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自己否定はやめなくてよし

思考も手放さなくてよし

信じる決める

意識的な行動もいらない

 

 

30年自己啓発を学んでも

変われなかったジプシー

 

生きづらさから解放されて

今まで味わったことがない

幸福感を感じる

人生最後の自己啓発講座

 

 

心のパーソナルトレーニングスクール主宰

 

ラブラブ天音璃音ラブラブです。

※詳しいプロフィールは名前をクリック

 

 

 

 

 

 

最近、インスタのリールとYouTube shortの

投稿を始めました!

 

続けられる限り、やってみたいとは思ってるので

ぜひみてみてくださーい!

 

Youtubeチャンネル

 

 

 

 

 

さてさて、

思い込みがあるとうまくいかない

的なことは

潜在意識について学ぶと

聞いたことあるかもしれませんが

 

私自身が

思い込みって怖いなと感じたことがあるので

そのお話を今日はさせていただきたいなと思います。

 

 

 

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今から10年以上前、

私は人生に絶望していました。

 

 

 

その当時の写真がこちら下矢印

 

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一生懸命笑ってるけど

笑えてない自分。

 

 

 

 

 

なんでこんな表情をしてるのか?

 

 

 

 

 

それは私は自分自身を

見るに堪えない不細工だ

と思ってたからなんです。

 

 

 

 

 

 

 

今クライアントさんたちと話す時に

よく話してるのが

 

自分の顔は醜いと思っていて

鏡で見ることもできないほどで

だからメイクもしなかったし

鏡も洗面台とかお風呂場についてる

家に元々ついてるみたいな鏡以外

持っていませんでした。

 

 

 

 

 

 

あまりに悩んで悩んでいたときは

顔全部を整形したいくらいに思っていて

整形について調べていたくらい。。。

 

 

 

 

 

 

 

これは約10年前に受けた

メールで受けたセッションですが

私自身が書いていたものです下矢印

 

ここからもわかるように

美人であるかどうかに

相当こだわっていたんですよね。

 

 

 

 

 

 

 

でも、今の自分はどうかっていうと

 

自分が綺麗かどうかとか

美人かどうかとか

そんなことにこだわってたんだ〜と

思うくらい

 

今自分の容姿

気にしてもいません。

 

 

 

 

 

 

ぶっちゃけ、

美人かどうかさえどうでもいいw

 

 

 

 

 

 

 

そんなこと言ったら

過去の悩んでる自分に

めちゃくちゃ怒られそうですがwww

 

 

 

 

 

 

 

でも以前はかなり悩んでいました。

 

だから笑えなかったし

整形まで本気で考えていました。

 

 

 

 

 

 

そもそも、

私の容姿コンプレックスの

始まりは

 

母がよく綺麗だと

褒められることがきっかけでした。

 

 

 

 

 

 

 

お母さん、綺麗ね〜

お母さんは美人だね〜

いつも誰かと会うたびに

褒められて

 

その度に

私は

 

お母さんは綺麗=

私は可愛くない

 

と認識していました。

 

 

 

 

 

 

これがやがて

 

お母さんは綺麗=

私は可愛くない=

私は不細工、醜い

 

と変換させてくのです。

 

 

 

 

 

 

実は誰にも言われてないんですよね。

 

あなたは不細工で醜いなんて。

 

言われていたのは

 

お母さんが綺麗だってことであって

 

=不細工など言われてない。

 

 

 

 

 

 

仮に言われていても

 

それは

性格が歪み

笑わなくなったから

 

なはずなのですが

 

 

 

 

 

 

中身ではなく外見

自分自身は容姿について言われている

と勘違いしてたはずです。

 

そして容姿とは

生まれつきの変えられないものと思っている

 

だから

どうせ変えられない

どうせ無理なことを

指摘されてる気持ちになって

 

私には価値がないと

勘違いしてくんです。

 

 

 

 

 

 

よくこれ

自動思考とか

そういう言葉で聞いたことあると思うのですが

 

これもなんで起こるかっていうと

 

自分で思い込んでいるになると

それは自分の責任になるんです。

 

 

 

 

 

 

でも私たちはとにかく

責任をおいたくないという考えがあるので

責任転嫁するために誰かのせいにしていきます。

 

そして、誰かのせいにするためにはどうするか?

 

人はこう思ってるんだろうと

勝手に思い込んでくことで

 

やがて真実みたいになってく。

 

誰もそんなことしてないかもしれないのに。

 

 

 

 

 

 

 

何もしてないかもしれない人を

何かしてきた人として本気で思い

やがて相手を悪者にしていく。

 

これが被害者意識。

 

 

 

 

 

被害妄想とは

本当は何も被害を受けてないかもしれないのに

受けたと思い込みを真実にして

何もしてない相手を勝手に悪物に仕立ててく。

 

 

 

 

 

そう考えると

本当に悪いのは誰なのか?

 

相当恐ろしいことを

私たちはしながら

自分は悲劇のヒロインになっていってるかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

だけどね、

 

自分の考え方が変わると

つまりは人のせいにしなくなると

過去を思い出すことも変わってきて

 

そうなると

思い出したんですよね。

 

 

 

 

 

 

ちゃんと

いろんな人が可愛いとか言ってくれてたのを。

 

だけど

それでは

自分は醜いにできないから

都合悪いから無かったことにする。

 

 

 

 

 

 

 

 

先ほどの書き出しだってそう。

 

だからおばちゃんの言葉も

無かったことにした。

 

その褒めてくれた方に

どれだけ失礼なことをしてるのか

気づいてすらいません。

 

せっかく褒めてくれてるのに

その人の言葉を受け取らない

 

それはその人の言葉を信用してない

つまりはその人自身を信じてない。

 

 

 

 

 

 

 

何もされてないのに最初から信じてない

こんな状態で裏切られたというんです。

 

本当は誰が最初に裏切ってるんでしょう?

 

 

でもその人が嘘つく人とでも思ってるんでしょうか?

いいえ、もちろんそんなことを思ってるつもりはない

 

でも

結果的にはその人を

最初から否定してるようなものなんですよ。

 

 

 

 

 

 

 

自分を否定するから

人も否定する。

 

この方程式をわかってないから

自分を否定しても

迷惑かけてないと思うんです。

 

 

 

 

 

 

こんなにも失礼なことしてることにさえ

気づかないくらいに

 

何も見えてない自分

それが思い込みの激しい自分。

 

 

 

 

 

 

 

思い込みとは

 

客観的に見ることができないと

なくなっていきません。

 

そして

 

この客観的にみるは

みようと思えばできるという

気持ちの問題ではなく

 

見方を学ばないと

できないことです。

 

 

 

 

 

その証拠に

問題点がいろいろあるクライアントさんたちに

 

ご自身のセッション動画を見せるみたいなことを

してるのですが

 

そのセッション動画を見て

私、そんなに問題あるんでしょうか?

と自分の問題に気づく人は

実は結構少ないんです。

 

 

 

 

 

 

 

起業当初は見せたらわかるものだと思って

見せていたのですが

 

ある時から

そうか、これがわからないんだと気づいた時

 

客観的に人はみようという

気持ちがあるかどうかでは

もうできない

 

客観視をするとはどういうことかさえ

ほとんどの人は知らない

そして自分が知らないとさえ気づいてないんだ

 

と気づいたんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

実際、私も

思い込みってこんなに気づかないものなんだ

と気づいた出来事があって

 

それは自分を不細工だと思わなくなっても

母は美人と思っている

 

は変わらないことに関してでした。

 

 

 

 

 

でもある時

実家に帰って

両親の写真をスマホで撮ったとき

 

驚く出来事がありました。

 

それは

 

 

 

 

 

目の前で見ている母と

スマホに映る母が違ったんです。

 

父は変わらない。

だけど

 

スマホの中の母は

おばあさんになっていました。

 

あれ?この人誰だろう?

となりました。

 

 

 

 

しょっちゅう会ってるにも関わらず・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

わかりますか?

 

自分の目で見てるはずの母

目の前で見えてるはずの母を

 

私はずっと

40歳くらいの母の姿だと思って

見てたんです。

 

 

 

 

 

そんな思い込みで見てると

気づくこともなく。

 

 

 

 

 

 

 

クライアントさんの多くも

これと似たようなことが起きています。

 

目は見えていて

見てるはずなのに

 

目の前で起こってることに

気づけない。

 

目が見えるからといって

見えるわけじゃない。

 

これが

客観視ができない

ということ。

 

 

 

 

 

 

多くのクライアントさんが

思い込みが激しいのはわかっていると言います。

 

でも本当にそうでしょうか?

 

 

あなたももしわかっていると

思っているのなら

それは本当にわかっているのか

ぜひ考えてみてください。

 

 

 

 

 

 

 

心の声を聴く

それはなぜ必要なのか?

 

そんなことする必要があるのか?

そんなことしてもと思う人ほど

おそらく自分がこれだとか

正しいと思ってきたことをやってきたかもしれません。

 

その結果どうなったでしょうか?

 

今までとは違う結果を得たいのであれば

ぜひ読んでみてください。

 

今なら無料レッスンも受けられるので

決して損はさせません!

 

下矢印下矢印下矢印

 

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