囲碁の本を読み漁る③ プロ棋士4代 | 八ヶ岳ゆるふわ日記

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 木谷夫妻の実子7人の中で唯一棋士となったのが15番目の内弟子となった三女禮子(故人)である。

 禮子に遅れること20年、13歳の小林光一が39番目の弟子として木谷道場に入門したのが1965年のこと。時に禮子は26歳、女流選手権6期獲得などすでに女流のトップ棋士であった。

 

 それから6年ほど経って、二人の間に恋が芽生えた。

 禮子が両親に結婚の意思を伝えると夫妻は激怒、

「将来を嘱望されている弟子をダメにするような女は私の娘ではない」と母美春さんに罵倒されたそうだ。

 それからさらに3年が経ち、二人がうわついた気持ちでつきあっているわけではないということが理解されたのだろう、ようやく二人は結婚することができた。この翌年木谷實は死去した。

 

(小林光一22歳)

 

 小林との結婚を機に禮子は囲碁を捨てた。人生の全てを夫の囲碁のために捧げ、小林とやがて生まれた娘泉美に宛て生涯で書き連ねた手紙の量はおびただしいものだったという。

 禮子の献身によりやがて小林は棋聖位8連覇をはじめとしてタイトル獲得数60(歴代3位)を誇る大棋士に成長した。ところが好事魔多し、1995年になって禮子が末期がんに冒されていることが分かった。

 

 「棋士ふたり 亡き妻からの手紙」 1997 小林光一 NHK出版

 延命治療を拒否した禮子は、翌年死去する。

 その禮子との結婚生活の思い出を記したものが本書である。禮子から小林にあてた手紙やメモがたくさん掲載されていて、そんな本を出版せずにはいられなかった小林の心情は察するに余りある。

 

 2004年小林と禮子の娘女流棋士の泉美は張栩9段と結婚、2006年に娘の心澄(こすみ=囲碁用語で石を斜め方向に打つこと)ちゃんが生まれた。

 

(二人の新婚時代 「張栩の詰碁」 2006 毎日コミュニケーションズ にはデートのたびに詰碁を解かされ
 たという恋愛時代のエピソードを紹介した泉美のエッセイが掲載されている)

 

 2020年2月、心澄さんは13歳にして晴れてプロ棋士となった。

 木谷實から4代、實と美春さんのスピリットはひ孫の心澄さんに受け継がれることになったのである。

 

(父と祖父 左から 張栩9段 心澄さん、小林光一9段

 「心澄」という名前は禮子の座右の銘だった「澄心」から取ったもの)

 

 2100年前に編纂された「史記」にも登場するという囲碁。

 その歴史は、こういった人々の努力と情熱に支えられ続けてきたのである。

 ヘボなざる碁であるが、私は囲碁を愛して止まない。