(前回からの続き 前回の記事は → 木谷道場の門下生たち )
「石心之譜」 1981 小川誠子 現代書林 (左上 現在中古のみ)
自身木谷道場42番目の内弟子であった小川誠子さん(故人)と木谷門下のビッグ5との対談集。
石田芳夫(26番目の内弟子 タイトル獲得数24)は万事器用で内弟子たちのキャベツ千切りの先生だったこと、趙治勲少年(同36番 入門は趙が4年早いが年齢は小川が5歳上だった)と一緒にお風呂に入ったことなどの内弟子時代のエピソードが多数紹介されている。
「それも一局」 2016 内藤由起子 水曜社 (左下)
木谷道場門下生たちの数々のエピソードを紹介した本。例えば、
・ 石田芳夫はギターも歌も上手くて(実際歌手デビューも果たした)遊びが大好き。
遊びたい一心で道場からの独立を木谷夫妻に打診したところ、「タイトルをとったら独立してよい」と言
われ、発奮した石田は22歳にして史上最年少で本因坊を獲得してしまった。
焦った夫妻が「もう一つタイトルをとったら」と条件をつけたところ、翌年名人位を獲得してしまった。
・ 木谷道場では「金メダル」と称して最後まで食事した者が後片付けをするというルールがあった。
生来食の細い加藤正夫(28番目の内弟子)はこのメダルの常連であったが、最年長内弟子になって
も律儀にこのルールに従い、タイトルホルダーになって初めてメダル争いから除外してもらった。
著者は木谷一門と同じ高校に通っていたことから木谷道場で囲碁の指導を受け、現在は囲碁ライターになっている。書名は木谷實の口癖から。
「精魂の譜」 2006 有水泰道 誠文堂新光社 (左)
木谷道場28番目の内弟子タイトル獲得数47(歴代6位)を誇る加藤正夫(故人)の入門から現役のまま日本棋院理事長を務め棋院改革に奔走するうちに志半ばで倒れ不帰の人となるまでの半生記。「木谷道場の七十人の子供たち」と並んで囲碁を知らない方でも感銘を受ける内容だ。
(木谷夫妻と内弟子たち 後列一番右が加藤正夫 左から二番目が石田芳夫)
「独り荒野を目指せ」 1999 小堀啓爾 毎日新聞社 (右 現在中古のみ)
タイトル獲得数歴代トップの75、前人未踏の本因坊10連覇を果たした趙治勲の半生記。
治勲少年はわずか6歳で韓国から来日し木谷道場に入門した。「日本に行くと空飛ぶ電車に乗れる」と言われてそれだけを楽しみに来日したが、実際は山手線の高架のことで心底落胆したという。
(来日時の趙治勲 木谷夫妻の端っこから見つめるのが木谷家の実子でただ一人プロ棋士に
なった木谷禮子)
この二週間ほどで読んだ木谷道場関係の本は都合6冊。最後に素晴らしいエピソードを紹介したい
ので、もう少しだけおつきあいを。