先日の下見から一週間(下見の記事は → ここ )、そろそろ満開のはずということで「蕪(かぶら)の桜並木」に花見に出かけた。場所は北杜市長坂町「北の杜(きたのもり)カントリー」のすぐ横である。
蕪の桜並木は満開であった。
ここの特徴は、
・ ソメイヨシノ(総数40本)のみの桜並木であること
・ 桜自体は地元の地権者の所有物で北杜市の公式花見スポットではない(=補助金とか貰っていな
い)ため観光客が少ないこと
・ 八ヶ岳、甲斐駒、富士山、金峰山と山梨県の名山が桜越しに見れること
といったところ。
ただし富士山や甲斐駒は逆光になることが多く、美しい写真を撮るには朝早く出かけるなど、ひと工夫必要である。
(桜並木ごしに八ヶ岳を望む 白く見えているのが権現岳)
それにしても「蕪」とは不思議な地名だ。ググってみても市町村レベルでは存在しない。
それも道理で、蕪は本来「荒れ地」を意味する言葉(用例としては「荒蕪地」など)だから地名には使いづらい。おそらく大字、字レベルの集落でも「蕪」はここ以外には存在しないのではなかろうか。
桜並木のすぐそばに「開拓碑」がある。この地も北杜市内の各所に見られるように、明治以降のいずれかの時点で入植が行われたのであろう。
(「集会所と記念碑」というのはよく見かける光景)
東京の佃島、北海道の北広島、あるいは米国のニューヨーク(元々はオランダ人入植者が「ニューアムステルダム」と命名した)など、入植地に遠い故郷を偲んでその地名をつけるのはよくあることだが、それは蕪には該当しない(佃島の縁起に関する記事は → ここ )。
ことによるとこの地の肝煎りが「蕪さん」という方だったのかもしれない。
そう思って調べてみると、「蕪」姓の方は全国で140人ほどいらっしゃって、その多くは宮崎県都城市にお住まいのようだ(「名字由来ネット」より)。この辺りに蕪のルーツがあるのかもしれないが、残念ながらこれ以上のことは分からない。
我が家の周辺で桜の最終ランナーヤマザクラが開花した。
(ヤマザクラには地味ながら楚々とした魅力がある)
3月20日に東京で開花したソメイヨシノを皮切りに、約1か月にわたった花見ツアーもいよいよ終盤である。週末は谷戸城址の桜を見に行って来よう。