映画『ドライブ・マイ・カー』がアカデミー賞『国際長編映画賞』を受賞されて、嬉しくなったRieruです★
出身県である広島が舞台になったそうで調べてみると、そのひとつに『グランドプリンスホテル広島』が。
私の2人の従弟がそれぞれ結婚式を挙げた場所でもあり、母が1階にあるビュッフェ式 某レストラン(当時と名前が変わってる?)がお気に入りで、小さい娘たちも連れて、両親と(平日に)よく食べに行ってました。
それとは別に、夏季の平日はプールの利用客がほとんどいなかったので(たまたま?)、数回子どもを連れて行ったことがあります。
もう、15年以上も前の事なので現在はどうなのか分かりませんが、宿泊しなくてもわりと利用料がお安かったのを覚えています(幼児は無料だったっけ?←曖昧な記憶〜)。
本当にお世話になりました。
・・・でも、映画観ていないけど。
イテテ
(セレブでも何でも無くても利用しやすいホテルでした♬.*゚)
舞台のひとつになっている呉市の御手洗地区にも、約1週間前に行ったばかりで・・・早いうちに映画を観たいな!と考えている女は、下関市長府にある『乃木神社』に参拝しました。
境内には、目を見張るものが多いので、参拝時間が長くなります。
宝物館内でも、乃木さんの御遺愛の品々などを拝見していると、時間があっという間に過ぎてしまいました。
宝物館を背にして左側に建っている『乃木旧邸』の近くに行ってみましょう。
建物の手前に説明板があり、このように書かれていました。
乃木旧邸
乃木希典は、嘉永2(1849)年11月、長府藩士 乃木希次の子として、江戸麻布の長府毛利藩邸に生まれたが、安政5(1858)年、10歳のとき父とともに長府の地に帰り、16歳で萩に従学するまで、私塾 集童場において学ぶなど、長府城下で過す。
現在保存されている乃木旧邸は、大正3(1914)年、乃木記念会がそのゆかりの地に、忠実に復元したもので、家屋の造りは、6畳と3畳の2間、押入れ、それに2坪の土間という極めて質素な生活をしのばせている。
また、調度品等も当時を再現したもので、風呂敷包が天井につりあげてあるなど、生活の工夫もみられて興味深い。
なお、6畳に相対して置かれている父、母、そして少年からなる3体の等身大木彫坐像は、乃木大将の甥にあたり、明治から大正にかけて活躍した著名な彫刻家 長谷川栄作の製作によるもので、乃木少年が、父親から訓話を受けている場面が、見事に表現されている。
藩主の跡目相続の紛争に巻き込まれて減石、100日間の幽閉を余儀なくされた乃木さんの父 希次さん。
容赦無く厳しい父親だったというのは、有名な話のようです。
母 壽子さんも厳しかったということで・・・
!
可愛い、白虎ベコが♬.*゚当時は置かれていなかったと思いますが・・・癒されます。
調度品も気になりますね。(屋外から撮影したので、これが限界)
旧邸の庭に当たる場所には、『梅の井』が。
7歳の時の話なのでこの井戸ではないのですが、乃木さんが「寒い」と言ったのを聞いた父は、「よし、寒いなら暖かくなるようにしてやる。」と言い、井戸端に連れ出して、汲んだ冷水をかけたという・・・
え!今なら虐待!と騒がれそうなエピソードも、昭和初期の国定教科書に記載されていたのだとか。
旧邸の裏手に回ると、『旧邸趾 大正二年』と刻まれた石が。
気になる石が、こちらにも。『石神社』なのだそうで。
説明板には、このように書かれていました。
願掛けの神様『石神社』(別名・意思神社)
この祠は、北向きです。
南の『太陽』に向かい願掛けをし、北に位置する北半球の夜空の中心『北極星』に願いを届けます。
南から北へ、八百万の神様すべてにお願い事を聞いてもらいます。
願いが叶ったら、御礼参りとして再び参拝し、『石』をお供えします。
北向きだから、願掛けをする時は祠に向かって願掛けをすれば良いのかな?ということは、午後参拝の方が良い?
あと、御礼参りに持参する石は、どんな石でも良いのでしょうか?
置かれているような石と似たようなものでないとダメ?
・・・願いが叶う前から、御礼参りに持参する石のことをあれこれ考えている人って、願いは叶わない気がするのはナゼ?
アイタタタ
(えっと・・・御祭神は?)