八ヶ岳ゆるふわ日記

八ヶ岳ゆるふわ日記

八ヶ岳南麓大泉と東京を行ったり来たりの毎日。日々のよしなしごとを綴ります。

 

(老母が雲となって1年経った)

 

 ブログを始めてかれこれ4年半になる。

 ブログの最大のごリヤクはボケ防止だが、ブログ記事がきっかけで新たな出会いがあることもうれしいものだ。「ブログ友」は今や「囲碁トモ」、「犬トモ」と並ぶ一大勢力圏を形成している。

 

 もうひとつ、ブログには日記としての役割もある。

 1年前に私が書いた記事を見て、老母が死んでちょうど1年が過ぎたことを思い出した(アメーバブログの場合「1年前にお前が書いた記事はこれだ。少しは反省しろ!」というメッセージが出る)。

 

 2月に納骨.。

 

 4月に相続税の申告と納付。

 

 どうにか死者との決別に伴う2大手続きを終えることができたわけだが、これがもう少し先のことだったら私の体力気力も失われ、果たしてどうなったことかと忸怩たる思いである。

 我が国には100歳以上の高齢者が8万人いらっしゃるという。この方たちのお子さんも相当高齢のはずだから、いざという時にはさぞ難儀するであろう。

 享年91にして、相続人は64歳。母はいい時に死んでくれたのかもしれない。

 

 母は死のだいぶ前から終活に熱心だった。

 そのせいか納骨、相続を除き、面倒なことは皆無であった。唯一閉口したのが「不動産相続の相談承ります」という無数のDMである。

 

 いったい連中はどこで嗅ぎつけるのだろう。母の死を知りうる立場にあるのは、

 老人ホーム

 死亡診断書を作成した医者

 葬儀屋

 死亡届を受理した役所

 年金事務所

 金融機関(銀行、ゆうちょ)

 寺

 税理士と税務署

 司法書士

といったところ。

 

 葬儀屋と寺は多少ユルそうだが、それ以外の当事者は「死亡情報を横流しした」なんてことが発覚したら大問題になるからまずありえない。

 もちろん土地登記簿をひとつひとつ当たれば被相続人死亡の事実を把握することは可能だが、たかがダイレクトメールの発送のためにそんな膨大な手間をかける会社はないだろう。それに無数の会社からDMが来るという事実からしても、「〇〇区死亡情報一覧」のようなものが何らかの形で市中に流通している可能性が高いのである。

 

(DMといっても封筒に入った立派なヤツ)

 

 DMを送ってきた会社に電話して、「どこで知ったのか」と質してみたが、モゴモゴするだけではっきりとは言わなかった。やはり怪しいのである。

 

 DM攻勢は9月になってぱったり収まった。

 8月に相続した土地の売買契約を締結したからだと思われるのだが、これも不思議だ。

 元々土地売買の媒介契約をしていないので、土地が売りに出たこともそれが売れたことも私が声をかけた3社以外は知りようがない(不動産会社と「一般媒介契約」を締結すると売買対象不動産の情報が「不動産流通情報システム(REINS)」に登録され、全ての宅建業者が閲覧できる)。

 

 死せる孔明生ける仲達を走らす

 生者たちの愚かなドタバタを雲になった母は笑っていることだろう。

 

                

(赤キウイ「紅妃」)

 

 この日八ヶ岳南麓大泉はグンと冷え込み、朝6時の気温は3℃。このままでは氷点下になるのもそう遠いことではなさそうだ。

 

(この秋一番の冷え込み)

 

 そんなわけで10月中には採ろうと思っていたキウイをあわてて収穫することにした。といってもわずか2個だけだが、希少なだけに「あ~あ」では済まされない。

 

 収穫に要した時間は約10秒。なんせプチ、プチと枝からもぎとるだけだから簡単至極である。

 採れたての果実にそっと触れてみると、硬い。想像していたよりはるかに硬い。もう少しぶら下げておいた方がよかったかも、と後悔したが後の祭りである。

 

(一緒に採ったピーマン(小サイズ)と比べてみるといかに小さいかが分かる)

 

 ついでにジャングル化したキウイを剪定した。

 太い幹から1本だけ枝を残すようにしてバサバサ刈り込んでいく。この作業にはさすがに15分ほどかかったが、キウイは3年振りに真子さまに会いにいく小室さんのように小ざっぱりした風情となった。

  

(小室さんの頭髪のようにスッキリ)

 

(トマト、コスモスなんかの前にまずキウイの枝を燃やさねば あ~メンド臭い)

 

 さっそく前日買ったシナノゴールドの袋に入れて二週間ほどの追熟にかかる。

 追熟用のリンゴは安くて不味いやつ(不味くなくてもいいんだけど)を買おうかと思っていたのだが、

エチレンガスをキウイに吸われたリンゴはあ~ら不思議、かえって旨くなるらしい(きゃたぴさんありがとうございました)。

 

 てっきりバカ息子(キウイ)に搾り取られる哀れな親(リンゴ)のような関係を想像していたのだが、

リンゴは旨くなり、

キウイは甘くなり、

私は重くなる、

とまさに三方一両

 

 大自然の神秘ここにあり。こんな関係は世の中滅多にあるものではないだろう。

 

(ちょっとエチレン過剰ぎみ)

 

                  

(いかにも寒々しい北岳)

 

 この日八ヶ岳南麓大泉の気温は朝からずっと10℃前後と、この秋一番の冷え込みとなった。いよいよ

本格的なリンゴの季節である。

 

(朝方10℃以上あった気温が次第に下がっていった)

 

 犬トモのAさんが旨いリンゴを置いているという直売所を教えてくれた。「コスモス」という名前の店で、場所は野辺山、ヤツレンのちょっと手前とのこと。

 野辺山というとはるか彼方のように思うのだが、実際の距離は我が家から14km、時間にして15分というところだから、寒風の中さっそく買いに行った。

 

 国道141号をひたすら北上するとほどなくヤツレンに着いてしまった。

 途中看板もないショボい直売所があったのでもしやと思って引っ返し、店番のおばさんに「ここコスモスですか」と尋ねてみると、おばさんはこっくりとうなづいた。

 

 

 (愛想もなんもない店構え)

 

 「旨いリンゴを置いていると聞いてはるばる買いに来ました」

 「・・・・」

 おばさんは店以上に愛想がない。

 「あの、〇〇〇に似てるっておばさんが言ったAさんの紹介ですけど(全然似てないけどな)」

 するとおばさんの顔がパッと輝いた。

 「似てないけどね。リンゴ、試食してごらん」

 おばさんが出してくれたリンゴはシナノゴールド、シナノスイート、秋映(あきばえ)の三種類。この三つをして「長野りんご三兄弟」というらしい。

 

 おばさんは私にリンゴを差し出すとじっとこちらを見ている。

 どうやらこのままかぶりつけ、ということらしいが、そんなに食ったら晩メシが食えなくなるので包丁を貸してもらった。

 

 

 (左:秋映 中:シナノゴールド 右:シナノスイート)

 

 「ウチのはね、ムタイだからおいしいよ」

 「あ~、タイの国技の」

 「それはムエタイ。ムタイだよ、無袋」

 袋をかけないで栽培したリンゴは虫の被害を受けるリスクがあるが太陽光をたっぷり浴びるので甘さが

強まるのだという。

 

(手前の黄色いやつがシナノゴールド)

 

 う~む。

 どれも旨いが、中でも甘さが際立っているシナノゴールドをひと袋(10個入り1100円)買うことに。白菜、カブのデカいやつ(カブステーキにぴったんこ)、ナスのからし漬けなんかもついで買いした。

 

(近所のおばさんがこさえたというナスのからし漬け250円なり)

 

 やがて別のお客さんがやってきたのでお礼を言って引き上げようとすると、おばさんが呼び止めた。

 「試食のリンゴ、持っていきな」

 「ほかのお客さんにも試食させてあげるでしょ」

 「・・・」

 いいから持ってけ、とばかりリンゴ3個をビニール袋に入れて渡してくれた。

 

 標高1300mを超える野辺山の気温は5℃。

 北風が身を切るように冷たいが、なんだかほんわかした気分で家路に着いた。

 

(こんな電飾看板じゃ分からないって しばらく観察していると「りんご」「柿」「松茸」「直売」「とうもろこし」「たまご」など10種類くらいの宣伝に混じってたった一度だけ「コスモス」の表示がでる)

 

                  

 「11月いっぱいまで半額でご飯が食べれます」

 カラオケ友のAさんによると、北杜市は昨年に続き大判振る舞いキャンペーン第二弾をやっていて、市内の加盟店で「PAYPAY」で支払いをすると代金が30%引きになるとのこと。これにPAYPAYが独自にやっている20%引きキャンペーンを加えるとなんと半額になる計算である。

 

(1回の還元額上限は3000円、月累計は2万円まで)

 

 思い立ったが吉日、11月のことは11月に考えればよい。

 そんなわけで食い倒れ週間のフィナーレはキャンペーン参加店のお好み焼き「おにがわら」となった。

 

(店のシンボル鬼瓦が入口で迎えてくれる)

 

 「おにがわら」が八ヶ岳南麓大泉の地で商売を始めたのは21年前の2000年のこと。

 ハマっ子のご主人は理由は定かではないが第二の人生でお好み焼き屋をやってみたくなったそうで、会社を早期退職するとわざわざ広島に渡って修行したのだという。

 そんなわけで、「おにがわら」のお好み焼きは「広島風」と奥様の出身地大阪の「関西風」の二本立てとなっている。そんなご主人も今は裏方で現在厨房を仕切っているのは奥様とお嬢さんだ。

 

 常連のAさんの注文にはよどみがない。

 栄養のバランス、各人のキャパシティを考えぬいた(というほどでもないか)料理が次々と登場した。

 

 まずはカリカリチーズ焼き(名前はよく覚えていないのでテキトー)。

(ビールのツマミに最適)

 

 海鮮三種焼き(同上)。

(ホタテ、海老、カキ これもビールに合う)

 

 季節野菜とソーセージ(同上)。

 かつては季節野菜のみのメニューがあったのだが今はソーセージがお供につくようになった。

 

(普通は野菜の方がお供だが年齢層が高い大泉では主客入れ替わっている) 

 

 イカごろごろ焼き。

(考えてみるとお好み焼き屋というのはまんまビールのツマミ屋である)

 

 腹が膨れてきたので、ビールから白ワインへ、さらに芋焼酎に切り替えたところ、

 「あはは、入れすぎちゃいました」と奥様が運んできたタンブラーには焼酎がなみなみ。

 大泉の店は概してロック系の盛りが多いのだが、あたかも日本酒のように表面張力でかろうじてこぼれないという量はやはり異常といってよい。

 

 やがて本日のメイン、「おにがわら焼き」が登場した。

 肉が入っていないので、ちょっとさっぱりした(ホンのちょっとだけ)味わいである。

 

(焼酎にも合う 日本酒以外ならなんでも合いそう)

 

 さっぱりしたものを食えばこってりしたものを食いたくなるのが人情というもの。

 「カキ入り焼きそば(ソース味)」を追加してもらった。

 

(カツブシがかかっている所を見るとどうやら取り分けた後の写真らしい)

 

 ここまでは何回か食ったことがあるものばかりだが、最後にAさん奥様推奨の秘密兵器「あんこ焼き」が登場した。

 

(あんこをまろやかな皮が包んだクレープ状のスイーツ)

 

 この皮、お好み焼きとは明らかに違う。京都の銘菓「阿闍梨餅」を思わせるまろやかさがある。

 「葛粉、片栗粉・・・」

 「ふふふ。秘密です」

 厨房から顔を覗かせたお嬢さんは教えてくれなかった。

 

 「そういえば Night Market が昨日から古着屋兼タコス屋にリニューアルしましたね」

 「屋号も変わったみたいですね」

 「まだ早いから(8時過ぎ)、ちょっと覗いてみましょうか」

 「そうしましょう、そうしましょう」

 

 物見高い一同はAさんの奥様の運転でさっそく旧 Night Market へ。

 中に入ると洋服が並んでいたりして、なんだか下北沢か高円寺のお店のような雰囲気になっていた。

 

(新しい店の名前は・・・・忘れた)

 

 マスターも服装までそれ風に変えてスタイル一新である。

 ラムトニックをやりながら店長(という感じになっちゃった)に聞いたところ、タコスは昼だけ、夜(~22時

以前は「最後のお客さんが帰るまで」だったのに)は酒は従来どおりだが食い物は軽いツマミを出す程度にしたという。

 ここもPAYPAYはオーケーだった。11月にはタコスを食いにAさんと来てみよう。

 

 かくして食い倒れ週間は大団円を迎えた。

 大泉の冬もすぐそこである。

 

                  

(「OLD AGE」の夜景 同店HPより)

 

 知る人ぞ知る清里の名店「OLD AGE」に誕生祝いをかねて囲碁トモのAさんご夫妻と出かけた。

 ここのフレンチはコース6600円(夜のみ 要予約)と破格の安さ。

 しかも驚くなかれ、「寒いほどお得フェア」の際にはこれが半額になる。「寒いほど・・・」では材料をケチった特別メニューを出す店が多いが(というかほとんどそうだ)、ここは正真正銘いつもと同じ料理を出してくれる極めて良心的なレストランである。

 

 夜6時とあって自慢のローズガーデンは闇の中。一等席の窓際の席は今回は取れなかったが、まあ

何も見えないのでよしとしよう。

 

(ここの席がおすすめ 同店HPより)

 

 いつも気さくな支配人に迎えられて今宵の宴は始まった。

 

 

(真鯛のポワレはいいのだが「油淋ソース」というのがなんだか野暮ったい)

 

 まずは前菜から。

 

(カキのエスカルゴ風(熱々)、スモークサーモン、生ハムとメロン)

 

 支配人によるとOLD AGEの開業は今から38年前、1983年のこと。「清里ブーム」の黎明期であった。

 

 八ケ岳南麓清里の歴史は1938年にポールラッシュが清泉寮をこの地に建てたことに始まる。

 1979年に当時の国鉄が「ディスカバージャパン」キャンペーンで清里をとりあげたことから注目されるようになり、その後「an・an」、「ノンノ」がたびたび清里特集を組むようになってブームに火がついた。

 

 

 (往時は竹下通り並の賑わいだった みしゃ様のtwitterより拝借しました

 

 ブームのピークにはペンションが130軒林立し、ビートたけしのカレー屋やらなんやらタレントショップも目白押し。70年代には坪2、3万円だった駅前通りの地価が500万円まで高騰したという。

 ポールラッシュは1979年に亡くなったが、半生をかけて築いた魂の平安の地が「ソドムとゴモラ」と化したのを見ずにすんだのはむしろ幸せだったかもしれない。

 

 90年代後半に清里ブームは突然終わりを告げた。

 バブル崩壊で客足が鈍ったせいで巨額の土地代負担に耐えられなくなったのだろう。あっけなく、それこそあっけなく数々の店が一斉に倒産したのである。

 廃墟(あまりの落差にそう感じてしまう)の中に往時の栄華を偲ばせるものが今でもチラホラと残っている。

 

(かつても今もランドマークになっているファンシーショップ「ミルクポット」 文春オンラインから

 

(ビートたけしのカレー屋にはいまだに表札が 「知の冒険」様のブログから

 

(「昭和元禄獅子舞発狂」と言われた狂気の時代 乗った乗った私もこれ乗りました)

 

 続いて鯛のポワレ。香ばしくて旨い。

 油淋ソース、いけますよ、これは。

 

(野暮ったいなんてヌカしたのはどいつだ)

 

 今宵のメインはオージービーフサーロインのグリル。

 「オージービーフ」と食材をきちんと明示するところがいかにも良心的である。

 

 「ポワレ(フライパンで焼く)」はフランス語だが「グリル(網で焼く)」は英語じゃないんだろうか。そんな

余計なことを考えているうちに写真を撮り忘れてしまった(泣)。

 

 最後はパンナコッタとアイスクリーム。

 

 

 

 そういえば以前は食事の途中で支配人が持ち帰り用のプラ容器を配ってくれたのだが、 今回はそれがなかった。厳しい経営環境下で量が少し減ったようだ。それとも保健所にバレたのか。

 

 厳しい淘汰の時代を生き延びたOLD AGE。

 それは決して偶然で生じることではない。

 量が減ろうがなんだろうが、OLD AGEが良店であることは寸毫も変わらない。

 

 初めていらしたAさんご夫妻も満足のご様子。 

 番数も取り進めましたるところ、

 秋の食い倒れシリーズ第三段、これにて打ち止めにござります~。

 

                  

(「七賢」の蔵元「山梨銘醸」正面 ここにクルマを停めるのは本当はNG)

 

 終の棲家の上棟日が決まったとの連絡があった。上棟式はしないことは伝えてあったが、工務店の営業担当氏はこの際大工さんたちを紹介したいとのこと。

 「じゃあ当日現場に伺います」

 「いえ、上棟の時は人が多いので別に機会を作ります」

 なんだ上棟式やらないの、ケチな施主だね、そんな雰囲気を私に感じさせたくない心遣いなのだろう。

 

 いずれにしても手ぶらで挨拶というのもナンだし、そうだ七賢の酒を皆さんに配ろう、と思い立って白州台ケ原の蔵元「山梨銘醸」へ酒を買いに行った。蔵元を訪問するのはおよそ3年振り、ついでに「台ケ原金精軒」で生信玄餅も買っちゃおうという算段である。

 

 クルマを飛ばすこと20分、蔵元は平日の午前とあってお客さんは皆無。いきおい売店のおねえさん

二人は私の専属となった。

 

(裏口に真新しい杉玉が吊るされていた)

 

 七賢のファンですが「七賢」の紙袋はここしか置いてないので遠路はるばる買いに来ました、と告げるとお二人の眼が妖しく光り、リキが入ったのが分かった。

 

(正面から裏口方面を望む 右手手前に売店、左手に座敷がある)

 

 我が家の上棟でご祝儀として大工さんに配りたいので、ああ上棟式ですね、いえ大工さんに配るだけなんです、それを上棟式っていうんですよ、いえかくかくしかじかで、そうですかどれになさいますか、時代はやはり「風凛美山」でしょ、あらお目が肥えていらっしゃる、肥えているのは腹ですけど、あはは(腹を一瞥する)、一升瓶だと収まりが悪いな~、たしかに紙袋には四合瓶二本の方がよいと思います、じゃあもう一本はなにがいいかな、ご予算もあると思いますし定番の本醸造でいかがでしょう、ではそれでお願いします、そんなやりとりの末に詰め合わせ五つが出来上がった。

 

 「どこかで写真撮ろうかな」

 そう呟くとノリノリの二人はロケハンを始め、やがて座敷の上がり框に紙袋を並べだした。

 異様な風貌、身辺に漂う加齢臭とそれを圧する気品。どうやらお二人は私をぶらり旅系統の文化人か高名なゲージツ家だと思ったらしい。

 

(なんか凄い立派な佇まい 中身は七賢純米吟醸「風凛美山」と同本醸造 紙袋は1枚11円)

 

 「駐車場まで運ぶのは大変ですからお車をこっち(正面)に移動してください。私たちで積み込みます」

 「ああ、ありがとう」

 彼女たちの夢想を台無しにするのもナンなので、私は文化人然として鷹揚に振る舞った。

 

 「あの、サインいただけますか」

 「失礼、ボクはその手のものはお断りしているんです」

 そんな想定問答をしつつ、おねえさんの見送りを受けながらはす向かいの「金精軒」へ。

 

 

 金精軒も平日とあってヒト気がない。

 出入口に樽のような、飯台のようなものが置いてある。

 近づいてよく見ると「本日定休」の由。あ~金精軒のバカヤロー。

 

(休みなら暖簾出すなっての)

 

 店先で地団駄を踏んでいる様は我ながらなんとも見苦しい。

 思わず七賢の方を盗み見るとおねえさんは既にいなかった。どうやらただの小汚い老人であることがバレたらしい。

 

 本日の出費はおよそ2万円(自分用の酒除く)。

 6年前の上棟式は29万円かかったから、それと比べれば屁のようなものである。

 まずはめでたし、めでたし。

 

 

 (自分用は七賢純米生酒「なま生」 常時冷蔵庫保管のため汗をかいている)

 

                  

(今宵の食卓に供される松茸の勇姿)

 

 迎えに来てくれたAさんの運転で一路「松茸の里」へ。途中遠回りしてわざわざ松茸を採った山に案内してくれた。

 「そこの山です」

 「・・・」

 「そこ、そこの橋のとこから入っていくんです」

 「・・・」

 深山ではなく幹線道路沿いである。詳しく触れたいところだが、Aさんの楽しみが減ることにもなりかねないので、須玉川(塩川かな)流域のとある山、としておこう。

 

 八ヶ岳南麓の一角に佇むAさんのお宅は築100年近い古民家。3年前に手に入れてからというもの、あっちを直し、こっちを直しと修繕の日々が続いているそうだが、それがまた楽しいそうだ。

 

(一階はほぼ修繕を終え、これから二階の修繕に取り掛かる由)

 

 「今日の松茸はこれです」

 Aさんが冷蔵庫から松茸を取り出して見せてくれた(上の写真)。

 考えてみれば松茸を食うのは3年振りである。

 

 「ホイル焼きでいいですか」

 いいですとも。

 

 囲碁を打っているといつしか辺りも暗くなり、やがて馥郁たる松茸の香りが漂ってきた。ホイル焼きの登場である。

 「それ全部食べて下さい。私たちは松茸は食べ飽きているので」

 私に気を遣わせまいとしておっしゃっているのだろうが、お言葉に甘えてガツガツと食った。「松茸をガツガツ食う」というのはなかなか得難い経験である。 

 

(これ全部私の分)

 

 一緒に出てきたのが「ハナイグチ」というキノコのお浸し。 

 これも中々旨い。いや、味わいだけなら松茸より旨いかもしれない。

 「香りマツタケ味イグチ」と言われるゆえんである(←ウソです)。

 

 

 「これ旨いですね~」

 「ゆるふわさんの家の近くでも採れると思いますよ」

 

 なんでもハナイグチはカラマツ林に限って出てくるキノコだそうで、Aさんの目利きでは我が家の向かいのカラマツ林にもたくさん生えている気配があるとのこと。

 カラマツ林と他の松林をどう見分けるのか。

 答は簡単、カラマツは唯一落葉する松だから冬の様子を見れば一目瞭然である(←Aさんからの受け売り)。

 

 サラダ、野菜の天ぷら、ヒレカツ・・・

 食卓がどんどん賑やかになっていく。中華を買ってこなくて正解であった。

 

 最後は松茸ごはんで締めくくり。

 とても食いきれない量で、ごはんと松茸一本をお土産に頂戴して奥様の運転で家路に着いた。

 

 これでまた3年位は松茸を食わなくてもよさそうだ。

 食い倒れ週間第二弾もこれにて無事終了である。

 

(持参したニジマス甘露煮 不味くはないがこういう席では冴えない)    

 

                  

(長野県産松茸 今年は豊作とのことだがそれでも5000円以上している)

 

 囲碁トモのAさんは珍しく40代半ば。10年ほど前に八ヶ岳南麓に移住し、現在は高い樹木に登って枝を払う仕事を生業としている。

 

(囲碁合宿にて 「シシュポスの神話」を想起させる肉体美)

 

 そのAさんから電話があった。

 「松茸、食べますか」

 なんでも深山での枝打ちの際に松茸に遭遇することがあるらしい。

 「え、もらえるんですか」

 「いえ、我が家で松茸で一杯やりながら碁を打つ、という趣向です」

 「う~ん、クルマの往復がネックですね~」

 「夜はそのまま我が家に泊まっていただくか、家内に送らせます。往きは私が迎えにあがります」

 

 アゴアシつき、なんてすばらしい企画だろう。私は電話の向こうのAさんに手を合わせた。

 「ただし」

 「ただし・・・ごくり(会費とるのかな)」

 「誰にも言わないでください。あまり数がないんで」

 そんなことはお安い御用ですって。

 

 今年は松茸の当たり年らしいのだが、それでも馬鹿にならない値段である。会費を取らないということであれば、それなりのものを持参しなくては面目が立たない。

 

 まずは酒。日本酒(真澄純米吟醸)と赤ワイン(駒園ヴィンヤードTAOシラー)を用意した。

 

 

(乾杯用ビールも一応持っていくことに これで松茸一本分位にはなるかも)

 

 酒はいいとして、食い物をどうするか。思い余ってAさんに聞いてみた。

 「ひまわり市場で刺身とか寿司とか買っていきましょうか」

 「いや~、松茸がありますから。なにも要りません」

 う~む。

 松茸だけではどう考えても腹が膨らまないのだが、Aさんご一家の日頃の食生活がどんなものなのか皆目分からないので何とも対処のしようがない。

 ひょっとすると魚が苦手かもしれないので、万人受けするであろう中華「安晏」のテイクアウトを持って

いこうかと思ったのだが、意外に食い物が多くて翌日回しとなった場合には極端に味が落ちてしまうのでこれも適当とはいえまい。

 

 悩んだ挙句、八ヶ岳南麓を代表するお土産のひとつ、「ハム日和」でハムを買って行くことにした。これなら好き嫌いはそれほどないだろうし、翌日以降でも十分味わえる。

 

(ボンレスハム200g、リオナソーセージ200g)

 

 奥様とちびちゃんには「八ヶ岳Marron」のクッキーを持っていくことに。

 これでどうにか松茸といい勝負だろう。

 松茸前夜、興奮はいやがうえにも高まっていく(つづく)。

 

(自由農園で買ったニジマスの甘露煮も持ってっちゃお)

 

                  

(天女山入口交差点 我が家からまきばレストランへの要衝に位置する)

 

 10月11日月曜日は「体育の日」が日曜にあたったので本来休日のはずだが、東京オリンピックの関係で今年に限っては平日となった。

 現役の皆さんは否応なくご存知だったのだろうが、「毎日が土曜日」の私は知る由もなく、その日の朝羽鳥慎一さんが、「今日は平日ですよ~」と教えてくれるまで全く気がつかなかった(汗)。

 おそらく、「え、そうだったの」という方が全国で2千万人、さらには平日だと知らぬままに一日を終えた方が1千万人はいる、と私は睨んでいる。

 

 三連休に供えて事前に食料の備蓄をし、家でじっと三日間過ごしたものだから、その反動で「秋の食い倒れ週間」が幕を開けた。その第一弾は我が家と同番地の隣人「まきばレストラン」となった。

 

 まきば公園はあいにくの天気。レストラン周辺はまさしく五里霧中である。

 なお蛇足ながら「五里霧中」とは「周辺五里にわたって霧の中」という意味ではなく、「五里霧(=道教の妖術でKOEIの三国志シリーズにも登場する)の中に閉じ込められて進退窮まる」という意味だから、上記の用例は誤りである(きっぱり)。

 

(悪天候の中遠足のよいこたちが遊歩道を下りていった 引率の先生方も大変だ)

 

 そんなことと関係なく食い倒れはスタートした。

 満を持していた家内はまきばステーキ。少々値段は張るがお勧めの一品である。

 

 

(甲州ワインビーフ200グラムで3千いくら 円状の焼石でジュジュっとやって食う)

 

 三連休(二連休だっての)はひねもすのたりを決め込んだ私はこの日も明け方まで本を読んでいて朝食が10時になってしまったので、少~し軽くしてステーキ丼にした。

 

 

(2千いくらだがこいつはあまりお勧めできません)

 

 「だったら朝は抜けばいいのに」

というのは、シロウトの浅はかさ。あとせいぜい4000回しか残されていない朝メシを抜くなどという軽挙妄動は私にはできない。

 

 食後の楽しみは言わずと知れた無料ソフトクリームである。

 三連休(同上)で数が出たらしく、今日のソフトは実に旨い。

 

(今期第7号(通算2800円) 背景の乳白色にコーンが映える)

 

 食い倒れ週間の緒戦、まずは順調な滑り出しといえよう。

 

(残りの食事券は来年3月まで大事にしまっとこ)

 

                  

(樹木希林本名内田啓子 享年75)

 

 読書の秋である。

 「美代ちゃんが私の語り部になってね」

 生前樹木希林さんにたびたびそう言われていたという浅田美代子さんが彼女との思い出をまとめた本「ひとりじめ」を出版したというので買ってみた。

 本はいずれゴミになるので極力買わないように努めているが、1冊買うなら何冊買っても同じこと(そうかなあ、とも思うけど)、久しぶりに8冊まとめ買いをした。

 

(群ようこの短編小説集「子のない夫婦とネコ」もお勧め)

 

 私が樹木希林さんを初めて知ったのは小学生の頃である。彼女がまだ悠木千帆を名乗っていた頃で、テレビでお手伝いさんの役をやっていたのだが、その演技がいかにも自然で子供の心に違和感なく沁み込んできた。

 以来私は樹木希林さんのファンになった。初見からその演技に引き込まれたのは後にも先にも樹木希林さんと安藤サクラさんだけである。

 

 東京女学館在学中の浅田美代子さんが「時間ですよ」でデビューしたのは1973年、彼女が高校1年、私は中学3年の時のことだった。彼女はここで生涯の師にして親友の樹木希林に出会うことになる。

 当時の私は大藪春彦や平井和正(ウルフガイシリーズ)、阿佐田哲也のばくち小説に夢中で、古本屋を見かけると必ず飛び込んで三氏の本を物色した。

 

 特に大藪春彦に関しては当時刊行されていた全ての小説を読破したという自負がある。

 理由は定かではないが大藪作品には主人公がボロニアソーセージを食うシーンがしばしば登場する。

 「ボロニアソーセージ」とはどんなソーセージなのだろう。多感な少年は未知の食い物に憧れたが、長じてそれを食った際には大いなる幻滅を味わったものだ。

 

(「量が多くて生でも食える」というのが野獣性を秘めた貧しい若者を象徴していたのだろう)

 

 

 (「蘇る金狼」1979 主演の松田優作、愛人役の風吹ジュンともに私の脳内イメージとはかけ離れてい
 てこっちも幻滅した)

 

 当時中学、高校と男子校だった私の周囲では彼女が出来たりすると大騒ぎ。日頃から私をバカにしていた級友がある日彼女が出来た、と私に吹聴した。

 「ふふふ。どこの子だと思う」

 「・・・(早く言え、このヤロー)」

 「東京、ジョガッカ~ン~」

 「浅田美代子の?」

 「ふふふ。ふふふ、ふふふ」

 

 野獣死すべし。野獣死すべし。

 私が殺意というものを抱いた人生最初の瞬間である。

 

 浅田美代子さんは樹木希林さんだけでなく、淡路恵子をはじめとする年長の女性に可愛がられたようだ。樹木希林さんも杉村春子に気に入られて付き人に抜擢されたのが活躍の端緒となったそうだから、

そういうところも二人はよく似ていたのだろう。

 

 吉田拓郎との出会いと別れ。

 「寺内貫太郎一家」で共演した西城秀樹を交えた三人の交流。

 母との死別。

 そして樹木希林さんとの別れの日々。

 

 浅田さんの半生が語られていく。

 

 全体としてはなんだか樹木希林さんが美代ちゃんの語り部になっているような印象だが、私と同時代の

方にとっては楽しく、懐かしく読める一冊である。