八ヶ岳ゆるふわ日記

八ヶ岳ゆるふわ日記

八ヶ岳南麓大泉と東京を行ったり来たりの毎日。日々のよしなしごとを綴ります。


(三浦先生の愛機ヤナギサワA-3 なんだかプレッツェルのような部品があって現在のサックスとはだいぶ形状が違う)

 

 初めてのレッスンが始まった。

 まずはサックスの組み立て方から。あまり触っちゃいけない箇所があったり、力任せはNGだったりと結構メンドくさい。

 続いて演奏姿勢の指導を受ける。

 ストラップで吊り下げられたサックスを上の前歯と右左の親指の3点で安定させることが大事だ(と三浦先生がおっしゃっている)。

 ついつい指に力が入りすぎたり、日頃は下げたことのない頭が下がってきて姿勢が悪くなるが、そうなるとてきめんに音が出なくなる。

 

(A-3はヤナギサワ初のアルトサックスとして誕生 1956年から1965年の間に生産されたというから1957年産の私と同年代)

 

 ということは、我が敬愛するブログ友のnobuさんのように前歯が欠けた人はサックスは永遠に吹けないということだろうか。

(勝手に転載しちゃいました ど~もスミマセン)

 

 そういえば高校生の頃よく通った雀球屋に右の親指がない店員がいた。見るからにドスのきいた若者で、「きっとイカサマ麻雀で指つめられたんだぜ」と級友たちと噂しあったが怖くて誰も確認できなかった。あれから50年、おそらく彼もサックスを楽しむことがない人生を送ったことだろう。

 

 そんなことを考えていると(サックスに集中しろっての)、あっという間に1時間のレッスンは終わった。

 

(8枚つづりのレッスンチケットをもらった)

 

 次のレッスンは八ヶ岳南麓から帰ってくる3月の半ばになる。

 それまでせいぜい無人の曠野で音だしに励むことにしよう。

 

「オレも同感だぜ、ブラザー」

「一緒にすんな、っての」

 

               

(ヤマハYAS-62「YAS」はYamaha Alt Saxの略の模様 テナーサックスは「YTS」だから間違いないだろう なおサックスをこの向きに置くのはNG)

 

 どうやら音が出るようなので、アルトサックスを買うことに決めた。

 いろんな意見を総合すると、数万円で買える中国製やメルカリの中古品なんかはリスクが高いらしい。まして「ご自由にどうぞ」は論外である(汗)。

 

 無料レッスンを受けた古野先生のお勧めはヤマハYAS-62、またはヤナギサワAW-01だが、値段を見てオッたまげた。YAS-62はなんと35万円もするではないか。

 

(こわくて直視できない 吉祥寺島村楽器にて)

 

 私がこの10年で買ったもので一番高いものはクルマを除くと2022年夏に購入した中古のゴルフクラブセットで全部で15万円くらい。

 次に高いものはノースフェイスの防寒コートとホームカラオケ用ニンテンドースイッチの4万いくら、あとはせいぜい1万円程度のチマチマしたものばかりだから、35万円というのは想像を絶する高さである。

 

(30万円位でビビっているようでは大物にはなれません 新大久保山野楽器にて)

 

 廉価版サックスでお勧めなのが同じくヤマハのYAS-280というヤツでこちらは15万円ほど。

それでも高いがサックスをやる以上この出費はミニマムということらしい。

 

 さあどうするか。これからお世話になる三浦先生に相談した。

「280で問題ないですが、音が軽いので何年かすると飽きるかもしれません」

「先生、サックスをやれるのもせいぜいこの先10年ですから、飽きる前に死んじゃうと思うんです」

「・・・(確かに歳が歳だからなあ)」

「ちなみに先生はどんなの使ってるんですか」

 

 先生が使っていらっしゃるアルトサックスはヤナギサワのナンとかいうビンテージモデルで、なんと1950年代に製造されたものだという(先生はテナーサックスが専門でアルトは趣味に近いらしい)。

 きちんと手入れをして、愛情を注いで大切に扱えばこの子たちは70年経っても立派に使えます、とのこと。

 

 う~む。

 偶々家にやってきた次男に、

「オレが死んだら形見のサックスを使う気ある?」と質したが答はNO。

 ならばと長男に聞いたところ、やってもよさそうな雰囲気だった。私はちっとも知らなかったが、長男は中学時代にサックスをやっていたという。

 

 203×年の春

 プププ、ププ~プププ~ 

 I'm in a NewYork state of mind~

 山梨県内の寂れた墓地にサックスの音色が響き渡った。喪章を巻いてアルトサックスを吹いているのは故人の息子だろうか。

 207×年の秋

 プププ、ププ~プププ~  

 何十年かぶりに再び墓地にむせび泣くようなサックスの音色が流れた。

「なんて曲」

「Newyork state of mind。ビリージョエルって人」

「ステキなメロディ。ずいぶん年代モノのサックスね」

「オヤジの形見だけど、40年前にじいさんからもらった形見らしいんだ」

「私たちの子供にもサックスやらさないとね」

 

 いい話じゃないの。

 孫やその子供たちが吹くのはやっぱり少々高いサックスじゃなきゃ。

 

 そんなわけで三浦先生の案内で新大久保へ。

 目指すは山野楽器「ウィンドクルー」。何故ここ?というと先生のレッスン拠点のひとつがここ新大久保だから。もうひとつここには「山野楽器リペアセンター」があって、これから先メンテナンスの時には新大久保に足を運ぶことになるので万事都合がいいらしい。

 

 

(楽器店は山手線沿いの路地を入った果物屋の上)

 

(リペアセンターは楽器店向かいアジアンマーケットの上らしい)

 

 先生からの事前の連絡で防音室には4台のアルトサックスが待ち構えていた。

 

(手前からYAS-380、YAS-480、YAS-62、ヤナギサワAW-01 横に寝かせる時はこの向き(=ボタンが見えにくい方を上にする)にしないと繊細な箇所が傷みやすいという)

 

「これを高い順に並べるとどうなりますか」

「ふふふ。奥から高い順に並べてます」と店員さん。

 

 ぱっと見ヤナギサワはちょっと赤味がさしていて妙に艶めかしいのでパス。

 残りの3台をまずは三浦先生に吹いていただいた。

 上手い(当たり前だ)。

 上手いが私には楽器の違いが殆ど理解できなかった。

 

 先生に促されて3台を吹き比べてみたが、やはり目クソ鼻クソである(クソはオマエの方だろ~、とサックスの声)。

 先生によるとこの中では62がよい音を出している由。個体としてもいい出来とのことなので62に決めた。

 ゆるふわ66歳にしてアルトサックスのオーナーとなった瞬間である。

 

 リペアセンターで微調整を終えた愛機を三浦先生が再びテストしてくださった。

 

 プーパ、プーパ、プーパパッパッパッパ~

 Oh pretty baby, don't bring me down I pray・・・

 流れてきたのは将来の目標曲として先生に伝えた「君の瞳に恋してる can't take my eyes off you」だった。

 

(さすがプロ 思わず聞きほれた)

 

 この曲がリバイバルヒットしたのは1982年のこと。おそらく先生が生まれる前のことだから、私のためにわざわざ覚えてくれたのだろう。

 ああ、ありがたや、わが師の恩。

 

 次のレッスンが待っている先生とはここでお別れしてリード(別名ソフトクリームの木匙)だの、サックスをぶら下げるストラップ(付属のヤツはショボすぎるらしい)、管の中をシャカシャカ掃除する越中ふんどしのような布だのを買って店を出た。

 蛇足ながら日本で唯一のふんどし専門店が東上野にある。

 

 これでカッコだけは立派なサックスプレーヤーの誕生だ。

 レッスンはいよいよ週明けから始まる。

 

               

(小谷城址より 琵琶湖上に竹生島を望む 手前の小山は羽柴秀吉が小谷城攻めの出城を築いた虎御前山)

 

 前の晩胃の苦しさで殆ど眠れなかった私は朝メシを食えなかった。

 上からでも下からでも、詰め込んだ食い物が出てしまえば多少は楽になるのだろうが、すっかり不貞腐れた胃腸はピクリとも動かない。

 

 

(鍋で出てきたなめこ汁だけ味わった)

 

 一方のデカちんは私の苦しみをヨソに旨い旨いとこれでもかとばかりメシを食った。

「旨いですよ。ホントに食べないんですか」

「残したら宿に悪いからよかったらオレの分も食ってください」

「そんなあ。・・・じゃいただきます」

 

(朝から二人分を平らげてすっかりご満悦)

 

「どうしちゃったんですかねえ。大丈夫ですか」

「トルティーヤを4個食ったのがよくなかったんだな~」

「・・・」

「一人で4個食ったからさ。一人で4個。ひつまぶし太巻きも4つ」

「それもあるでしょうけど、新幹線で弁当食べてそれからモーニング食べたのもよくなかったんでしょうね~」

 責任を追及しようとする私と、それをはね返そうとするデカちんのラリーはこの後何度も行われた。

 

 宿の女将に挨拶を済ませて送迎バスで岐阜駅へ。

 バスの中で身じろぎせずに縮こまっていたが事態は一向に改善しない。デカちんの運転するクルマで彦根城に向かう間も助手席で達磨状態になっていた。

 

 彦根城の駐車場にクルマを停めるとおっちゃんが走ってきた。

「あんな、天守閣はな、耐震工事中で今日は登れまへんで~」

「せやろか」

「せやせや(そう言ってるがな)」

 

(これだ!)

 

「天守閣に入れないなら止めておいた方がいいです」

「でも城の周りを見物するだけでもいいんじゃないの」

「私は何度も来てますから、ゆるふわさん次第です」

 

 そうだったのか。

 デカちんは昨日の長篠古戦場も一度訪れたことがあるとのことだった。

 結局のところ今回のセンチメンタルジャーニーで気の優しい彼は私の運転手役を引き受けてくれたということらしい。

 

 ああ、ありがたや大男。

 昨日来の私の殺意はものの見事に氷解していった。

「じゃあパパっとその辺を見物するから、どこかで昼メシ食っててください」

「いえ、お供します。そんなことになるかもと思って朝飯をた~っぷり食べましたから。あははは~」

 どこまでも優しいデカちんさん。

 

 彦根城は関ケ原合戦後に井伊直政が上州箕輪から石田三成旧領佐和山に転封された際、佐和山城に代わる新たな居城として建造に着手、直政没後の1606年に落成した。

 井伊直政は遠江の落魄した名門の生き残りながら運よく家康の小姓となり、槍遣いから一軍の将にまで累進、徳川軍の先鋒を常に承る(「井伊の赤備え」=同様の役割を担っていた武田家山県昌景の家臣団を受け継いだ)という栄誉を与えられた。

 家康から見ると、松平家の怪しげな出自やら先祖の胡乱なふるまいやらをよく知る三河以来の小うるさい家臣団より新参の直政の方が遣い易かったのだろう。

 彦根藩30万石は徳川家家中で最大、また築城から幕末まで一貫して井伊家が領主だったことも稀有の存在である。

 

(国宝彦根城天守閣 天守閣が現存する14城のうち国宝に指定された天守は彦根城・犬山城・松本城・姫路城・松江城の5城)

 

(眼下に彦根の町並みと琵琶湖を望む)

 

 腹が相変わらずパンパンで歩き回ったせいか気分が悪くなってきた。

「そろそろ帰りましょうか。小谷城はまたの機会にして」

 そうはいかない。

 デカちん氏がこの旅で唯一楽しみにしていたのが小谷城址だから。

 

 彦根から小一時間で小谷城址に着いた。

 

(山道の駐車スペースから本丸跡までは400mほど)

 

 小谷(おだに)城は1520年代に北近江の豪族浅井亮政が築城、その後久政、長政に至る浅井家三代の居城であった。

 浅井長政は1567年に織田信長と同盟、信長の妹(お市の方)を娶って姻戚となる(同盟時期には諸説あるが信長が足利義秋を越前から迎えた1568年以前であることは間違いないらしい)。

 その後1570年に至り長政は突如信長から離反、姉川の合戦などを経て1573年8月に小谷城は落城、浅井家は滅亡した。長篠合戦のわずか3か月後のことである。

 兵農分離が行われていなかった戦国期において、戦闘専門集団を擁する織田軍が他を圧する抜群の機動力を持っていたことが窺われる。

 

 小谷城は戦後浅井攻めに功があった木下秀吉に与えられたが、秀吉は交通の要衝である長浜に新たに城を構え、小谷城は廃城となった。

 

(本丸跡を巨漢が往く)

 

 小雨の中岐阜駅に戻った時には辺りはすっかり暗くなっていた。

 デカちん氏とのお別れの盃をあげたいが、とてもそんな体調ではない。

「最後の旅がこんなザマになって残念です」

「最後って?」

「だって3月末でいよいよリタイヤでしょ」

「あははは~」

デカちん氏は巨体をゆすって大笑い。

「そういうことだったんですね。残念ながら私が辞めるのは来年の3月末ですから」

 

 そうだったの。

 じゃあ来年リベンジだ。 

 

               

 

 一行は岐阜駅まで迎えに来てくれた送迎バスで奥美濃神明温泉「すぎ嶋」へ向かった。

「すぎ嶋」は全国に159軒ある「日本秘湯を守る会」の会員宿である。

 ちなみに我が山梨県では「赤石温泉」と「裂石温泉雲峰荘」の2軒が会員宿となっている。また東京都にも「蛇の湯温泉たから荘」の1軒だけが存在している。

(2023年10月 赤石温泉の記事)

 

(これは2021年)

 

 こうやってみるといかにも「秘湯オタク」という印象だが、秘湯の会会員宿に宿泊するのはこれが3軒目。もともと風呂ギライだから仕方ないでしょ(←開き直り)。

 

 岐阜駅に着いたのは送迎バス出発の間際でどこぞでメシを食うゆとりはなかった。

 止むをえず地元の怪しげなコンビニでチキンカツサンドを買ったのだが、朝から不味いものばかり食っているので質・量ともこれだけでは足りそうもない。

 ふと目についたのは4個入りトルティーヤ。デカちんと半分こすればよい。

 地鶏弁当を購入したデカちんがおお、と私に示したのが「ひつまぶし太巻き」。話のタネに食いましょうか、という風情だったのでこれも購入した。

 

 お客さん二人だけを乗せた送迎バスは50km離れた宿へ向かった。

 車中でチキンカツサンドを缶ビールでやっつけ、デカちんに食う?と促したがトルティーヤは要りませんとのことなので無理やり4個胃袋に詰め込んだ。

 

(高齢のお客さんが多いせいか途中二度のトイレ休憩があった)

 

 残ったのり巻きをホレ、とデカちんに勧めると2個食っただけでもう結構とヌカす。やむなく

(←食い物を残すという習慣がない)残りの4個をこれまた無理やり胃袋に詰め込んだ。

 この時点で私の胃は以後の消化活動をボイコットすることに決めたらしい。

 

「すぎ嶋」は想像以上に大きな宿だった。新潟の古民家を移築したという本館からあちこちに建物群が伸びている。

 

(いくつかある休憩コーナーの一画にエミールガレ風のランプが)

 

(サインはガレっぽいが「Gibbon」とか「Dobson」みたいな匂いもする)

 

 館内には露天風呂つき大浴場と2つの貸切り露天風呂がある。

 貸切り風呂は1時間単位でそれぞれ1回借りられるのだが、この日のお客さんは5組とのことで空いていれば何度入っても構いません、とのこと。風呂好きにはうれしいサービスだ。

 

 

(本館から竹林を下っていくと)

 

 

(こじんまりした貸切り露天風呂 アルカリ単純泉ながらPH8.9のトロトロの湯)

 

 さっぱりしたところで待ちに待った晩メシである、といいたいところだが、胃がとてつもなく重い。長い廊下を案内されて囲炉裏が切られた個室へ。

 

(アマゴ(ヤマメの同族)の醤油漬け焼きが出迎えてくれた)

 

 今宵の酒は途中で買った岐阜の地酒。

 部屋飲みはオーケーだが食事の場所で飲む際には持ち込み料1000円、とのことだったが二人がかりで女将さんを蝶よ花よとヨイショして2本で1000円にしていただいた。

 ナリのデカいデカちんが愛想をふりまくと、本人の素性をよ~く知る私ですら思わずニッコリしてしまう。さすがデカちん、お嬢さんばかり4人の子持ちはダテではない。

 

左:「蓬莱」純米吟醸(飛騨市渡辺酒造 八ヶ岳南麓「森のやまびこ」に置いてある)

右:蔵出し純米「黒松白扇」(賀茂郡川辺町白扇酒造)

 

前菜:コゴミ胡桃味噌、長良川鱒寿司、子持鮎有馬煮、イワナ辛子醤油和えなど

 

お造り:長良川大鱒あぶり、イワナ湯引き、アマゴ どれも美味

 

(A5飛騨牛のモモとサーロイン)

 

 すごいご馳走だ。

 このほかにもお椀、焼き物、おしのぎ(手打ちそば)、揚げ物(イワナあられ揚げ)、鍋(イノシシ鍋)、雑炊、デザートと満艦飾。

 デカちんは旨い旨いと端から片づけていくが、私は腹が苦しくて箸が進まない。

 食べないんですか、いひひ、と物欲しそうなデカちんに食わせるのも業腹とばかりロクに味わいもせずに胃袋にたたき込んだ。

 

(汁物のほうが比較的楽に胃袋に収納できた)

 

 こちらの宿は一泊二食で2万円。2023年秋に訪れた赤石温泉の倍の値段だが、それなりの価値はある。

 

 部屋に戻ってから、その後長く続くことになる苦しみが始まった。

  

               

(長篠城遠景 三方が宇連川・豊川の断崖となっている)

 

 かつての同僚デカちん氏とのセンチメンタルジャーニー初日の目的地は長篠合戦古戦場。

 朝5時過ぎに家を出て待ち合わせの豊橋に向かった。

 

 待ち合わせ場所はグーグルマップで調べて駅前のシャレた感じの喫茶店にした。

 名にしおう名古屋のモーニングを食うのが楽しみだが、それまで空腹を我慢できそうもないので東京駅で弁当を買った。

 

(画像と記事は一切関係ありません)

 

 不味い。

 昨年米原で買った駅弁に次ぐ不味さであるが、所詮前座だから腹も立たない。豊橋モーニングの期待がいやましに高まった。

 

 

(銀だらも大したものではないがつけ合わせの不味さよりはマシ)

 

 8時前に着いた豊橋駅は想像よりはるかにショボい街だった。

 喫茶店も駅前に一軒だけで、スペースインベーダーとかがありそうなレトロな佇まいであった。

 

(画像と記事は・・・ 以下同文)

 

 タバコ臭い店内には徹夜で遊び呆けたと思わしき男女が3人。

「モーニングはどんなのありますか」

「モーニングは『モーニング』だけです」

「・・・」

 

 やがてやって来たモーニングは安いので文句を言ってはバチがあたるとはいえ、なんともショボかった。

 

(まあ440円だからね)

 

 ボソボソとモーニングを食っていると窓が突然暗くなった。窓越しにデカちん氏がニタニタとこちらを覗いている。

 私は家で食ってきました、というデカちん氏は私のモーニングを一瞥し、

「ゴージャスなモーニングって元々岐阜が発祥なんですよ」

「・・・」

「名古屋までそれは伝播したんですが、豊橋までは伝わってないです」

 いひひ、と笑うデカちんに私が殺意を覚えたのはいうまでもない。

 

 さびしいメシを終えてカーシェアの置き場へ。

 いよいよ長篠古戦場に向けて出発だ。

 

(隣のクルマが小さく見えま~す 意味もなくデカいデカちん)

 

 デカちんの運転で一路設楽ヶ原古戦場へ。わざとではないが、運転免許証を忘れた私は気楽なものだ。

 曇天で雨がいまにも降り出しそうで、かつてここで合戦が行われた時も同じような雲行きだったことだろう。

 

(復元された馬防柵) 

 

 

(両軍が対峙した連吾川はショボい小川 当時もこんなものだったのだろうか)

 

 設楽ヶ原は想像よりはるかに狭隘な土地だった。騎馬戦にはいかにも不向きなこんな場所に何故武田軍は進軍してしまったのだろう。

 

(馬防柵から武田軍側を望む ○の辺りが武田勝頼観戦地)

 

 今度は武田軍側から眺めてみようと勝頼公観戦地へ。

 

 

(残念ながら現在は杉の疎林に阻まれて視界は開けていない)

 

 観戦地は設楽ヶ原とは指呼の距離だから、山県勢、小幡勢などが次々に壊滅する一方で穴山信君、武田逍遥軒といった一門衆が早々に戦場から離脱していくのも勝頼公にはよく見えたはずだ。

 彼ら一門衆から見ると勝頼は所詮妾腹の子、しかも武田に滅ぼされた母親の実家(諏訪家)をいったん継いだヨソモノだったのだろう。

 

「他家の家督を継いだものは後継にはなれない」というのは当時の常識だったようだ。

 事実信玄公はその遺言で、

・ 武田宗家の家督は勝頼嫡子の信勝(当時7歳)に継がせる

・ 信勝が16歳になるまでは勝頼を陣代(後見人)とする

・ 勝頼は陣代に過ぎないから戦にあたって武田家の旌旗を使用してはならない

と定めていた。

 長篠合戦の折信勝は9歳。次第に迫る己の賞味期限に勝頼は成果をあげることに血道をあげていたのだろう。

 そんな勝頼が滅んだのは長篠合戦から9年後。父とともに自刃した信勝が奇しくも16歳を迎えた時だった。

 

 つはものどもが夢のあと。

 そんな感慨に浸りながら長篠城址に向かった。

 

(お調子モノが鳥居強右衛門ポーズを決める)

 

 わずか500の城兵で城を守り切った奥平信昌の成功譚には鳥居強右衛門の犠牲のエピソードが欠かせない。

 長篠城落城が旦夕に迫ったある夜強右衛門は厳しい包囲の目をかいくぐって織田・徳川本陣まで参じ、窮状を訴えた。

 信長はこれを引見、一両日中には長篠城後ろ巻き(救援)に駆けつけることを伝えたところ強右衛門はその朗報を即刻城兵たちに伝えるべく再度的中突破を図ったが、途中武田軍に捕らえられてしまう。

「『後ろ巻きは来ない』と城中に告げればオマエの命は助けてやる」と言われた強右衛門はこれを快諾したが、長篠城の眼前に引き出された強右衛門は声高に城に向かった叫んだ。

「お屋形様の後ろ巻きはそこまで来ている。あと一日の辛抱だ」

 

 怒り狂った武田軍によって強右衛門は城兵が見つめる前で磔刑に処された。

 

(長篠城本丸跡から強右衛門磔刑の場所を望む この距離なら強右衛門の励ましも強右衛門の断末魔の様子も手に取るように分かったことだろう)

 

 

(磔刑地から長篠城を望む 籠城する朋輩たちの顔がかすかに見えたはずだ)

 

 戦後奥平信昌はかねての約定通り家康の娘をもらい徳川一門衆として幕末を迎える。

 忠臣強右衛門の子孫は奥平家で代々要職につき、これも無事幕末を迎えてその末裔は現在に続いている。

 

(強右衛門の見事な最期は敵方の武田軍も感銘させた 武田家中落合佐平治は本人の了解を得て強右衛門磔刑図を自身の旗印にした)

 

 一行は長篠古戦場を後にして一路豊橋へ。

 ここから岐阜に向かい今宵の宿を目指した。

  

               

(アルトサックスヤナギサワA-901 私には分からないが名器らしい)

 

 5000日カウントダウンの初日(=クリニックに行った日)、サックスの無料体験レッスンを受けた。吉祥寺の貸スタジオで待ち合わせたA先生は女性で私よりはるか~にお若い。

 

(貸スタジオはキンテツ裏 ついさっき天重ざるそばセットを食った店のすぐ近く)

 

 先生が用意してくれたアルトサックスで手ほどきを受け、さっそく課題曲の Imagine にトライした。

 ソソソ、シーシーラー、楽譜がないので先生のリードで吹いていく。

 

「イマジン、いい曲ですね。これを選ばれた理由はなにかあるんですか」

「ヒマジンにはこれが一番かと思いまして」

「・・・(昭和のギャグだよ、それ)」

 

 1時間の体験レッスンを終え、A先生にお世話になることにした。明るくて教え方も丁寧、楽器を貸していただけるのもありがたい。

 最大の決め手はチケット制である。曜日を固定せずA先生の都合がつく範囲で好きな日時を選べる。二拠点居住の私にマッチしたレッスン形式だ。

 仮に月に2回、15日ごとにレッスンを受けるとすればこれからの5000日で300回ほど先生にお目にかかることになる。レッスンの前には必ず風呂に入るとか、身だしなみにも気をつかわねばなるまい。

 

 この後もレッスンがあるというA先生とスタジオで別れて赤坂に向かった。

 目指すは四川料理の名店「同源楼」。シイタケ友のBさんに連れていっていただいた店である。

 

 今宵の相方は高校時代の級友C君、D君。

 11月に八ヶ岳南麓に来てもらって以来だから、彼らと会うのは100日ぶり。このペースでいくと、これから先彼らに会えるのはせいぜい50回というところだろう。

 

 まずは「蒜泥白肉(豚バラ肉ニンニクソース)」から。

 

(これで900円位だから人気店なのもうなづける)

 

 旨い、旨いと大喜びのC君は皿のソースも残さず食ってしまった。

 確かにこのソースでメシが2杯は食えそうだ。

 

(なんかカブっている感もあるがこっちはチャーシュー入り)

 

 もうオレたちに残された時間は5000日だよ、5000日。ボンヤリしてたらあっという間だよ、

毎日モトを取らなくちゃ。

 そんなことを力説していると次第に場は暗~い雰囲気になってしまった。

「よし、店で一番高い紹興酒を飲もう」

 C君が怪気炎をあげはじめたが、まあいいでしょう。

 

(海老とライチの炒め物 一見イロモノという感じだが実に旨い この組み合わせを思いついた人は天才だ)

 

(ナンとか油麻辣沸騰油(白身魚のアヒージョみたいなもの)

Bさんによると赤っぽい油を使う店はあちこちにあるが白い油で作るのは日本ではここだけとのこと

丁寧に唐辛子をすくってくれた女将さんによるとこの唐辛子は不味いので食わない方がよいとのことだったがどれどれと試したC君は大層後悔していた)

 

 水餃子や定番麻婆豆腐を食ってカラオケへ。各人各様ながら、誰もがこのまま別れるのはなんとなくさびしいような心持ちになっていたのだろう。

  

 

(昭和のおじさんは選曲もシブい)

 

 音楽に始まり音楽に終わったカウントダウン初日。

 新たな出会い、長いつきあいの友、そして四川料理。

 船出にふさわしい幸先のよい一日となった。

  

               

(画像と記事は全く関連ありません)

 

 先日の更年期ドックの結果を聞きに吉祥寺のクリニックに足を運んだ。

 出てきたのは女医さんだった。

 このクリニックでバイトしてカネを貯めて、いずれは「国境なき医師団」に行きそうな溌剌とした感じの先生である。

 

 挨拶が済むなり先生は検査結果を見せてくれた。テストステロン値は7.1

 

(これだ 前立腺ガンの予兆もないとのこと)

 

 説明によると「遊離テストステロン」検査は、

 正常値 11.9pg/ml 以上

 境界値 8.5~11.8pg/ml

  低値   8.4pg/ml 以下  

ということらしい。

 

「先生、ということは」

「基準値よりは下、ということです」

「じゃあ保険でホルモン注射打てるんですね」

「打てます」

「やった~。保険適用でラブ注入!」

「・・・(古いな~)。男性ホルモン不足で起きる症状はご存知のとおりいろいろありますが、ゆるふわさんがその中で今一番苦しんでいる症状はなんですか」

「う~ん、ハゲかなあ、それとも晩メシのあとに眠くなることが一番かなあ」

 

「ゆるふわさん」

 先生は襟を正し(そんな感じ)、言い聞かせるように説明を続けた。

「ホルモン注射は男性ホルモン不足のせいで苦しんでいる方のためのものです。日常生活で特につらいことがないのでしたら、副作用もありますから私としてはお勧めしません」

 ほら、とさらに見せてくれたデータによると、私の年齢で7.1というのは決してひどい値ではないらしい。

 

(66歳9か月だとちょうど中央値くらいか)

 

「つまり年齢なりに老化した、ということですね」

「そうです」

「う~ん、でも1万5000円払ったからなあ。記念に1本くらいはなあ」

「このまま様子を見て、なんらかの苦しい症状が出たらそれから打ってもいいですし」

「でもまた1万5000円取るんでしょ」

「安心してください、いただきません」

 

 そういうことなら、ということでクリニックを後にした。またしても「損こいた~」感がヒシヒシとこみ上げてきて、歩いて帰ることに。

 

 それにしても一昨年法令上の高齢者となった時には「まだまだこれから」、と思っていたのだが、肉体の方もちゃんと高齢者になっていたわけだ。

 

 これからは一日一日を大切に生きていかねばなるまい。

 まずは80歳になるまでの5000日をめいっぱいがんばろう。

 悔いのないように食いたいものを食い、行きたいところに行こう。

 

 「キンテツ裏」を通ると以前立ち寄ったお好み天ぷらの店が開いていた。

 5000日カウントダウンの初日だから今日はハレの日だ。本当ならカツ丼セットを食いたいところだが妥協して天丼セットを食うことにした。

 

(キンテツ裏「うな天」ここはやはり「天重ざるそばセット」でしょ)

 

 さっそく店に入って天重ざるそばセットを注文した。

「天重の穴子は海老かキスに換えることもできますけど」

「う~ん、穴子は捨てがたいなあ」

「海老、キスの追加トッピングもできますよ」

「じゃあ両方追加で。今日はハレの日だからサ」

 カウンター越しに目が合った大将が、量が多いからどっちか1個にした方がいいです、というので泣く泣く海老はあきらめた。

 

(天重ざるそばセット キストッピング 野菜サラダなんてなくていいのに)

 

 天重はキス、穴子、イカ、ナス、オクラの満艦飾だが、その下にひっそりとカボチャとサツマイモが隠れていた。ったく、余計な猥雑物を入れるから量が多くなるのである。

 イヤなものをまず先に片づけるタイプの私はサラダとカボチャ、サツマイモを平らげた。まるでウサギの気分である。

 ちなみにイヤなものを残す、という選択肢は私の脳裏には、ない。

 

(天かすじゃなくてサックスの「ご自由にどうぞ」に出くわしたい)

 

 これからの5000日=昼メシだけで5000回。

 この際全部ハレの日にしちゃおうか。 

 

(本当ならこのロードマップにリニア新幹線が加わるはずだったのに)

 

               

(吉祥寺パルコ内「島村楽器」)

 

 この日の無料レッスンは吉祥寺「島村楽器」音楽教室。

 講師は武田先生という美しい女性である。

 

(左側の方)

 

 前回の山野楽器のレッスンより音が出ない。楽器のせい、講師のせいというよりその日の体調にも左右されるのだろう。女性講師でちょっとドキドキしたのも原因かもしれない。

 

 山野楽器の古野先生、島村楽器の武田先生、さあどっちにするか。

 結論からいうとどっちもヤメにした。どちらの教室も曜日固定制で、山野楽器の場合毎週木曜日の月2回。島村楽器も似たようなものだ。

 東京と八ヶ岳南麓を行ったり来たりする私にとっては曜日固定はすこぶる都合が悪い。古野先生はレッスン予定日が都合が悪い場合にはご自分のスケジュールが空いていれば別の日にずらすことも相談に乗ります、とのことだったが島村楽器は「その場合は欠席扱いになります。月謝は返しません(キッパリ)」とのつれない返事であった。

 

(島村楽器にはアルトサックスの教則本がずらり 結構人気がある模様)

 

 やはり都合のいい時間を選べる個人教授を探すのがよさそうだ。

 そういえば古野先生が演奏するライブハウスでサックスレッスンが受けられる、とあった。1時間5000円で平日午後の好きな時間にプロミュージシャンのレッスンが受けられる由。

 

 ふ~む。

 なにも阿佐ヶ谷なんて遠隔地までノコノコ行かずとも近隣に先生がいたりするのでは、とググってみるといらっしゃいました。吉祥寺にお二人。

 お二人とも授業料その他ほぼ同じ条件だが、片方の先生は楽器を用意してくださる由。さっそくこの週末に無料レッスンを受けることとあいなった。

 

 これですんなり決まればめでたしめでたしだが、はたしてどうなるか。

 

(この日の東京は無風快晴 木の芽時も佳境に)

 

               

(ブログ記事と画像は一切関係ありません)

 

 今年もe-TAXによる確定申告を無事終えた。

 かつては脳ドックに行けるほどの税金還付があったのだが、収入が減ったせいか還付額は年々先細りで今年の還付は1万7000円ほど。

 

「さあこの浄財をどう使おうか」と思った時に、パッと浮かんだのが男性ホルモン(テストステロン)注射である。

 

 私が男性ホルモンの減少を意識したのはおよそ4年前のこと。雑誌に載っていた自己チェックリストの全てが「該当する」だった。

 

(「NHK健康チャンネル」より ①または③に該当する、または全体の3つ以上が該当する場合

「男の更年期」の可能性が高いとのこと 私の場合特に顕著なのが⑨)

 

 とりあえずは亜鉛のサプリを飲んだりしてみたが、効いている実感はない。

 2022年夏に狭心症の発作を起こしてからこっち、悪玉コレステロール(LDL)を減らす薬を毎日飲んでいるため今では私のLDL値は下限を下回っている。悪玉といえどもコレステロールはホルモンの生成に欠かせない物質だから、おそらくそのせいでなけなしの男性ホルモンがさらに枯渇しているに違いない。

 

(同上 男性ホルモンは女性ホルモンと違ってドカンと減ることはないのでその影響は見過ごされがち)

 

 ググってみると家の近くに「自由診療更年期ドック」なるものをやっているクリニックが見つかった。

 テストステロンの分泌量を検査し、必要であれば男性ホルモン注射を施してくれるという。

 お値段は1万5000円。少々高いが確定申告の還付額とほぼ同じなのでさっそくドックを予約した。

 

 血液検査を11時までにやる必要があるのでその時間にお越しください、ということでこの日

クリニックへ。

「すみません、午後用事があるんですが、診察にはどれくらい時間がかかりますか」

「採血だけですから5分ほどですね。すぐお呼びしますからそこでお待ちください」

 

 診察室に入ると男女の看護師さんが迎えてくれた。男性は「よくある質問回答係」風、女性は朗らかでいかにもな感じの看護婦さん。

 

よくある問答風景:

「採血の結果次第でテストステロン注射を打つかどうか決まるんですか」

「そうです」

「テストステロン注射を打たない場合カネはいくら返ってきますか」

「行ったきりで帰ってきません」

「行ったきりなら幸せになるがいい~。・・・それはおかしいでしょ」

「1万5000円は採血検査の費用なんです」

「ギョギョ。じゃあテストステロン注射を打つとまたカネ取るんですか」

「そうです。検査の結果必要ありということになれば保険診療になりますけど」

「採血検査をせずにテストステロン注射を打てないですか」

「打てません。自由診療の採血検査がおカミから義務付けられています」

 

 そうだったのか。それにしても高い。やっぱ止めちゃおうかな。

「当クリニックは良心的ですよ。4、5万円とるクリニックもありますから」

 う~む。

 医療財政破綻寸前の今日、「患者を自由診療に誘導して医療費の抑制を図りつつ医者の収入も確保する」という施策は国策に適っている。

 そんなわけでおとなしく採血を受けることにした。

 

 採血を終えると「損こいた~」感がヒシヒシと押し寄せて来た。せめて電車賃だけでも浮かそうとキンテツ裏をトボトボと歩いて帰った。

 

(キンテツ裏はラブホテルやら焼肉屋が多い 男性ホルモンが全身にみなぎっている人たちの世界)

 

 そういえば腹が減った。

 ふと見ると和牛専門というレストランのような、バルのような店が。

 

(和牛専門店「罪深き肉」というのが店名か)

 

 店先のメニューを見るとカレーがあった。これは食わずばなるまい。

 

(中はこんな感じ)

 

 せっかくの「罪深き肉」だ。

 カレー+和牛ステーキトッピングを注文した。しめて1500いくら。

 還付金がこれでちょうどなくなる見当だが、電車賃を浮かせつつ和牛のトッピングを頼むあたり、自分でも自分のことがよくわからなくなる瞬間である。

 

(まずはサラダと筋肉スープが登場)

 

 待つこと30分、和牛ステーキ載せスパイスカレーがやってきた。

 

 

 旨い。

 旨いが、肉がみかけ以上に硬い。

 男性ホルモンは枯渇するし、肉は噛めない。

 思えば遠くに来たもんだ。

 

 血液検査の結果が出るのは一週間後。

 はたして我が体内にテストステロンは残っているのだろうか。

 

(長嶋一茂氏によるとこんなもん飲んでもテストステロンはおいそれとは増えないらしい)

 

               

 

 アルトサックス無料体験の日を迎えた。目指すは吉祥寺東急百貨店向かいの雑居ビルにある「ヤマノミュージックサロン」。前回のブログで「ヤマハミュージック・・・」としたのは誤りです。ど~もスミマセン。

 

 この日ド素人につきあってくださったのは古野充晴先生(冒頭の写真)。

 繊細な印象でぱっと見気弱なサラリーマンに見えなくもないが、れっきとしたプロミュージシャンである。キャノンボール・アダレイというよりかは、グローバーワシントンJrなんかの系統だ(←見かけだけの話です。ど~もスミマセン)。

 

(先生のプロフィル ネットでみつけたどこかのライブハウスのHPより)

 

「まずはこれを吹いてみてください。こんな感じです」

 先生の口元からプオ~という凄まじい音が発せられた。

 どれどれと先生から渡されたマウスピースにリード(アイスクリームを食うための木匙みたいなやつ)を取りつけたものをこれでもかとばかりに吹いてみたが、ズズズ、ズビズバとマウスピースの中にツバキが飛び散る音だけで何の音もしない。

 

 やっぱり音楽には向いてないんだよ。

 

 もう帰ろう、もう帰ってしまおう

 寝静まった街を抜けて~(まだ昼だっての)

 

 そんな思いを繊細な先生は直ちにキャッチしたのだろう。今度はネックをとりつけてちょっとだけ楽器っぽくしたもの、つまり「ブレーメンの音楽隊」とか、豆腐屋のラッパ(今は絶滅した模様)みたいなヤツを渡してくれた。

 

「音を出そうとか思わなくていいです。邪心を振り払って力強く息を向こうに出してみてください」

 半べその私が悪霊退散とばかり息を吹き込むと、あ~ら不思議、ぷぉぉ~と豆腐屋のラッパのような音が鳴り響いた。懐かしい音色、我ながらいい音ではないか。

 

(初めて音が出た瞬間をカメラは捉えていた 古野先生撮影)

 

「出ましたね。いい音ですよ」

「先生、これなら私もいつかキャノンボール・アダレイみたいになれますかね」

「いつか、ね(イケ図々しい人だな~)。努力次第でいつかはなれるかもしれません」

 

 めでたく音が出たところでアルトサックスに初めて触れた。

 まずストラップでサックスを肩からぶら下げるのだが、ストラップが短すぎてマウスピースの位置がおでこの付近になってしまう。

「先生、こういった体型にはサックスは向かないんじゃないでしょうか」

「安心してください、キャノンボール・アダレイだってぶら下げてます」

 

(参考までに キャノンボール・アダレイの吹き姿)

 

 結局先生のストラップ(プロ仕様)を最大に伸ばして使わしていただいた。

 サックスをこう傾けて、左手はここ、右手はこう押さえて、と先生の指示どおりにポーズを決めていくのだが、右手の端っこというか楽器の端っこが腹にあたるのが気になる。

「先生、右手のこの辺りが腹にくっつくんですがこれでいいんですか」

「楽器を身体につけないで、と言われることもありますが私は安定した姿勢で演奏をするという意味では少しくっついているのもアリだと思います」

「・・・(ホントか)」

「・・・(信じてないな)キャノンボール・アダレイもくっつけてますよ」

「先生、それって単に腹が出てるからくっついてるだけじゃないですかね」

「・・・(そうだったのか~)」

 

 さっそくシ、ラ、ソ、と音を出す。

 結構いい音が出ているではないか。

 

(音出してます「八ヶ岳南麓のキャノンボール・アダレイ」が誕生した瞬間)

 

 なしていきなりシなの、と思ったが答はカンタン、課題曲が「アメージング・グレイス」だから。曲の最初の音はレだがこれは指全部を使うのでシから音を出させるらしい。

 

(体験記念にこの楽譜をいただいた)

 

 ところが単音はキチンと出ているのだが、曲として通しで吹くとなると想像以上に苦しくて途中で息があがってしまう。

「すぐ慣れますよ。最初はオーバーブレス(だったかな)で吹き込む息がどうしても強すぎるので疲れちゃうんです」

  

 う~む。

 これは面白い。先生も優しくて好きなタイプだし。

 でもホントにここでお世話になるかはもう1店見てから決めることにした。ことによるとこのステキな先生ともこれが今生の別れになるかもしれない。

 

「先生、ライブのご予定はあるんですか」

「あ、ありますよ」

と下さったのがライブのチラシ。

 

 3月9日に阿佐ヶ谷のジャズバーでライブ演奏をするとのこと。これから先生にお世話になるかは別として、さっそく行ってみることにした。

 

(「ASAGAYA MANHATTAN」阿佐ヶ谷住みの頃からこの店あったんだろうなあ)

 

 かくしてサックス無料体験は成功裡に終わったのであった。