木村林太郎ブログ~リンタウロスの森 -2ページ目

2/4(日)Dúlarinnライヴでした

昨日は横浜・白楽「La Fiesta」にて2024年最初のDúlarinnライヴでした。お店のオーナー兼シェフ松浦君は、実は中学二年生の時に一学期だけ同じクラスで、その後転校してしまった旧友。昨年ウン十年ぶりの再会を果たし、今回ライヴをさせて頂くことになりました。中学生当時は交通費もろくになくて、荻窪から彼の引っ越し先の府中まで自転車で片道一時間以上かけて何度も会いに行ったものです。実に感慨深い夜。そしてお客様やバンドメンバーが彼の作ったパスタやピザを絶賛するのを見て何だか自分まで誇らしくなりました。当時は野球かアイドルの話ばかりしていたのですが、だいぶ形を変えてまた人生が重なりました。ランチもディナーも美味しくてリーズナブルなお店なので、お近くの方はぜひ!
ここ数年ライヴ本数がとても少なかったDúlarinn、今年は新しく大きく展開します。その布石となる大切なライヴを良い形で描くことができたと思います。来月にはまたまた、意外な場所で演奏もさせて頂けそうです。
昨日は36弦ハープ「ハイブラシル」と共に電車移動でしたが、本日は関東にしてはまとまった雪。一日ズレていたら帰宅困難になっていたと思われ…






孤球

 シンガーソングライターゆいこさんには、15年以上にわたりライヴのサポートや、時にはレコーディングにも呼んで頂いています。ゆいこさんはこのたびご自身の名曲「孤球」を三部合唱にアレンジされました。譜面が発売になり、動画も公開されました。その動画で歌を担当しているのが、岡本千佳、権藤英美里、金子アミ、僕の四人。

ゆいこさんは歌声もピアノも、作曲もアレンジも全てがあまりにもファンタスティックで、自分の音楽にもたくさん影響を受けてきました。今回の動画へのレコーディングに参加できたのは夢のように嬉しいことです。。普段DúlarinnやANONAで一緒に歌っている大好きな声と絡み合いながら、自分の声が稀代の名曲の一部分になっているのを聴いていると、何だか現実感がありません。いやあ、みんな個性溢れる素敵な声ですし。こんな縁に恵まれて本当に良かった。

「孤球」ぜひ聴いて下さい。



白石島への旅2

白石島港の小さな桟橋に降り立つと、今回コンサートでお世話になる関係者の方々が迎えにいらして下さっていた。初めてお会いするにも関わらず皆さんとてもあたたかくて親切で、そして愉快な方ばかりだった。翌日のコンサート会場となる白石島公民館を下見してから、我々の宿泊場所となる「ヴィラ」へ向かう。緑豊かで、起伏の激しい地形。この地方で大人気という海水浴場を過ぎ、急な坂を登って丘の上へ。「ヴィラ」はまるで、かつて過ごしたアイルランドの田舎のユースホステルのような、美しい風景の中にある居心地の良い宿だった。リビングからは瀬戸内海と、遠く広島県福山市までを見渡すことができる。

そのリビングで少しリハーサルをした後、今回の我々のコンサートを発案、手配して下さったN先生のご自宅に伺い、山からの心地良い風が吹き抜ける庭で豪華な夕食を頂いた。N先生はもともと大阪で、侑加さんの母上と共に保育の仕事に携わっていた、その道のプロフェッショナル。現在は白石島を生活の拠点とし、島おこしに尽力すると共に、大阪などでも引き続き保育に関わられているそうだ。この夕食の席には、現在白石島の保育園に勤務されていて、今回のコンサートに「島おこし協力隊」として力を注いで下さっているR先生、N先生のご親族や友人の皆様もいらして、賑やかな宴だった。話が進むにつれて、この場にいる方々それぞれが、さまざまな分野の「島の重鎮」で、とても個性的で知的で、そして優しくて朗らかだということが明らかになってきた。皆さんのお話が興味深くて、冗談も笑い過ぎて苦しくなるほど面白いものばかりで、本当に楽しい時間だった。ただ「猪が活発な夜になる前に帰りましょう」ということで、まだ少し明るさが残るうちに宴はお開きになった。

さて翌日はあいにくの雨模様だった。午前中に丘の上のヴィラから車で白石島公民館にお連れ頂く。皆さんの、絶対に雨で出演者や楽器を濡らさぬように、というご配慮が伝わってくる。コンサートの準備中も、さまざまな形でお気遣いを頂いた。何だか時間の経過が早くて、いつの間にか開演の15時になっていた。

現在白石島にお住まいの方は約200人とのこと。この日、そのうちの数十パーセントもの方が公民館に集まられていた。コンサートの始まりは、地元のベテランギタリストお二人の演奏。渋い選曲と、円熟味のある演奏、そして歌。このデュオの奏でる「瀬戸の花嫁」を聴いて、こんな集まりの中に来られてしみじみ良かったと思う。さて、白石島の保育園にはもう何年も園児がいなかったのが、今年はついに二人の女児の入園が叶い再開できたとのこと。その子たちと、保育園のR先生が踊る「大きな栗の木の下で」「ジャンボリミッキー」の伴奏が、今回の我々の大役の一つだ。準備の段階から特に侑加さんが頑張ってくれて、白石島の希望とも言うべき子ども達と若く情熱溢れる先生のバックを無事に務めることができた。

コンサートはそのまま「ケルトの歌めぐり」へと入ってゆく。本来のタイトルは「ケルト歌めぐり」だが、侑加さんに委ねていたらいつの間にか「の」が入っていた。自分にとって、いろいろな地域の方々に自分たちの音楽を聴いて頂くというのはこの上ない喜びだ。普段「音楽会」というものがほとんど開かれない地域や施設などにおいて、歓迎されるのはいわゆるスタンダードな音楽、広く知られた楽曲の演奏だということは痛いほど理解している。それでもやはり自分は、心底大好きで胸を張って「これ良いでしょう!」と言える音楽ばかりを会場にお届けしたい。愛すべきアイルランドやスコットランド(ついでにイタリア)の人々から頂いてきた選りすぐりの伝統曲、そして自分たちの楽曲や物語には、きっと聴いて下さる方々の心にも残るような力があると信じている。そんな訳でこの日の演奏曲目は、普段の「ケルト歌めぐり」とさほど変わらないものだった。

コンサートは毎回が一期一会。自分たちも含め、そこに集った人がどれだけ素敵な、心豊かな時間を共有できるか、もちろんそれにはたくさんの丁寧な準備や工夫が必要だ。白石島での「ケルトの歌めぐり」には、その開催に漕ぎ着けるためにたくさんの方々の情熱が注ぎ込まれ、すでに魔法がかかっていた。あとは、すべてのことに感謝して演奏するだけ。曲の紹介に普段より多めの時間を費やしたり、「悲しくてやりきれない」などいくつかの日本の有名曲も織り混ぜながらの約一時間、客席の皆様はとても熱心に、そして温かく我々の演奏を聴いて下さった。コンサートが終わったのは16時すぎ。大阪や岡山など島外からわざわざご来場下さった方々もいらして、終演後間もなくして出る船で帰っていかれたようだ。

実は自分はこの日の朝からちょっとした頭痛に悩まされていた。普段あまり日の当たらない場所にいるのに、急激に海のまぶしい光を浴びて眼の負担が大きかったのかもしれない。あるいは前の日に普段お目にかかれないようなご馳走をたくさん頂いて体がびっくりしてしまったのかもしれない。とにかく痛恨の極みだったのが、この後に開かれた島の方々との宴に出られなかったこと。そこではこの日に開かれた短いコンサートについて、自分以外の出演者も含めてたくさんの人々からのたくさんの感想が飛び交ったそうだ。さらにそれからの日々も、島の皆さんが顔を合わせれば何度もこのコンサートのこと、我々が奏でた音楽のことを話題にして下さっているとのことだ。

自分の演奏技術に関しては、身に付けねばならないことが途方もなくたくさんある。一方で、この白石島でのコンサートではたくさんのポジディブな感触も得ることができた。自分は「ケルトの歌」には長年、深い敬意と愛着を持って取り組んできた。その継続の末に、今回のメンバーのような素晴らしい演奏仲間に恵まれ、伝えたい美しい物語もたくさんある。そのいくつかの果実によって、これまで馴染みのなかった場所で、馴染みのなかった人々と共に素敵な時間を過ごすことができ、自分は音楽を通してこんなことを実現したかったのだと改めて思った。

そしてもちろん自分たちの音楽の置き土産をはるかに上回る素晴らしいお土産を、白石島から持ち帰らせて頂いた。豊かな自然環境とゆったりした時の流れ、そこで暮らす、人生経験豊富でとても上品で、それでいて冗談好きな方々の深い思いやりと言葉。本当にたくさんの素敵な交流と経験の交換。

若年層が都市部へ流出し、地方が疲弊する構造は加速するばかりで、白石島でもそういった残念な空洞はあちこちに見られた。地方移住にさまざまな課題があることは嫌と言うほど良く知っている。それでも年代を超えて一丸となった島おこし、地域おこしが遠くない日に実を結ぶことを願ってやまない。