神奈備に昇る立春の朝日と各地の神社との関係についての私見です。
名和神社の参道の坂道をAIでライトアップしてみました。隠岐を脱出した後醍醐天皇が上陸した御来屋の沖には、漁火が見えます。坂道に隣接する名和公園から美保湾が一望できます。この公園に訪れた歴代天皇は、この御来屋の丘からどんな景色をご覧になったのでしょうか。
よく大山周辺をドライブしています。景色がよくて快適です。気持ちよくワインディングを走るためにHKSでローダウンリヤのトーションバー交換フロントメンバーブレースを追加ブレーキパッドはType Sシビックセダンをレーシーに変身させてみました。
鳥取県米子市淀江町の向山古墳(古墳時代)から見る孝霊山です。孝霊山の麓には、日本最大級の遺跡とされる妻木晩田史跡(弥生時代)や天の真名井などがあります。向山古墳を背に撮影した朝日(立春、立冬の日の出)です。もう少し山際、上淀廃寺跡に近づくと山頂から陽が出そうです。この朝日の先には大阪府茨木市に三島溝杭神社があります。このあたりに朝日遥拝地があり、日巫女により祭祀が行われていたかもしれません。この地で立春の朝日を遥拝すれば、その先には大物主の祭祀者である三島溝杭の玉櫛姫命、媛蹈鞴五十鈴媛命が祀られています。その先は、一直線に生駒山系の龍王山、天磐船伝説がある饒速日命を祀る京田辺市の石船神社、伊勢の豊受大神宮(外宮)、朝熊山となります。広大な上淀廃寺跡です。地元では、藤原不比等の養女で、文武天皇の妃となり、聖武天皇の母となった藤原宮子は、この里の出身の玉清姫であるとされています。文武天皇は、妃の故郷に壮大な寺院を建立させます。それが上淀廃寺跡となっているということです。ですが・・、ときの権力者は藤原氏です。この寺院の建立により、孝霊山から昇る朝日に手を合わせると、三島溝杭や大物主ではなく、朝日を遮るように建立された寺院と藤原氏に手を合わせることにならないでしょうか?向山古墳群にも朝日は昇りません。上淀白鳳の丘展示館に、天の真名井の近くの角田遺跡から出土した1世紀頃に作られた土器が展示されています。この土器には、驚くことに天空にそびえるような建物や天鳥船のような絵が描かれています。古事記や日本書紀に著されているものが、1世紀頃の遺物に描かれているのは非常に興味深いです。淀江あたりは、縄文海進と7,300年前の鬼界カルデラ噴火による大規模な津波のあと、入江のある天然の良港となって再び人が住みつき、海運で栄えたと考えられます。孝霊山の麓には、孝霊天皇の妃となった朝妻姫やその御子の鬼退治、唐王御前と呼ばれた須勢理毘売命の伝承が残されています。
鳥取県米子市淀江町小波に崇神天皇8年(前90年)に勧請されたとされる三輪神社があります。伯耆国、大山から冬至に日が昇り、朝日さす三輪山に宮柱高く築き、三輪の神と速須佐ノ男神、少名毘古那神が祀られました。古くは阿弥陀川から日野川に至る51ケ村の総氏神であったとされています。境内に資料館があり、休日には自由に見学ができるようです。資料館には神社の由緒や後醍醐天皇に関する貴重な資料が大切に保管されています。神社関連年表祭神三神の像が展示されています。淀江町周辺は妻木晩田遺跡をはじめ多くの遺跡がある地域です。こちらは鳥取県内の祭神ごとの神社数ということです。天照大御神をしのぎ須佐ノ男神、大山祇神が多いようです。全国三輪神社一覧です。神社近くから臨む霊峰大山です。この地に冬至には大山の方角から日が昇ります。崇神天皇の時代以前から山岳信仰や冬至の日の出信仰があり、三輪山で日の巫女が祭祀を行っていたのかもしれません。