鳥取県米子市淀江町の向山古墳(古墳時代)から見る孝霊山です。
孝霊山の麓には、日本最大級の遺跡とされる妻木晩田史跡(弥生時代)や天の真名井などがあります。
向山古墳を背に撮影した朝日(立春、立冬の日の出)です。
もう少し山際、上淀廃寺跡に近づくと山頂から陽が出そうです。
この朝日の先には大阪府茨木市に三島溝杭神社があります。
このあたりに朝日遥拝地があり、日巫女により祭祀が行われていたかもしれません。
この地で立春の朝日を遥拝すれば、その先には大物主の祭祀者である三島溝杭の玉櫛姫命、媛蹈鞴五十鈴媛命が祀られています。
その先は、一直線に龍王山、天磐船伝説のある饒速日命を祀る石船神社、伊勢の豊受大神宮(外宮)、朝熊山となります。
広大な上淀廃寺跡です。
地元では、藤原不比等の養女で、文武天皇の妃となり、聖武天皇の母となった藤原宮子は、この里の出身の玉清姫であるとされています。
文武天皇は、妃の故郷に壮大な寺院を建立させます。
それが上淀廃寺跡となっているということです。
ですが・・、ときの権力者は藤原氏です。
この寺院の建立により、孝霊山から昇る朝日に手を合わせると、三島溝杭や大物主ではなく、朝日を遮るように建立された寺院と藤原氏に手を合わせることにならないでしょうか?
向山古墳群にも朝日は昇りません。
上淀白鳳の丘展示館に、天の真名井の近くの角田遺跡から出土した1世紀頃に作られた土器が展示されています。
この土器には、驚くことに天空にそびえるような建物や天鳥船のような絵が描かれています。
古事記や日本書紀に著されているものが、1世紀頃の遺物に描かれているのは非常に興味深いです。
淀江あたりは縄文海進終了後、入江のある天然の良港となり、海運で栄えたと考えられます。
孝霊山の麓には、孝霊天皇の妃となった朝妻姫やその御子の鬼退治の伝承などもあります。






