっそく彼女のワインで乾杯。

 翁はその旨さに感動したそうな。こんな旨いワインを飲むのは初めてだ。

 

(CHAMBOLLE-MUSSIGNY(ブルゴーニュ)ピノノワール2022 翌朝ネットで調べて超高価なのにオッたまげた)

 

 

(何十年ぶりかにウドが食べたいというBさんのリクエストで用意されたウドのぬた ワインとぴったんこだった)

 

 かつては飲ん兵衛だったAさんご夫妻も最近は殆どアルコールを飲まなくなったそうで、ならば私が代わってしんぜませうと恩着せがましく翁は高価なワインをグビグビ。

 そうこうするうちに今宵の主菜春巻がやってきた。

 

 

(巨大サイズの春巻 きれいに盛りつけられた写真を撮りそこねた)

 

 旨い肴に旨い酒。Aさんご夫妻は笑いの絶えないステキな人たちだが、お友だちのBさんも負けず劣らず話好きの笑い上戸ときているからああでもないこうでもないと話は尽きない。

 

 翁がふと気がつくと大時計は10時を過ぎていた。

「もうすぐ魔法が解けちゃいますのでそろそろおいとまいたします」

「なに言ってんの、帰りは送るから」

 あ~ありがたや。

 お土産は大きなつづらと小さなつづら、どっちにするのというので翁が選んだのは小さなつづら。昔ばなし界では常識である。

 

 2人の天女に送られて翁は娑婆に戻ってきたそうな。

 それ以来翁は「あごあし長者」と呼ばれるようになって、子孫は代々食い物には困らなかったという。 

 

(つづらの中身はこれもBさんリクエストの茎わかめの和え物だった)

(天気晴朗ナレドモ 1か月ぶりの八ヶ岳赤岳山頂は吹雪の模様)

 

 単身八ヶ岳南麓に向かったこの日、中央高速を須玉ICで下りて「スコヤコーヒー」に向かった。

 ところがわざわざ行ったのに店は休み。定休日は火・水だと思っていたのだが実際は水・木だった。なんとも間の悪い話だ。

 

 手ぶらのまま12時ころ我が家に到着した。

 

 

(いつのことだか雪が積もったらしい痕跡が)

 

 あちこち点検しているといつの間にか13時を過ぎてしまった。

 買い物ついでに「ひまわり市場」で弁当でも買おうかと思ったが、ふと頭をよぎったのが「らーめん一休」のカツカレー。

 

(ごはん3分の1バージョン 八ヶ岳南麓カツカレー部門グランプリの逸品)

 

 2025年の初八ヶ岳というハレの日だし(そうかなあ)カツカレー食ってもいいんじゃないの、と思ったらもう止まらない。

 あわててクルマを飛ばして一休に到着したのが13:25。駐車場には何台かクルマが停まっていてどうやら間に合ったようだ。よかった、よかった。

 

 ところが店内からおばさんが出てきて突如暖簾をしまい始めたではないか。

「スミマセ~ン、東京から来たんですけどもうおしまいですか」

「おしまい。また来てね」

 あ~、なんたる間の悪さだろう。おばさんの意地悪。

 

 すっかりカレーの身体になったわが身をどうするか。

 そうだ、と思いついたのが「魚ZENZOW」である。あすこにはたしか「海鮮カレー」があったはずだ。

 

 あわてて店に向かうと駐車場にはクルマが見当たらないが店はまだやっている様子。やれやれ。

 

(遠目には暖簾が裏返っているように見えなくもない)

 

(「辛口」というところがアイキャッチ)

 

「いらっしゃい!」

 大将とおばさんが迎えてくれたが店内に先客はゼロだ。

 

  

「スミマセン、閉店時間は」

「13:45ですが気にしないでください」

 夜の営業の前に昼メシも食ってちょっと休憩してから仕込みに取り掛からねばならないというのに有難いことだ。

 

 さっそく海鮮カレーを注文しようと思ったところに目に飛び込んできたのが「本日の定食 サバ塩焼きと刺身のセット」である。

 考えてみれば明日のゴルフでカレーを食うかもしれないし、その後ブログ友のAさんと「ROCK」に行く可能性も高い。

 

 毎度毎度カレーというのもナンだから、ということで定食にしてみた。

 待つこと10分、おばさんが暖簾をしまいにいった直後に定食がやってきた。

 

(刺身はホタテ、中トロ、マグロ赤身、玉子、鮭麹漬け、エンガワ 1600円なり)

 

 旨い。久しぶりのサバ塩の旨いこと。

 

 残るモヤモヤはコーヒーである。

 そうだ、と思いついたのがブックカフェ「のほほん」。かつて変わり者のマスター(←私が言っているのではない)がやってた「豆玄」のコーヒーを扱っていたはずだ。

 

 オープンの時にコーヒーを飲みにいったきりの店だが幸い開店していてコーヒーも買うことができた。

 

(変わり者のマスターは健在とのこと シェルパ斉藤の本は面白そうだが高いので1年ほどしてからAmazonの中古で買うことに)

 

 これにて一件落着。

 なんだかんだ間の悪い1日だったが、ようやく愁眉を開くことができた。

(散歩の風景 神田川源流でエサを探すカモのカップル この朝の気温は4℃)

 

 1か月ぶりに八ヶ岳南麓に行くことになった。

 目的は「セカンドハウスの固定資産税減免」を受けるべく北杜市内の買い物レシートをゲットするため。1月の日付のものと2月のもの2枚をまとめて入手できるように1月末から2月アタマまで滞在する算段である。

 

 ここで固定資産税減免制度についておさらいしておこう。

 我が国の固定資産税は1873年(明治6年)に時の明治政府が従来の年貢に代わって地租を徴収するようになったことに始まる。

 地租の対象は田畑のみ(年貢の代わりだから)だが1874年国家歳入の実に80%超が地租税収だったというから、明治政府が勧めた殖産興業に地租が果たした役割は実に大きかった。

 また1882年(明治15年)には一種の人頭税として「家屋税」の徴取が始まった(徴税主体は都道府県)。 

 

 戦後1950年に至りシャウプ勧告に基づいて両税は「固定資産税」として一本化、地方税として扱われるようになった。

 もともと地租は所得税類似のものだし家屋税は現在の住民税均等割のようなものだから性格も税率も大きく異なる。それを無理やりまとめたものだから固定資産税は矛盾を内在するものとなり、住宅に関する減免制度(←税率でなく土地評価額を調整する)を数多く生み出す原因となったわけだ。

 

 そもそも資産を保有すること自体に税金を課すのは不合理だ。

 当該資産から利益をあげれば所得税で捕捉すればいいし、資産の売買には消費税を課せばよい。「ぜいたく税」的な一種の社会的制裁だというなら相続税でシメあげればよい。

 つまり固定資産税は歴史的な役割を終えた陳腐な税制なのである。

 

 前置きが長くなったが、おカミ(現総務省)はいつからか「セカンドハウス特例」というものを始めた。いわく、

「毎月必ず1日以上滞在する別荘は『セカンドハウス』とし、現住不動産並みの固定資産税減免をしてやる」というもの。

 つまり土地の場合200㎡以下の部分は課税標準額を6分の1に、それを超えた部分は3分の1に

減額してやる、というのである。

 

 この恩典を受けるためには滞在の証拠となるものを5年間保管しなくてはならない。

 我が北杜市の場合は市内で発行された日付入りのレシートか、須玉・長坂など市内ICで乗降したETC履歴とされていて、電気や水道などの公共料金のレシートは不可とされている。

 

 保管なんかしなくたっていいじゃないの、と思ったら大間違いだ。私の知人でも、

「〇〇年〇〇月のレシートをみせてください」と抜き打ち検査をくらった方が何人かいらっしゃる。セカンドハウスの実態なし、となると過去分も含めて減免が取り消されてしまう。

 

 

(未来永劫減免を受けられるようだが、代わりに未来永劫常時5年分のレシートを保管しなくてはならない 北杜市HPより)

 

 こんなバカバカしいこと(私にとってもチェックする市職員にとってもだ)止めちゃおうかと思って試算してみてオッたまげた。

 平成6年の我が家の土地の固定資産税は年間1万3000円。

 都内に比べれば屁のような額だが、これが減免がなくなると4万7000円にハネあがってしまうから侮れない。

 

 他所の自治体はどうしているのか調べてみてまたオッたまげた。

 軽井沢町、箱根町、お隣の富士見町では抜き打ち検査でなく、毎月のレシートを全部提出することを義務付けているらしい。北杜市の方がいい意味ナマケモノだったのね。

 

「上に政策あれば下に対策あり」という。

 こんな時は北杜市にお住まいのどなたかにレシートをとっておいてもらえばよいのだが、「セコいヤツ」と思われるのも業腹だ。

 さてどうしたものかとモヤモヤしていると、

「1月中に一度やりませんか」とゴルフ友のAさんから連絡があった。

 

 やった~。

 八ヶ岳南麓に家を構えて9年、これまで冬の八ヶ岳も好きで毎月欠かさず滞在していたが、なんだか寒さが身に沁みるようになった。

 これからは1月末~2月アタマ、2月末~3月アタマにゴルフをしにいって、ついでにレシートをゲットすることにした。

(「ひと本石田屋」(上板橋)の栗饅頭)

 

 この日吉祥寺「肉のさとう」前に怪しげなレジ袋をぶら下げた高齢者4人がひそかに集結した。ご近所の飲みトモAさん、Aさんの友人にして「よせよ!寄席の会」メンバーのBさん、Cさん、そして私の4人である。

 

 先日Aさん宅で行われた新年会の席上で今度カラオケに行こう、という話になり「我楽多亭

(仮名=Aさんが主宰する秘密結社)カラオケ推進隊長」となった私が選定した会場は当然ながら私が株主である「まねきねこ」である。

 

 私の企画はこんな感じ。

・1500「肉のさとう」前集合、まねきねこへ

・持ち込みOKなので各自飲みたい酒とツマミを買ってくること

・1700カラオケ終了後ただちにホルモン焼き「もつ焼き総裁」で反省会

(これもご近所の飲みトモDさんに教えてもらった良店)

 

 さあ、何を買っていくか。

 カブらないよう熟慮に熟慮を重ねてアルコールは赤ワインにすることにした。

 そうだ、カルディコーヒーファームでワインを買ってコーヒー試飲コーナーのおねえさんに

懇願して紙コップ4個もらっちゃお。我ながらいいアイデアだ。

 

 さっそくカルディに向かい、おねえさんにかくかくしかじか伝えると「そういうことにはちょっと対応できかねます」とケンもほろろ。結局400円の大枚払ってプラ製のワイングラス(というのだろうか)を買うハメに(泣)。

 

 

(カルディのケチ!包装には「ワイングラス」でなく「ワインカップ」とあった)

 

 ツマミもここでチーズを買おうと思っていたが、気分を害したのでアトレに戻ることにした。夜がホルモン焼きだからちょっとさっぱり系のもの、例えばポテトサラダとか海鮮サラダとかがいいだろう。 

 道すがら「小ざさ」の隣のおでん種の店「塚田水産」に目をやると旨そうなさつま揚げの盛り合わせが並んでいた。

 

 全員高齢者(平均69歳)である今日のメンバーはおそらく健康オタクである。夜はホルモンだから、ということで皆さんウサギの餌系統のモノばかり買ってくるに違いない。

 ここはカブらないように揚げ物がいいかも、それになんといってもハレの日だしね、ということで盛り合わせを購入した。

 

 15時ちょうどに全員集結、隊長以下4人は威風堂々まねきねこへ。

 まねきねこはこれまで経験したことがない混雑ぶり。どうやらちょうど下校した中高生が大挙して押し寄せているようで、株主としてはなんとも頼もしい光景である。

 

 待つこと10分、大部屋に通されてまずは各自の買い物をテーブルに並べてみてオッたまげた。

Aさん 紹興酒と春巻

Bさん ビールと鶏唐揚げ

Cさん ビールとアジフライ

 私を含めて全員揚げ物である。ったく、どうして夜はホルモン焼きだと分かっているのに揚げ物を買ってくるのだろうか。

 

(唄っているうちに胸がやけてきたのは私だけではあるまい)

 

 そんな中で唯一輝いていたのがCさんがお土産に買ってきてくれた「石田屋の栗饅頭」である(冒頭の写真)。

 かつて上板橋の小学校に勤務していた亡母が大好物でしょっちゅうここの栗饅頭を買って帰ってきたものだ。

 

 翌日50年ぶりに食った栗饅頭の旨いこと。当時の味と寸分変わっていない。

 

(栗がゴロリと入っている逸品)

 

 皆さん胸はやけたものの大いに楽しんだようでまたやろうということに。

 

 「愚か」とは同じ過ちを二度繰り返すことをいう。

 次回は隊長がツマミを一括購入することに決めた。

(釣りたてのヒラメ 手前は50センチ、奥は35センチ) 

 

 会社時代の同僚釣りキチのA君から写真がきた。

 魚を釣りました、時間がなくてサバけないけど要りますか、とのこと。

 

(巨大な魚を抱えるA君の勇姿)

 

「ギョギョ、オヒョウ釣りに行ったの?」

「ヒラメです」

 サバくのはいささか心もとないがありがたく頂戴することに。

 

 サバくとなるとまずはウロコ取りである。

 A君からは「金たわしでこすると簡単です」との追伸があったが、んなもの都合よく家に転がっているわけはない。

 家内がテレビでやっていたという、ペットボトルのキャップでウロコをこするとあ~ら不思議、ウロコはサクサクと剥がれていく。まずは幸先のよいスタートだ。

 

(これはカンタン)

 

 次は最大の難関5枚おろしである。

 我が家にあったはずの赤さびた出刃包丁はどうやら引っ越しの時に処分したようでどこにも見当たらない。ままよと普通の庖丁で頭を落とそうとしたがビクともしない。

 

(死んでるはずのヒラメだがこっちをじっと睨んでいる 外国人が魚の眼を怖がる気持ちがよ~くわかります)

 

 あわてて家内がご近所のBさんにSOSすると、「これでいいかしら」とおっとり刀で飛んできてくれたBさんの手には中華料理で使うナタのような形の庖丁が。

 こいつは木の幹のようなまな板で肉を細切れにするには威力を発揮するのだろうが、巨大魚の頭を落とすには残念ながら不適であった。

 

 やむなく今度は私がお近くのCさん宅へ。万が一Bさんに見咎められたら恰好がつかないので

抜き足差し足、なんだかコソ泥の気分である。

 Cさんにかくかくしかじかお伝えすると「もうず~っと見てないけどどっかにあったはずだからちょっと待ってね」とあちこち探してくださって、やがて持ってきてくれたのは見事に赤錆びた出刃包丁。

 しかもサイズがペティナイフほどで、アジやイワシにはよさそうだが一見してヒラメには歯が立たないシロモノである。

 

 

(「錆びたナイフ」1958年日活 ホントにこんな感じのサイズ ひょっとしてCさんは娘時代裕ちゃんの熱烈なファンだったのではないだろうか) 

 

 そうはいっても足の悪いCさんにあちこち探していただいて、今さら要りません、とは言えない。

 有難くお借りしたものの善後策が浮かばない。丸ごと煮つけにしちゃうという奥の手があるが、サイズがサイズなので少なくとも2つには切り離さねばならない。

 

 そうこうするうちにBさんが再びやってきた。

 流しの下の奥~の方を探したら長らく行方不明だった出刃包丁が発見されたとのこと。これも見事な赤鰯だが、背に腹は代えられない。

 お2人ともこの辺りでもご高齢の方だから出刃包丁なんぞここ10年、20年は使ったことがないはずだ。

 

 そんな赤鰯で悪戦苦闘すること30分。

 するとアラ不思議、身の殆どは大量のアラと化してしまった。

 

(この分厚いアラを見よ 大鍋で2回煮つけをこさえることに)

 

 お2人にお借りした庖丁を研いで、お礼にわずかな切り身を差し上げると手元にはボロボロになった刺身状のものが残った。

 

(醤油がよく浸みます このほかに昆布締めにできそうなサクがひとつ)

 

 その夜Cさんから電話がかかってきた。

 この日はC家の週に1回の「金麦の日」で、ご夫婦で350ml缶を半分こするのだそうだ。そんな楽しみの日においしい肴をいただいて、と感謝のお言葉をいただいた。

 Bさんは白身の魚に目がないそうで、刺身のほかにあとから煮つけをお届けすると翌日お礼に

クッキーの詰め合わせをいただいた。

 

 お2人とも引っ越してきた直後からなにかと声をかけてくださった有難い隣人である。こんな下手クソな刺身で喜んでくれるなら身に余る光栄だ。

 

 ちゃんとした出刃包丁と刺身庖丁を買って、次の機会にはもっとまともなヤツを届けてあげよう。A君の次の釣果が楽しみだ。

大分の焼酎ラインアップ 左から:

唐変木(芋 佐伯市ぶんご銘醸)

寧(芋 日田市老松酒造)

耶馬美人(米 中津市旭酒造)

 

 2024年に彗星のように現れたご近所の飲みトモAさん。今年も大いに飲みましょうということで、西荻窪で新年会をやることになった。

 向かった先は西荻窪駅北口「大分居酒屋まな愛」。

 Aさんが何故ここを選んだのかは知る由もないが、「いつでも、どこでも、だれとでも」の私に異存があろうはずがない。

 

 大分出身の女将さんはかつて介護の仕事をされていたそうだが、どういう神の啓示があったのか突如飲食に目覚め、長いこと新宿ゴールデン街でカレー屋をやっていた(夕方から翌朝まで営業していた由)そうな。 

 

(見るからに元気はつらつ)

 

 何年か前に西荻に店を構え、お一人で1130~2400まで通しで店を開けている傍ら、「こども食堂」までやっているというからそのエネルギーには恐れ入る。

 

 さすが「大分居酒屋」を標榜するだけあって、「まな愛」の酒はもちろんのこと、食材も全て大分産だ。

 

(つきだしセット 真ん中は大分ブランド芋「甘太くん」、右は関サバのアラ煮 冷ややっこは「ネギは大分産です!」とのことだが豆腐は西友で買った模様)

 

 長いこと八ヶ岳南麓で過ごしたせいでAさんと飲むのはおよそ半年ぶり。

 飲み散らかし、女将も交えてしゃべり散らかしているとにわかに腹が減ってきた。

「まな愛カレー、召し上がりますか」

 いただきますとも。

 

 

(本日は大根カレー 辛さ控えめで「こども食堂」向きの味)

 

 またしてもちいちいフグになった2人は腹ごなしに歩いて家路についた。

 

 そういえばこの日(1月22日)は「カレーの日」だった。

 新年会もやってカレーも食えて一石二鳥。日々是好日、である。

 

(ごちそうさまでした)