創建時に植えられたもの?
鳥居横にあった説明板には、このように書かれています。
御神木
明治元年 乃木将軍は、父 十郎の指図で北風を防ぐため6本の杉の苗木を植えられ、その1本が御神木として残っている。
なるほど。ちなみに上の画像の杉は、昭和19年3月に陸軍士官学校第59期同期生会が献樹された『ヒマラヤ杉』です。
(『父 十郎』は乃木希次の通称)
見上げると圧倒されてしまいますが、守られているような安心感もあります。
道中、『御神上』があり、立て看板にはこのように書かれていました。
「乃木の名水」由来
この御神水は乃木家ご愛飲の「梅の井」より汲み上げられた井戸水で、乃木家を支えた命の源でした。
御祭神も幼少より口にし、過ごされた名水です。
御祭神ゆかりのご神水を頂いて、運気上昇・健康増進・学業向上・ぼけ封じ等のご神縁を深めてください。
奉納協力企業
(株)イワモト理研
ぼけ封じ!に、飛び付いてしまいました。
さらに宝物館方向へ進んで参りますと、右側に乃木さん夫妻の銅像がありました。
例の説明板には、このように書かれています。
乃木将軍御夫妻銅像
昭和37年 乃木将軍御夫妻御殉死50年祭にあたり乃木静子刀自命の御神零合祀。
乃木将軍御夫妻銅像を建立し萬民崇敬の象徴とした。
静子さんは薩摩出身で、乃木さんは「鹿児島の女子しか嫁に貰わぬ」と言っていたそうです。
・・・え?長州じゃなくて?
調べてみると、乃木さんのお母さま結婚をするよう促すと、乃木さんは「30歳を過ぎて」と言って、やり過ごしていたようです。しかし、30歳になり・・・「薩摩の女なら」(乃木さんの前の世代以前の長州は薩摩嫌いが多かった)と、またもややり過ごそうとして、お母さまプッチーン!
条件に合う、20歳の薩摩藩医の娘さんを連れて来ましたよ!
香水の話など、興味がある方は検索してみてください。
宝物館近くには、203高地の松も植えられていました。
大木に成長するのでしょうね。
日本唱歌保存愛唱会が奉納した『水師営の会見』という歌の歌碑がありました。
歌碑には、「文部省唱歌 明治43年発表」とあり、日露戦争中、旅順軍港攻防戦の停戦条約を締結した時の様子が歌われています。
水師営(すいしえい)は現在の大連市旅順にあり、その時の農家の建物は復元されて入場料を払えば見学出来るのだとか。
あら、階段下に目を引く石がありました。
『開運 虎石 滋賀県瀬田川産 奉納 東大阪愛石会』と立て札があります。
黒っぽいのが粘板岩質、白っぽい(黄色)のがチャート質で、まるで虎柄のよう
チャートの方が硬いので、川で磨かれたら、その部分だけが残るのですね。
虎石というのは状態によって『乱れ虎』や『飴虎』、『白虎』、『黒虎』、『豹虎』、『玉虎』等などがあるようで、面白いです。
宝物館の中には乃木さんの遺品や乃木家の宝物が展示されていましたが、遺愛石も・・・乃木さんはかなりの『石好き』だったようで。奉納された数々の石もありました。
良いですね〜、石。私も川に探しに行こうかな?
・・・だいたい良い石は、取り尽くされていますよね。
アイタタタ