夏休みに情緒溢れる熊本県の『山鹿(やまが)』を訪ねた山口県在住のRieruです★
計画を立てる際に参考にするのは旅行雑誌で、その山鹿のページには『さくら湯』という、入浴施設がありました。
いや、そりゃあ記事を見る限り素敵ですよ?でも『山鹿温泉 清流荘』に泊まる予定だったので、わざわざ別の温泉に入りに行かなくてもね〜・・・
△ 『山鹿温泉 清流荘』の館内に掲げられていた『さくら湯』のくまモン提灯
ふやけるわい!って、え?
清流荘にチェックインしたら、さくら湯の無料券をいただいちゃったよ!
なんて素晴らしいサービスなんですか、清流荘ー!(←呼び捨てか?)
じつは山鹿の観光地である『八千代座』が閉まっていたこともあり、予定到着時間より早目にチェックインしたので入浴する時間は十分にありました。
前記事で書いた『山鹿灯籠民芸館』からもさくら湯が見えて、密かに「あ〜、入れたらな〜・・・」と、うしろ髪ひかれる気持ちでチェックインしたのですよ。
しかも少し屋外を歩いただけで汗が・・・汗のヤツが!
私たちでも笑える内容でしたが、意外と疲れました・・・
イテテ
(演目は『火焔太鼓』と『猫の皿』☆)
その落語ドライブの疲れの癒しと汗を流すため、急遽さくら湯に入りに行くことを決めました。
その前にチェックインしたのだからと、先に部屋へ案内してもらい、用意されていたお茶菓子をいただきます。
中の栗が美味しい〜♪その土地のお菓子がいただけるなんて嬉しいし、話の種にもなるので気に入っています。
さぁ、着替えはナシ!清流荘のタオルだけ持って、さくら湯に向かって出発です!
清流荘からさくら湯までは私らでも迷わずに行ける道筋と距離でした。
また、通りがどこか懐かしい雰囲気なんですよ。
ちらほら観光客もおり、賑わっている様子の中、お邪魔しま〜す。
中で無料チケットを渡してin☆
脱衣場及び浴場は撮影禁!
でも、どんな浴槽か気になりますよね〜?
屋外にあった看板?にあった写真を貼らせていただきます。
天井が高く、開放感のある広い浴槽でした。
写真には無いですが、レトロな広告看板が掲げられていて、まるで当時のまま!
当時って?明治?大正?昭和辺り?←幅広っ!
元々は藩主 細川忠の御茶屋として始まったそうです。これが寛永17(1640)年のことで、足利道鑑(第13代将軍 足利義輝の子)や宮本武蔵を招待したこともあるのだとが。
そして明治維新後は御茶屋から市民温泉に。
山鹿の旦那衆である江上津直と井上甚十郎が多額の費用を出し、藩知事であった細川護久は御茶屋と庭園を無償で提供したばかりでなく、木材や石材の切り出しを許可したのだとか。
そんな男性たちのおかげで・・・って!男湯の写真も貼らせていただきます。
ん?女湯と浴槽の中のデザインが違いますね。
見取り図を見ると・・・なにか意図するものがあってのデザインなのでしょうか?
固定されたものであり、明日は男湯が女湯になるということは無いようです。
山鹿出身で藩の御抱え絵師 狩野洞容が描いたものだとか。
こういうのを見ると、つい、干支が辰年の藩主が描かせたんじゃないの?と勘ぐってしまいますよね。でも、別にそんなことはないみたいです。
そもそも狩野洞容が江戸時代のいつの生まれだったか分からず・・・もし中期なら肥後国熊本藩4代藩主 熊本藩細川家5代 細川宣紀が、辰年なので可能性がありますが。
しかし、“湯”に“龍”とくれば、『千と千尋の神隠し』を連想します。それは脳が柔らかいから?とポジティブに考えましょう。
お風呂上がりの柔らかい脳に冷たい糖分、最中アイスを♡
あれ?財布は?・・・すみません!置いてきたので、Mポンにたかり奢ってもらいました。
しかも、『苺』と『酒粕』味の両方食べたいがために、半分こを強要する私。
イテテ
(くまモンも呆れているぞ!)
汗も流したし、冷たいものを食べたし・・・しかししばらく屋外にいると再び汗が・・・
阿蘇の辺りから運んだんでしょうか・・・←また適当なことを!
アイタタタ
(泉質はアルカリ性単純温泉で肌スベスベ最高!)
熊本旅行2日目