何故人間は執着を捨てられないのか | 八ヶ岳ゆるふわ日記

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八ヶ岳南麓大泉と東京を行ったり来たりの毎日。日々のよしなしごとを綴ります。

(フィオーレ小淵沢から桜越しに甲斐駒を望む)

 

 動物は誰かに横取りされた獲物のことをいつまでも執念深く覚えているという。

 この点は愛犬そらも同じで、一度ゲットした食い物には信じられないほど執着する。ボールもそらから見ると獲物のカテゴリーに入るようで、同じような反応をする。

 

 そんなそらの執着心を宥めるため、先日入りそびれた「フィオーレ小淵沢」を再訪した。 

 園内は昆虫博物館閉鎖以外はヒト気がないのも含めて昨年と全く変わっていない。

 

(シンボルのカブトムシも健在)

 

 長いこと休園していた園内にはあちこちにふきのとうが芽生えていた。残念ながら董が立ってしまって食用にはなりそうもない。今年はなんとなくふきのとうとの縁が濃いが、これは吉兆だろう。

 

(吉兆、吉兆)

 

 レストラン「フェリーチェ」も健在であった。

 私を覚えていたのかどうかは分からないがいつもの「うたのおねえさん」がこんにちはお久しぶりです、と大きな声で挨拶してくれた。

 聞けば時節柄当面カレーバイキングはやらないとのこと。またモーニングもやるかやらないか検討中(こっちはコロナ騒ぎというより経営的な問題だろう)とのことであった。残念。

 

(ボール狩りに精を出すそら)

 

 トマト用ビニールハウスの支柱を買うためフィオーレ小淵沢からJマートへ行くと、入口付近にジャガイモの種イモが大量に置かれていて、イモからは早くも芽がふきだしていた。

 過去のジャガイモ植え付け記録を見ると、

 2017年  4月3日

 2018年 4月11日

 2019年 4月23日

と年々植え付け時期が遅くなっている。昨年は23日まで待って野菜の苗も含めて植え付けをしたが、直後の遅霜で全滅の憂き目を見たことは記憶に新しい(植え付けの記事は → ここ 遅霜の記事は → こっち)。

 思わず手が伸びかけたがぐっと我慢した。これが学習効果というものだ。

 

 ふと横を見ると行者ニンニクの球根(というのだろうか)が売られていた。

 先日散歩の途中でカラオケ友のMさんのお庭を拝見したところ、あちこちから行者ニンニクの芽が出ていてうらやましい思いをした。Mさんは分けてあげるとおっしゃっていたが、それはそれとしてカネを遣う喜びも味わえるのでさっそく購入した。これは地下に埋めるものだから遅霜も気にならない。

 

(Mさん宅にはこの規模の群生が数か所にある)

 

 ついでにニラの球根も買った。

 ニラにはアリシン、βカロテン、葉酸などが豊富に含まれていて、この時期免疫力をアップするのに

欠かせない食品である。

 もっとも今植えても食えるのはず~っと先だが、そんなことでクヨクヨしていてはますます免疫力が下がります。

 

(ニラは予備も考えて2株、行者ニンニクは後で貰えるから1株という細かく、かつセコい算段)

 

 それにしても種イモが気になる。

 私の心の中には執着の焔(ほむら)が熾火のように燻りはじめた。

 

 もう忘れよう もう忘れてしまおう

 昨日のイモは 

 冗談だったんだと

 

 吉田拓郎の名曲を奏でながら愛車は禍々しいものから逃げるかのように一目散に我が家へ向かった。

 偉大な作曲家シューベルトも同じような気分の時に「魔王」のインスピレーションが湧いたのであろう。

 

 ようやく家に着いてひと安心。

 悪霊退散におわします、とレジ袋を開けてみるとそこには何故か種イモが。

 

 

 げに恐ろしき妄念なり~。