囲碁の本を読み漁る① 木谷道場の門下生たち | 八ヶ岳ゆるふわ日記

八ヶ岳ゆるふわ日記

八ヶ岳南麓大泉と東京を行ったり来たりの毎日。日々のよしなしごとを綴ります。

 先週第44回囲碁棋聖戦第6戦が行われ、井山裕太棋聖が挑戦者の河野臨9段を破って8連覇を達成した。これは小林光一9段の連覇記録(1986~1993年)と並ぶタイ記録である。井山さんおめでとうございます(井山棋聖の過去記事は → ここ )。

 

 挑戦者の河野臨9段は小林光一9段の弟子で、お二人とも囲碁界の名門「木谷一門」の棋士である。

 そんなこともあり、またコロナ騒ぎの余波で東京でも八ヶ岳南麓でも対局の場を提供してくれていた公共施設が軒並み閉鎖されてしまったせいで囲碁を打つ機会が激減したものだから、木谷道場出身の棋士の本を読み漁ってみた。

 本といっても「手筋」の本やら「死活」の本ではなく、棋士の半生やエピソードを紹介する本である。これでは囲碁が上達しないのもむべなるかなだ。

 

 

 

 木谷道場というのは、盟友呉清源と並んで昭和初期を代表する棋士木谷實が1933年(昭和8年)に内弟子をとったことに端を発する囲碁道場である。

 その後木谷とその妻美春の熱意は大きく実って、木谷道場門下のプロ棋士は孫弟子も加えると100

人近く、その総段位は500段を超えるという囲碁界の大勢力となった。

 木谷一門の全盛期は木谷没後の1980年代である。この時期に木谷一門以外でタイトルを獲得したのはわずかに4人だけだ。

 

(木谷一門タイトル保有率は87%に達する 名人、十段、碁聖のタイトルは独占)

 

 木谷一門を語るうえで忘れてならないのが、以前も紹介した木谷美春さんの追想記である。

 

「木谷道場と七十人の子供たち」 1992木谷美春 NHK出版 (写真右下 現在は中古のみ)

 

 猿の入浴で有名な地獄谷温泉後楽館の長女美春は前年に保養に訪れた木谷實に見そめられ、

1931年に結婚する。以降二人の間には7人の子供が生まれ、寝食をともにした内弟子たちは60人を超えるという。

 

(結婚式の二人 美春さんは近在で有名な美人だった)

 

 美春さんは、

・ 実の子も内弟子も一切区別しないで平等に扱う。

・ 育ち盛りの子供たちに栄養のあるものをたくさん食べさせる。

ということを常に心掛けたそうだ。

 この本は昭和の記録としても、また育児書としても素晴らしい出来で囲碁に関心がない方にもお勧めの本である。写真もふんだんに掲載されていて読んで飽きることを知らない。

 

(木谷道場の食事風景 内弟子も実の子供たちも一緒)

 

 ここからが、今回新たに買った本。

 

「石心 大竹英雄小伝」 2013井口幸久 石風社 (写真右上)

 

 1951年に9歳で木谷道場に入門した大竹英雄の半生記である。

 早くから頭角を現した大竹は25歳で門下生初のタイトルを獲得、「大竹美学」と呼ばれる形の美しさを重視した棋風で総タイトル数48(歴代5位)を誇る名棋士となった。

 内弟子時代は兄貴分役で、囲碁の指導もさることながら毎日弟子たちを集めてソフトボールやハイキングをやらせたという。

 川端康成が木谷實と最後の家元本因坊秀和との対局模様を描いた小説「名人」を発表したのが1951年のこと(この対局は途中何度も打ち掛けがあって終局まで1年近くかかった)。作品の中で唯一実名で登場しないのが木谷實である(作中「大竹7段」となっている)。

 大竹によると、「木谷先生はどうやら『大竹』という名の弟子を探していて、偶然見つけた私を入門させたようだ」と述懐しているが、これはもちろん本人の洒落であろう。

 

 

 (呉清源の対局を見つめる大竹少年)

 

 それにしてもこの手の本を探すのは大変だ。本人が著者の例は少ないから、検索しても中々これという本に行きつかない。(続く)