妻と黒猫と腰痛と不眠症と戦うデスパレートな男の日記 -14ページ目

修理代6

ソファーに身体を預けると分厚いガラス壁越しから暖かい陽射しがさしこみ、少し冷えたからだをつつんでくれる。すぐ横の雑誌に手をのばそうとすると店員が私の名前を呼んだのでソファーから立ち上がり店員が笑顔で待つカウンターにむかった。
妻の大切にしている時計の修理代については、前もって電話で確認してあるので、あとは修理をお願いするだけだった。先だって電話で確認した修理代金は消費税込み21000円作業代金も含むというものだったのでその旨確認のみで、あの監視員との攻防やら親切な駐車場係員とのやり取りを含め今日1日の午前中にやるべき事は終え家路につく予定である。妻に以前聞いた事があった。「時計そんな傷がついてしまって気にならないの?」すると妻は「うん、傷を見つけた時はショックだった。だからあえて何も言わなかったの。」と半ばあきらめたような口調で答えた。
その時、不覚にも私は「どうやって、いつ頃傷ついたの?」と夫の風上にもおけない問いかけを妻にしてしまった。本当に申し訳ないと思ったものだ。そして我が身のなんと情けない事かと落ち込んだ。妻の気持ちを踏みにじってしまった。それからは事あるごとに妻に聞くことにした。

修理代5

一つ一つ、道しるべを辿りながら地上へと出る最後の自動扉の前に立つまでにさほど時間を費やさずにすんだのは、私をありがたくも地下に導いてくれた頭髪を角に刈ったあの係員が丁寧に教えてくれた事によるところがおおきい。
自動扉を一歩出ると冬ともおそい秋とも区別しがたい晴天が私を待っていた。路地を一つか二つ曲がると丸の内仲通りにでた。陽射しを頼りに目的の時計店へと進んで行く。先ほどの監視員たちの姿がやっぱりそこかしこにみうけられた。監視員たちは二人で隊列を組むとむだ話をするふうでもなく淡々と駐車している車たちを奈落へと落としてゆく。よくみればそれはとても事務的ではあるが、どこか一点の猶予を与えてくれているように見えるのは、愛車を駐車場に格納した余裕からだろうか。などと考えながら時計店の重いガラス扉をあけると見覚えのある店員に向かって自分の順番が回って来たのかのかどうかを確認してみた。「お待ちください。」との事なので先ほどと同じソファーにからだをあずけて待つことにした。

修理代4

元来が方向感覚にすぐれない私なのである。地上へ出ようにも一苦労あるわけで、先ずは道しるべたる看板を探すのが私が最初にとる行動となる。
以前は面倒なので車で入庫してきたとおりの道を歩いて戻っていたのだが、何度か係員に注意されたり入庫してくる車にひかれそうになったりと危うい思いをしたので以来やむ無く建物内部の通路を使用する事にしている。
「駐車場出口」と書いてある古めかしいそれはまるでむかしむかしのTVドラマに出てきそうな一番目の道しるべを見つけた。
方向音痴の私にとってここからが大変なのである。一つまた一つと景色を記憶していかなければならない。しかしこれが困った事に行く道と帰り道では全く違う景色になる。つまり一つのかどを曲がったらそのつど振り向いて様子を確認してゆく。そしてすっかりピークを過ぎそのポテンシャルを落とし続ける脳みそに一生懸命にインプットしてゆく。

丸の内が開発により新しく生まれ変わったのはここ数年だろう、未だ東京駅の駅舎は改修工事を終えておらずその厳然たる体躯のほんの一部を覗かせるにとどまっている。

そんな新しく、しかしどこか味気なく生まれ変わってゆくこの街のところどころにも、どこか取り残こされたようにまるでスケッチブックにでもおさめておきたくなる建物はとりわけ少なくない。
頭髪を角に刈った係員が私の車の入庫を許してくれたのもそんな時代に取り残された建物だった。