八ヶ岳ゆるふわ日記

八ヶ岳ゆるふわ日記

八ヶ岳南麓大泉と東京を行ったり来たりの毎日。日々のよしなしごとを綴ります。


(叙々苑「キムチチゲ」)

 

 夏の暑さをしのぐ食いものといえば、カレーに代表される辛いものだろう。

 辛い物は発汗作用で体温を下げてくれるし、初夏には新陳代謝が活発になることで熱中症予防にもつながる。

 

 我が家ではカレーだけでなく、真夏にキムチチゲを食うことが多い。

 残念ながら夏になるとスーパーからは鍋の素が消えてしまうので、Amazonで叙々苑の「キムチチゲ」(←これ旨い)を大量に購入してストックしている。

 

 つい先日も暑気払いと称してゴルフ友のAさんと我が家でキムチチゲを楽しんだばかりだが、

この日は気温が下がって肌寒い一日となったことから「冬の食い物」としてキムチチゲを食うことになった。

 

(気温が20℃を切ると暑さに慣れた身体にはこたえる)

 

 我が家のキムチチゲはいたって簡単。

 豚肉(しゃぶしゃぶ用が相性がよい)、豆腐、キノコ(エリンギが合う)、もやし、ニラ、その他ツマミになりそうなものをブチ込んで煮るだけ。翌日は残った汁でラーメンが楽しめるというオマケつきのうれしい食い物だ。

 

(夏のニラはイマイチ旨くないのが玉に瑕 この日のゲストは油揚げとさつま揚げ)

 

 旨い。ビールにも日本酒にも焼酎にもぴったんこ。

 夏に他の鍋は食いたいと思わないが、キムチチゲは別格だ。中でも叙々苑のもの(「辛口」に限る)がおすすめなので是非お試しください。

 

             

 

(キャンベルズアーリー)

 

 もう8月も終わりだ。

 8月の八ヶ岳南麓は前半はやたらに暑く、後半は台風10号の影響もあって雨続き。この日一週間ぶりにようやく雨があがって晴れ間がのぞいた。

 

 さっそく溜まりに溜まったそらのタオル(シーツ代わり)をデッキで干すことに。

 なんだか「幸せの黄色いタオル」って感じかなあと思ったが、写真で見るとただの難民キャンプだ(汗)。

 

(赤いタオルのところにブドウがある 黄色いタオルの方はただの雑草)

 

 タオル干しのついでにデッキに這わせているブドウ「キャンベルズアーリー」を1房食ってみることにした。

 

(デッキ側に顔を出したブドウの房)

 

 我が家の庭にブドウの苗を植えたのは2020年6月のこと。

 綿半で買った「藤稔(巨峰みたいな大粒のヤツ)」と「キャンベルズアーリー」を植えたのだが、将来を嘱望された藤稔はその後テッポウムシにやられてあえなく八ヶ岳の土となり、ついでに植えたキャンベルズアーリーが健気に実をつけている。

 

 ブドウの生育限界は一般に標高800mと言われているが、耐寒性の強い米国種のキャンベルズアーリーは標高1000mの我が家でこれといった冬越し対策もせずに生き延びている。

 シャインマスカット、ナイアガラといった米国種と欧州種の雑種もそこそこ寒さに強いようで、我が家の近くでスクスク育っている。

 

 今年の出来栄えは中サイズが1房、小サイズが3房。施肥もせずにほったらかし状態にしているわりには立派なものだ。

 

 おやつ代わりに食ってみるとナリは小さいが味は巨峰と変わらない。

 過ぎ行く夏の香りが口の中に広がった。

 

             

 

 愛犬の介護にすっかり疲れて精のつくものが食いたくなった。そんな時は八ヶ岳南麓の誇る鰻の名店「Blowin'in the Wind」に限る。

 ハナの1130を予約して1120に店に着くとすでに営業中。11時開店だったのね。

 

 

(鰻とレコードというのが少々妙な感じ)

 

 分厚い引き戸を開けて中に入るとオーナーの三上さんがいつもの爽やかな笑顔で出迎えてくれた。

「いらっしゃい。お久しぶりです」

「相変わらず商売繁盛で。もう5年位経ったかな」

「やだなあ、おととし開店ですよ」 

 

 ああそうだっけ。初めて訪れたのは狭心症で救急搬送された夏のことだからまだ2年しか経っていないんだ。

(2022年7月オープン 初めて訪れたのはその年の9月)

 

「なんかレコードかけましょう。ジャズがいいですか」

「そうねえ。サックスがいいな(←習ってるなんて口が裂けても言えない)」

 これにしましょうか、と三上さんがピックアップしてくれたのはテナーサックスの麒麟児ウェイン・ショーターだ。

 

(「wayning moments 」1962)

 

 むせび泣くような、そしてやさしく包み込むようなテナーサックスの音色が介護に疲れた心身に沁みていく。

 

 天国ってこんな感じかな~、と浸っていると三上さんが雑誌を持ってきた。「おとなの週末」と「dancyu」に紹介されのだという。

 

 

(「おとなの週末」うなぎ特集 山梨県からは「Blowin'」のみピックアップ)

 

(特集記事の巻頭見開きにもこちらの鰻(真ん中の写真)が掲載されている(一番左は「dancyu」の掲載写真)

 

 三上さんはとてもうれしそうで、なんだか私も幸せな気分になってきた。

 記事をパラパラしていると、やがて至高の鰻がやってきた。

 

(本日の鰻「味鰻(宮崎県中村養鰻場)」)

 

 旨い。旨いよ~。

 ここの鰻もかれこれ10回ほど食っているが、いつも変わらぬ鉄板の旨さだ。

 

 カレー、餃子、麻婆豆腐、カツ丼・・・。

 最後の晩餐の候補はあまたあるが、やはり鰻が一番だろう。

 とりあえず今日から4892日後、メメントモリカウントダウンタイマーがゼロになった日の昼メシは絶対ここの鰻にすることにした。

 

(こうやって掘ったところは余計旨そうでしょ)

 

             

(燻製カフェもくもく ドライチーズ焼きカレー1100円)

 

 八ヶ岳南麓随一のカツ丼セットの名店「まつ浅」が11月で閉店するという。

 この界隈にも「カツ煮」だの「煮カツ丼」だのといったマガイモノを食わせる店はあるが、あれはいけません。「カツ煮」と聞いただけで煮汁でふやけたカツの残骸が脳裏に浮かんで食欲が減退する(「カツ丼」とどう違うのかは各自ご研究ください)。

 

 そもそもカツ丼という食い物は単品で食うものではない。

 ケダモノの時代はともかく高齢者にはモンダミン効果をもたらす蕎麦のお供が不可欠なのだが、八ヶ岳南麓でカツ丼セットを出す蕎麦屋は「まつ浅」だけ(たぶんそうでしょ)なのである。

 

(「まつ浅」半カツ丼セット カツが3切れというのがちょうどいい塩梅)

 

 マクラが長くなったが、そんなわけで名残を惜しむべく、「まつ浅」の半カツ丼+冷たい蕎麦のセットを食いに行った。

 

 夏休みの日曜日とあってどこの店も混むはずだ。

 「まつ浅」の開店時刻は11時だからその時分ならさすがに観光客連中もおしかけてはいないだろう、とタカをくくっていたのだがオッたまげた。なんと満席である。

 

 中央道が渋滞する前になるべく早くメシを済ませたい観光客が殺到しているのだろうか。それともカツ丼セットに愛着がある移住者・別荘族が名残を惜しんで食いに来ているのだろうか。

 おそらくそのどっちもなのだろう。

 

 さあ困った。

 11時に開いている店はここいら辺でそう多くはない。

 窮すれば通ずという。

 ふと思い出したのが森の中にひっそりと佇む「燻製カフェもくもく」。

 

 散歩の途中で見かけて足を運んだのはもう2年も前のことだから、はたして健在なのか不安だったがちゃんとやっていた。

 

 

「いらっしゃいませ」

 森でひっそりと暮らす美魔女のようなマダムがにこやかに迎えてくれた。

 先客はわずか1組。さすがにこの奥地まで観光客の魔手は伸びていないらしい。

 

(森に面した窓際のカウンター席へ)

 

 注文したのは前回と同じく「ドライチーズ焼きカレー」(スープつき)。

「腹が減ってるんで『スモークチキンと野菜サラダ』も頼んだ方がいいですか」

「フフフ、大丈夫です。お腹い~っぱいになりますから」

 

 待つこと5分少々でカレーがやってきた。

 量が多くてお供も多いことを思い出した。

 

(2年前の写真 サラダの具まで寸分変わらない)

 

 腹がいっぱいになったところでコーヒー(300円)登場。サービスのシフォンケーキがついてきたところも前回と全~く変わらない。

 

(つけあわせのクリームとブルーベリージャムも同じ)

 

 なんだか時間が止まった異空間に紛れ込んだような気分だ。

 そこいら中が激混みのこの時期、「もくもく」は隠れた切り札といえそうだ。

 

             

(元気なころのそら いつも飼い主を見ていた)

 

 そらの右後ろ足が動かなくなり、鍼灸の治療を始めたのが2か月前のこと。

 一時は快方に向かい、ベッドに乗りたい、ソファに乗りたいと訴えていたそらだが、その後容態は悪化の一途を辿ってとうとう左足も動かなくなり、ほとんど寝たきり状態になってしまった。

 

 それでも、

「ごはんだよ~」と声をかけるとそらは必死に立ち上がろうとするので、ハーネスと手製の帯を下肢にわたして「おさるのかごや」状態にして庭に連れて行き、そこでメシを食い、ウンチとオシッコも済ませていた。

 

 ところが2、3日前から「ごはんだよ」と声をかけるとすさまじい形相で吠えるようになった。鎮痛剤も効かないようで、よほど下肢が痛むのだろう。

 

(こんなポーズは2度ととれないだろう)

 

 このまま寝かせておけば間違いなく寝たきり犬になってしまう。

 なんとかハーネスをつけておさるのかごやに持ち込みたいのだが、そらは吠えるだけでなく噛みついてくるようになった。 

 朝と夕方の1日2回、毎度毎度修羅場である。

 吠えまくったせいで室内で粗相することもしばしば。あのおとなしくて従順なそらはどこへ行ってしまったのか。

 

 この日も噛みつかれないように細心の注意を払いながらそらを外へ連れだした。

 このところ玄関でウンチもオシッコも出してしまうそらだが、珍しく庭に行きたいという様子を見せたのでおさるのかごやは庭へ向かった。

 

 エッサエッサ

 エッサホイサッサ

 おさるのかごやだホイサッサ

 

 座った姿勢でジョジョジョとやったそらはじっと私を見つめた。その表情はほんの2か月前の柔和なそらの顔だった。

 

 「これまで、ありがとう」

 そらがそう言っているようで、不覚にも涙が止まらなくなった。

 

 

(もう一度八ヶ岳芝生広場を思いっきり走らせてあげたい)

 

             

(清里アーリーバードゴルフクラブ打ち下ろしのショートホール 下りのカート道路はマリオカートの気分が味わえる)

 

 この日ゴルフ友のAさんとプレーしたのは「清里アーリーバードゴルフクラブ」。

 Aさんとはいつも「丘の公園清里ゴルフコース」に行くのだが、夏休み期間の特別料金なので

安いアーリーバードに行くことにした。

 

 2年前にゴルフを再開してからこっち、「北の杜カントリー」に2回、「大洗ゴルフ倶楽部」に一度遠征した以外は全てアーリーバードと丘の公園に足を運んでいる。

 この八ヶ岳南麓を代表する庶民的ゴルフ場(アーリーバードは「南麓」といえるか微妙だが)

どちらがいいコースなのだろう。

 

 まずはコースの難しさ。

 私の印象では「アーリーバード=長くてタフなコース」だが、意外なことに総距離はアーリーバードの方が短い。どうやらアップダウンがあるうえにカートが今時珍しい手動ガソリン車(リモコンなし)なのでより長く感じてしまうようだ。

 またアーリーバードはコース全体を通じて微妙なアンジュレーションがあるので、丘の公園より第2打が難しい。

 さらに左右の斜面には地元の方が「ンブリ(「ド」にアクセントがある 第1音節にアクセントがあるのは甲州弁の特徴で、「みつるさん」でなく「つるさん」となる)と呼ぶ窪みが無数にあって、ここに入ると厄介だ。

 

 昼メシは昼食付きの「丘の公園」が気が利いているように思えるが、アーリーバードでハーフを終えたところで蕎麦「最高地点」に出かけて(←わりと自由に出入りできる)カツカレーを食うのもオツなものだ。

 

 

(いちおうこんなのも並んでます)

 

 また、近所のペンション「牧詩(ぼっか)」に弁当をお願いすることもできる。

 こいつも丘の公園のメシよりだいぶ旨い。

 

(おすすめは一番豪勢な「ふくふく弁当」1300円なり 撮影前にソースとからしをつけちゃった ど~もスミマセン)

 

丘の公園、アーリーバード比較表

 

 肝心の料金だが、2バッグの場合で比較してみると、丘の公園は、

 8000+1100ー1000=8100円となる。「県民割」はパーティに山梨県在住者が一人いればオーケー。

 

 一方のアーリーバードは、

 5900+1300(メシ)+840(帰りに「パノラマの湯」へ)=8040円

 どっこいどっこい、と言えなくもないがアーリーバードの場合「友の会」に入るとプレー代がずいぶん安くなる。

 入会金は7700円だが、1000円割引券を何枚かもらえるうえに安くなったプレー代からさらに1000円引き、2000円引き、3000円引きとなる日があるので年に数回プレーするならアーリーバードがいいだろう。

 

 練習場がないのは困ったものだが、プレー前に丘の公園にちょこっと寄って練習すればいいだけのこと。

 

 そしてアーリーバードのいいところはプライスレスの景観が楽しめること。八ヶ岳の眺めは界隈随一だろう。

 

(八ヶ岳が一望)

 

(南アルプスの山塊も美しい)

 

             

(裏庭から秘密の小径方面へ人の通行が可能になっていた)

 

 久しぶりに八ヶ岳南麓の我が家に戻ると、裏庭の一部の雑草がきれいに刈られていた(上の写真)。

 

(キウイ棚の下もきれいな空間に)

 

 なんらかの自然現象で突然雑草がなくなったわけではないことは周囲をみれば明々白々、明らかに人の手によるものだ。

 

(すぐ脇はこんな感じ どうせならこっちもやってくれたらよかったのに)

 

 この炎天下にどこの誰が草刈りをしてくれたのだろうか。

 そしてその動機はいったいなんだろうか。

 

 考えられる犯人(というのかな)は3人。

 

 ひとりは徒歩圏にある韓国レストラン「どんぐり」のオーナーSさん。

 カラオケスナックに行った時の支払いを私がすませたことを「どんぐりママ」は大層恐縮して

どんぐりでの昼食代をタダにしてくれたことがあったが、それではまだ不足だと思ったのかもしれない。

 

 もう一人はご近所の有徳人、「ゴルフはしないが反省だけはする」Aさん。

 Aさんは時折ご近所の草刈りを手伝っていらっしゃるから、ことによると我が家の近くで草刈りをやったついでにこれまで何度か我が家でカラオケをやった借りを返しておこう、と企んだフシがある。

 もっとも貸し借りでいえばテッポウムシにやられて倒壊したエゴノキを切断して撤去するという作業を1000円でやってもらった私の方が借りが多い。

(タダでいいというのを1000円にしてもらったのは2024年3月のこと)

 

 それからもう一人怪しいのがブログ友の nobu さんである。

 nobu さんは 少し前から八ヶ岳南麓に滞在しているうえに、最近刈り払い機を購入したというアリバイがある。

 新しい機械を買うとやたら試したくなるのが人情というものだ。

(これが動かぬ証拠 勝手に転載してますど~もスミマセン)

 

 この3人のうち誰が真犯人なのか、確かめてみるのは野暮というもの。

 

 犯人じゃない人の場合:

「ウチの庭刈ってくれました?」

「いえ、してませんけど(やってくれ、ってことかなあ)

 

 犯人の場合:

「ウチの庭刈ってくれました?」

「はい、よく私だと分かりましたね」

「どうせなら全~部やってくれればいいのに」

「・・・」

 

 それにしても刈り払い機のごリヤクは目を瞠るばかり。

 来年辺り買っちゃうか、それともAさんに1500円位でやってもらうか。ここは思案のしどころだ。 

 

             

(台風一過の井の頭公園 池のほとりの樹木が枝打ちされ無数にあったアオサギの巣がなくなってしまった)

 

 つい最近まで、世の中は「上がってほしいもの」に溢れていた。例えば学校の成績や偏差値、オトコマエ、会社の評価とポジション、給料・・・。それが今では上がってほしいものは株価くらいだ。

 

 一方で定年退職後のゆるふわ生活では下がってほしいものばかり。

 体重、血圧、眼圧、悪玉コレステロール、中性脂肪、γーGTP、ゴルフのスコア、税金、介護保険料、物価と目白押し。

 どうやら人生が下り坂に差し掛かると「上を目指す」という意欲がなくなって、落ちていくスピードを少しでも緩和できればよし、という心持ちになるらしい。

 

 そんな私の生活で唯一上がれ上がれと祈っているのが株である。

 すべった転んだしながらようやく雀の涙ほどの利益が出たところでやれやれとばかりに売却した東京エレクトロン(8035)だが、日経平均1000円安で同株も大きく値を下げたところで「今だ!」とばかり買い戻したのが7月のこと。

「八ヶ岳南麓のダボハゼ」とは何を隠そう私のことである。

 

 するとどうだろう。

 8月5日、日経平均は過去最大の4451円安の大暴落となり、そのあおりを受けてエレ君はわずか2日で100万円ほど値を下げた(泣、泣、泣)。

 

 さあここでどうするか。

 賢明な投資家なら損失確定を恐れず、いったん売却するだろう。この先の株式市況が読めない以上それが一番合理的な選択だ。

 同じくらい賢明な投資家は大きく値を下げたところで絶好の買い場とばかり買い増しするだろう。半導体の将来が明るいと信じられればそれもまた賢明な判断である。

 

 愚かな投資家は小心ゆえに損失確定に踏み切れず、かといって先見の明もないから株価の反転にも疑心暗鬼で右往左往するばかり。

 その中でもさらに愚かな私は株価が回復するにつれて次第にスケベ心が湧いてきて、やおらナンピン買いに踏み切ったのである。

 

 

(何故かコシダカHD(2157)は利を生み始めた(といっても1万円位)8月末の権利確定に向けて世のカラオケ好きが買っているらしい)

 

 株よ上がれ~

 東京エレクトロンよ上がれ~

 そして利が生まれたらさっさと売っちゃおっと。

 

 これからのインフレ時代には現金より株でしょ。

 半導体需要はこれから増加する一方だから東京エレクトロンの将来も明るいはず。

 そんな理屈で始めた株式投資だが、どうやら下り坂の人生には向いていないらしい。

 

 

(てっぺんにアオサギがたった1羽 連れ合いを待っているのだろうか)

 

             

(全国戦没者追悼式に臨む天皇皇后両陛下)

 

 太平洋戦争終結から79年経った。

 戦後生まれの私には当然ながら実際の戦争体験はないわけだが、小学生の時分にはそこここに

「戦争」の残滓があった。

 

 当時池袋駅の東口では、白衣を纏った傷痍軍人がいつもハーモニカを吹いていた。

 ここはお国を何百里 

 離れて遠き満州の

 赤い夕陽に照らされて

 友は野末の石の下~

 その悲しいメロディが少年の心に重くのしかかった。

 

 漫画週刊誌は戦争モノに溢れていた。

「紫電改のタカ(ちばてつや「少年マガジン」)」、「大空の誓い(九里一平「少年サンデー」)、「ゼロ戦はやと(辻なおき「少年キング」)」・・・。

 

(主人公滝城太郎は終戦直前沖縄特攻を命ぜられ、愛機とともに沖縄へ飛び立つ なんともやりきれないエンディングだった)

 

 戦争漫画やプラモデルに夢中になる私に警鐘を鳴らすつもりだったのか、亡母は「ジュニア版太平洋戦史」という全4冊の戦記本を買ってくれたっけ。

 

(これだ! 1962年集英社刊 1巻、2巻は繰り返し何度も読んだが3巻以降は子供心にも切なくて読み返す気がしなかった)

 

 数ある戦時中のエピソードの中で少年の琴線に強く触れたのは「小学ナン年生」(小学館)だかに載っていた「バロン西」とその愛馬「ウラヌス(=ギリシャ神話の天空神)号」の活躍と別離の物語だ。

 時は1932年、ロスアンゼルス五輪馬術競技において西竹一陸軍騎兵中尉は人馬一体の華麗な演技を見せ、見事金メダルを獲得した。

 

(バロン西と呼ばれた西中尉とウラヌス号の勇姿)

 

 その後戦車連隊に転属となり太平洋戦争末期に硫黄島防衛を命ぜられた西(当時中佐)は、彼の地に赴任する前に引退して余生を過ごしていたウラヌス号に会いに行ったという。懐かしい主人の足音を聞いたウラヌスはその時狂喜乱舞したそうだ。

 

 1945年2月19日、米軍は硫黄島上陸作戦を開始、同3月22日西中佐は戦死した。

 それから一週間後、主のあとを追うようにウラヌスも死んだという。

 

(3月26日硫黄島守備隊全滅)

 

 すっかり記憶の底に沈殿していたこのエピソードを思い出させてくれたのがバロン西以来92年ぶりに馬術のメダルを獲得した「初老ジャパン」である。

 

 バロン西の生涯を描いた本を読みたい。

 そう思ってAmazonを検索すると、ありました。

 

(1984年文藝春秋社)

 

 ところが値段を見てオッたまげた。

 なんと6630円。これは図書館で地道に探すしかあるまい。

 

 戦後79年を経た今、周囲に戦争を想起させるものは一切見当たらない。

 唯一8月15日の式典が、

「ああ、そうだったっけ」と当時を回想させるだけだ。

 戦争の記憶はこうしてどんどん風化していって、やがて忘れ去られていくのだろう。

 

              

(高田馬場「まずい魚 青柳」)

 

 お盆の暑気払いということで、会社時代の同僚Aさんと久しぶりに高田馬場で飲むことになった。

 夏休み、しかもお盆とあって、学生の街高田馬場も閑散としている。

 駅前のビルをふと見ると「北京ダック専門店」の文字が目にとびこんできた。待ち合わせの時間までだいぶ間があるので、どれどれと見物に。

 

 

 通りに面したエスカレーターを上がっていくと3階にある店の入り口に着いたが、どういうわけか下りのエスカレーターがない(汗)。

 

(白線のあたりに昇りエスカレーターだけがある)

 

(エスカレーターを降りたところが店の入り口)

 

 いったん入ると戻れない。これではカゴ漁にひっかかったズワイガニだ。

 進退窮まった私はやむなく店に入った。

「特Aサイズ1ぱい!・・・いえ、いらっしゃいませ~」

「ごほん、今日は名刺をもらおうと思ってさ。この店いつできたの」

「ちょうど1年前になります」

「あ、そう。今日は予約した店があるからね、また来ます」

「お待ちしております」

 なんとか別の入り口から大海原に戻ることができた。よかった、よかった。

 

 高田馬場という地名は1636年(寛永13年)に時の将軍徳川家光が家臣団の練兵場として馬場を設置したことに由来する。

 「高田」というのは越後高田藩主松平忠輝(家康公六男)の生母阿茶局(高田殿)の別荘が彼の地にあったからという説もあるが、はっきりしたことは分からないらしい。

 

(歌川広重「絵本江戸土産」(国立国会図書館蔵)より)

 

 馬場があったのは明治通りの向こう側、早稲田に近い辺り。ちょっと見に行こうかとも思ったが熱中症になったら大変なので目的地周辺をブラつくことにした。

 

(以前ショボい居酒屋があったところが「ラム肉専門店」になっていた)

 

 街は以前より肉系の店が増えたようだ。

 内閣府が発表した2024年第2QのGDP成長率は2四半期ぶりにプラスに転じ、名目GDPの年間換算値は史上初の600兆円越えとなったというから、街角景気もやや上向いているのかもしれない。

 

 さらに歩くと「塊肉とガブ飲みワイン」というなんとも魅惑的なキャッチの店が。

 

 

(「ゴーバル」どうやらチェーン店らしい)

 

 黒板を食い入るように眺めていると店内から店長と思わしき若者が顔を出した。

「いらっしゃいませ~」

「『塊肉とガブ飲み』ってのがいいね。『変り餃子』も食いたいなあ」

「餃子は〇〇料理(どこの国か忘れた)をヒントにこさえました」

「あ、そう。今日は予約した店があるからね。また来ます」

「お待ちしております」

 ここは2軒目に覗いてみてもよいかもしれない。

 

 さらに歩くと、かつて何度か利用したことのある中華風バーが健在だった。

 

(「PANDA STREET」今年で開店8周年 よくつぶれずに頑張ったものだ)

 

 やがて本日の店「まずい魚青柳」に着いた。30年ほど前に栄通りのピンサロやら連れ込み旅館やらが蝟集したいかがわしい路地にあったころから通った店だが、顔を出すのは3年ぶり位だろうか。

 

 ほどなくAさんも到着して乾杯~。

 

(刺身盛り合わせ(これで1人前)、ナス揚げ出し、キス天ぷらが今宵の肴)

 

 かくかくしかじかで塊肉の店があるからここはホドホドにして後で行ってみようよということで、2時間ほどで店を出た。

 そうだ昔行った店が健在だからちょっと覗いていこうよ、ということでまずは「PANDA・・」へ飛び込んだ。

 

 この店の最大の、そしておそらく唯一の取り柄は「焼き餃子ハーフ(=3個)」など、全ての食い物が「ハーフ」にできること。

 各種ツマミを食いながら最近始めたというAさんのゴルフのことやら会社の誰それがどうした、などとしゃべり散らかし、ワインをガブ飲みしているといつの間にか時計は11時を回っていた(←「酔っぱらいあるある」だ)。

 

 こうなると「かたまり肉が~」などとホザいている場合ではない。

 一行はあわてて高田馬場駅へ。

 

 なんとか家にたどり着いたのは12時過ぎ。

 翌朝は何年かぶりのふつか酔いとなった次第である。

 

(塊肉は次回のお楽しみ)