北海道巡業2026〜悲別編
えべおつ温泉での寝付きは穏やかなものではなかった。真夜中に大雨が降り出し、かつて体感したことのないような短い間隔で雷鳴が轟き、部屋のカーテン越しに稲妻が光った。雨がものすごい音を立てて屋根を叩く。豪雨で自動車水没のニュースが相次ぐ中、不安になって窓から駐車場を覗いてしまうくらいの降り方だった。雷鳴はいつ果てるともなく続いていた。それでもいつの間にか眠りに落ち、5時きっかりに目が覚めた時には外も静かになっていた。せっかく温泉宿に泊まったにも関わらず、週に一度のお湯の入れ替えのため、なんと前夜は入浴ができなかった。明朝4時半以降は入れますということだったので、ムクリと起き上がって大浴場へ。えべおつ温泉は言ってみれば昭和の銭湯のような雰囲気で、昼間は日帰り入浴もでき、泉質は良く遠方から訪れる人も多い。さすがにこんなに早朝では他に人もおらず、一人きりで極上の湯を楽しんだ。それからは二度寝したり窓の外を通過する函館本線を眺めたり、滅多になくのんびりした朝を過ごす。以前泊まった時にはシンプルで、それでも充分満足な朝食を安価で付けることができた。今は「作る人がいなくなっちゃった」そうで、宿泊は素泊まりのみ。前夜セコマで買ってきたホットシェフのおにぎりが朝食となった。
チェックアウト時刻の10時近くなり、絵里子さんと宿を出発。コンビニと郵便局でひと仕事済ませる。雲が多いながらところどころに青空も広がり、湿気はややあるものの快適な陽気だ。我々に本日の演奏予定はなく、まずは22kmほど離れた「悲別ロマン座」へと向かう。
脚本家、倉本聰は富良野、麓郷を舞台とした連続ドラマ「北の国から」の少し後、1984年に「昨日、悲別で」というドラマを手がけた。舞台の「悲別」は架空の知名で、実際のロケ地となったのは上砂川や歌志内である。主人公のリュウ(竜一)はかつて炭鉱で栄え、今(1984年)はすっかりさびれてしまった悲別から東京に出てタップダンサーを目指している。同級生ながら東京に出た者、悲別に残った者、その対比もこの作品の魅力だ(奇しくも前夜、絵里子さんが列車で乗り合わせた高校生たちもそんな会話をしていたという)。そしてドラマの中でリュウの友人の父、伸吉という人が「悲別ロマン座」という映画館を経営していた。リュウがまだ悲別にいた頃、伸吉はよくこっそりタダで彼に映画を見せてやっていた。作品を選ぶのも伸吉のセンス。それらの映画から刺激を受けてリュウはタップダンサーになるという夢を育むことになるのだ。リュウが東京に出た後、伸吉は持っていた三つの会社を倒産させ、ロマン座も失うことになる。それでも伸吉はリュウと、同郷でのちにリュウの恋人となるゆかりを「ロマン座の卒業生」としてずっと応援していた。ちょっと「ニュー・シネマ・パラダイス」を連想するような物語だが、「昨日、悲別で」はあのイタリアの名画より四年ほど早い作品だ。どんな田舎町やさびれた場所でも、そこに文化を運ぶ人がいれば、それに触れた人の心が動き、何か素敵なものが生まれる。何かが活性化する。大変に僭越ながら僕がこの十数年、コンサートがほとんど開かれないような地域に演奏で押しかけているのも、そこで出会う方に自分の大切なものをお届けし、素敵な時間を共有したいからだ。大都市から遠く離れた地では、僕のような者が奏でる地味な音楽ですら「こんないいコンサートは初めて観た」と喜んで下さる方もいるのだ。ドラマ「昨日、悲別で」の伸吉は人生的には「勝ち組」にはなれなかったけれど、とても素敵なものを地域に届け、人の心を動かした。その拠点「悲別ロマン座」はかつてこの地域が炭鉱で栄えていた頃、従事者やその家族の福利厚生施設として実際にあった「旧上歌会館」という映画館を使用している。この旧上歌会館はドラマではなくリアルに、そこに暮らしていた数多くの人々の生活を彩っていたことだろう。これから音楽ツアーを始めるに当たり、演奏の相棒である絵里子さんと、まずそんな歴史や想いを共有できたらと思い、そこを旅の最初の目的地に選んだ。
えべおつ温泉から車を走らせること約25分、「悲別ロマン座」はペンケウタシュナイ川が流れる豊かな森の中に静かに佇んでいた。炭鉱の閉鎖後、いっとき廃墟になっていたそうだが、現在は有志の方々が定期的に保存活動をされている。公開日以外は中に入ることができず、他に人の姿はない。往時の賑わいが感じられるものもほとんどない。ただそこが高い空の下、森の豊かな香りと川のせせらぎに包まれた、普段大都市で暮らす我々にとってあまりにも贅沢な場所であるのは確かなこと。現在のいびつな一極集中と地方の過疎化に歯止めをかけるのは難しい。こんな豊かな自然の中に洒落た映画館が建てられたのも、かつて炭鉱という産業が成り立っていたからで、それは同時に多くのものを脅かしていた。そんな時代にも終わりが来て、その後「炭鉱から観光へ」などというキャッチフレーズが生まれては虚しく消える。日本のみならずアイルランドやスコットランドなどでも感じたことだが、大自然の懐で楽しむ音楽や芸術には、都会では決して生み出せない魅力が、味がある。いろいろなことにうまく折り合いをつけて、この国も再び地方にまで血が通い、こんな場所で生活の営みの一部として音楽や演劇が楽しまれるような世の中になれば良いなあと、ペンケウタシュナイ川のせせらぎに耳を傾けながらまとまらないことを考える。今回共に旅をしてくれている絵里子さんは、そんなことを話し合えるとてもありがたい存在だ。


天気がまだ安定せず、ポツポツと雨が降ってきたので、悲別という名の歌志内を後に富良野を目指す。絵里子さんがBluetoothで「昨日、悲別で」の主題歌「22才の別れ」をかけてくれた。それで自分のなけなしのフォークソング魂に火が付き、ついでに「あの唄はもう唄わないのですか」の二つのバージョンの聴きくらべなどをしているうちに富良野に着いた。早速、我が心の拠り所、翌々日にライブをさせて頂く野良窯カフェノラさんにお伺いし、ランチをいただく。大好きな風景を眺めながらの茄子とベーコンのパスタは絶品で、普段は口にしないエスプレッソまで注文してしまった。

この日は夜に旭川空港に到着するHINAさんを迎えに行くまで予定がない。これも心の拠り所である宿にお邪魔し、炭鉱絡みの映画「幸福の黄色いハンカチ」を観て、これからのツアーへのエネルギーを充填する。北海道での貴重な時間、こんな過ごし方ではもったいないかもしれないが、これは北海道で観るから良いのである。夕方になり、上富良野や美瑛の丘の小道をさまよいながらのんびり旭川空港を目指す。北海道の飲食店は閉店が早い。またもやラストオーダーギリギリに我々が空港のフードコートで山頭火ラーメンを食べているうちに、HINAさんを乗せた飛行機が約30分遅れで到着した。彼女はいつの間にか到着ゲートを通過し思いがけない所から現れたので、せっかく用意していた歓迎ボードは無駄になった。HINAさんにとって、これが北海道初上陸ということである。
北海道巡業2026〜留萌編
一部の方からは「秋の風物詩」と言われている僕の北海道巡業、今年は八月下旬から九月上旬という珍しい時期でお伺いすることになった。
今年のメンバーはフルート矢島絵里子さん、ボーカル&ハープHINAさん、木村林太郎の三人。僕がひと足早く北海道入りして、8月27日(木)に留萌「海のふるさと館」でソロコンサートを開くことになっていた。
出発日の8月26日、東京は猛暑がぶり返していた。絵里子さんとHINAさんの荷物を車にピックアップし、昼前に自宅を出発。宇都宮の手前で渋滞が発生していたものの、5時間ほどのドライブで仙台港に着いた。車ごとフェリー「きたかみ」に乗り込み、自分の船室に落ち着くのは何度繰り返しても至福の瞬間。まず船内バイキングを楽しみ、それから甲板に出て出港の風景を眺め、早めに眠りにつき、真夜中に目覚めたところで人のいない大浴場に行くというのもいつものルーティン。今回はずっと穏やかな航海で、よく眠った。
明けて8月27日、午前11時、定刻に苫小牧でフェリー「きたかみ」を降り、最高の気分で北海道へと上陸。「八月の北海道」は学生時代以来。我が小学生時代、花屋を営んでいた両親は世間のお盆と入れ替わるように、決まって8月16日から夏休みを取っていた。その休みをまるまる使っての十日間ほどの北海道旅行は最も大切な家族行事、自分にとっても一年で最大の楽しみだった。また学生時代にはJR北海道が主催していた「北海道自然の村」という企画で、主に首都圏の小・中学生を引率する立場で豊富町や遠軽町を訪れていた。これも八月のこと。北海道の夏には濃厚な、幸せな思い出が詰まっている。やや感傷的になりながら、一般道で留萌を目指す。岩見沢からちょっと大回りをして月形へ。ここは石狩川に沿った肥沃な土地。時刻は13時すぎ。このあたりで昼食をと目論んでいたところ、ちょっと行き過ぎて沿道に飲食店が見当たらなくなってきた。そんな時に手打ちそば屋の看板を見つけ、迷いもなく駐車場に車を入れる。店内に入ってみるとかなり独特な作り、雰囲気で、他に客の姿はなかった。店は年配の女性が一人で切り盛りしていた。その女性は「せっちゃん」の通り名で、蕎麦を打つし絵も描く。「せっちゃん」こと船越節子さんの絵が店内の至るところに飾られていて、見てもいいですか?と聞くとあちこちの電気をつけて下さった。それで初めて、蕎麦屋とアートギャラリーとカフェが一体となっているこの店の不思議な作りを知る。せっちゃんのそばもつけ合わせもとても美味しくて、値段もリーズナブルで、これは当たりだった。何よりせっちゃんが長年にわたり描き続けてきた色彩豊かな絵に囲まれての不思議な昼食になった。






ケルティック街道はつづく
9月、ハイブラシル「ケルティック街道をゆく」北海道編(道央&道北)ののち、矢島絵里子さんとのデュオで「ケルティック街道はつづく」日高地方でもミニコンサートを行ないます!
アイルランド音楽コンサート〜ケルティック街道はつづく
矢島絵里子(アイリッシュフルートほか)
木村林太郎(ケルティックハープ、歌)
2026年9月5日(土)
15時〜16時
レ・コード館 シアター
北海道新冠郡新冠町中央町1−4道の駅 サラブレッドロード新冠
2026年9月6日(日)
13時〜14時
富川複合施設とみくる ふれあいホール
北海道沙流郡日高町富川北3丁目3−16
※両会場とも入場無料、ご予約不要です。ぜひお気軽にお越し下さい!
