八ヶ岳南麓カレー紀行番外編(その2)チキンカレーの祈り | 八ヶ岳ゆるふわ日記

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八ヶ岳南麓大泉と東京を行ったり来たりの毎日。日々のよしなしごとを綴ります。

(日本基督教団八ヶ岳教会にて 祭壇の窓越しに見えるこの十字架は無信仰の私にすら霊的なものの存在を感じさせる)

 

「次はいつ大泉に来るのですか」ゴルフ友のAさんからLINEが来た。

「来週月曜の予定です」

「教会は今度の日曜日が『カレーの日』です」

「・・・。土曜日に行きます」

 

 私を信仰の世界に導こうとしているのか、それとも単に面白がっているのか定かではないが(たぶん後者だ)、Aさんの厚意に甘えて再びカレーを食いに日本基督教団八ヶ岳教会を訪れた。

 

 入り口で信者の皆さんを出迎えている山本牧師にお土産のクッキーを渡し(タダメシばかりでバツが悪いから)、まずはカレーの仕込み具合を検分した。

 

(勝手知ったる他人の家 集会所に入った左側にキッチンがある)

 

 キッチンでは大鍋にカレーが仕込まれている最中で、まさにカレールーを投入せんとするところだった。

 インド風カレーと聞いていたが今日はチキンカレーとのこと。もちろん私に否やはない。

 

(シメジがどっさり カレーとシメジは相性抜群だがしいたけ、えのき、エリンギは何故か合わないのが不思議)

 

 満ち足りた気分で教会に入り、讃美歌なんかのイロモノ(失礼)が終わると本日のトリ、真打ち山本牧師の説教である。

「待ってました!」

「成駒屋!」

「山本屋!」

 大向こうから声がかかり、中には感極まっておひねりを投げるご婦人もチラホラ(←あくまで心象風景で実際にこういうことはありません)。

 

 本日のテーマは「祈り」。

 ゴルゴダの丘で磔刑に処せられたイエスキリストは絶命の瞬間にこう叫んだという。

「エリ、エリ、レマ、サバクタニ(わが神よ、わが神よ、どうして私をお見捨てになったのか)」

 

(ルーベンス「キリストの磔刑」 イエスの絶命を確認するために槍でとどめをさしたローマ兵ロンギヌスはその後キリスト教の伝道者となった)

 

「神に対する祈り」、それはキリスト教に限らずあらゆる宗教において信仰の中核をなしている。そして断末魔のイエスに限らず「祈りが通じなかった、願いが通じなかった」と嘆くのが人の常というもの。

 

 祈りとは本来そういうものではない、と山本牧師は説く。

 私たちの体内に宿る精霊が私たちの心を受け止め、狭い私たちの願望を超えて御心としてすべてが成就していく、祈りとはそういうものだとおっしゃる。

 

 う~む。

 信仰とは全く無縁の私にはそうそう理解できるものではない。

 まあカレーを食ってから改めて考えよう、と集会所へ向かった。

 

 信者の皆さんと歓談するうちにカレーが回ってきた(カフェテリアスタイルでなく皿に盛ったカレーが順番に回ってくる)。

 これは旨そうだ。

 旨そうだが、私のカレーは僻みでなく量がやや少なかった。

 

(チキンたっぷりだが前日食ったミニカレーくらいの分量)

 

 一番奥の席にいたものだから隣の方にパスするわけにもいかない。

 中には日頃の行いがいいのか、盛りの多いのにあたった方もいて、

「多すぎるのでこれ減らしてください」

「ここ、三人とも減らしてください」

などとぜいたくなことを頼んでいる(チッ)。これが信者なら「こっちの皿と交換してくださ~い」と頼めるのだが、そこは無信心者の哀しさである。

 

 あっという間にカレーを食い終わり、顔見知りの森の診療所のB先生、山本牧師がこの日紹介してくださったゴルフの達人Cさんとたっぷり会話を楽しんだ。

 

 次回は(←もうその気になってる)盛りの多いのに当たりますように。

 食い意地の張った俗物はそんなことを祈りつつ教会を後にした。