VIP試写会の記事で~会長さんが… | 徒然なるままに*Rain&パクヒョシンさん、そして時々俳優ヒョンビンさんを応援します

徒然なるままに*Rain&パクヒョシンさん、そして時々俳優ヒョンビンさんを応援します

好きなときに、書きます。
気がついたら読んでください。
昨日では早すぎた。
明日では遅すぎる。
だから……
いま。

ちょっと急なお知らせ事がありーー。

落ち込んでいたら、タイミング良く、Yさんがこんな記事を教えてくれました。
ありがとうございます😊。

ニュース記事はこちらから↓

翻訳機で翻訳するとこんな感じ(ママ)

興行より上へ"…'オム・ボクトン'自転車に注ぎ込んだ150億価値

恥ずかしくない歴史を紹介したため、恥ずかしくない作品と言っている。 最善を尽くしていたし、それ以上の真正性を盛り込んだ。 興行も重要だが、それより映画の意味と制作意図がよく伝達されることを異口同音に叫ぶ理由だ。
 
映画'自転車王だったオム・ボクトン(キムユソン監督)'が過ぎた27日封切り後、観客たちと会っている。 '自転車王だったオム・ボクトン'は、日帝強占期に希望を失った時代に日本選手たちを追い抜いて朝鮮人としては初めて全朝鮮自転車大会1位を占め、東アジア全域を制覇したオム・ボクトンの業績を素材に当時、国のために身を捧げた独立軍たちの活躍をフィクションで再構成した作品だ。
制作費だけ150億が投資された商業映画大作で収益を向けて回さなければならないことが損益分岐点だけで約400万人だ。 しかし、'自転車王だったオム・ボクトン'は試写会直後、好き嫌い分かれる評価を受け、主な理由は完成度に重点が注がれた。 この過程で、'自転車王だったオム・ボクトン'が伝えようとした勝利の歴史と希望は埋もれてしまった。 "高級によく作られなければならない"という酷評が悔しくないわけではないが、投資会社側は"それにもかかわらず、150億がもったいなくない"は立場を明確にした。 150億をつぎ込むような'価値のある話'という意味だ。
 
朝鮮人らの抑制された胸を慰めてくれた最初の大衆的スポーツスターだったオム・ボクトンは、1913年、1923年、1928年に開催された全朝鮮自転車競技大会を含め、およそ15年間も優勝旗を逃さない、自転車大王(毎日新報、1913年11月4日、記事)という別称を得たこともあった。 特に1920年5月2日、京城市民大運動会で、日本側の蛮行に抗議し、優勝旗を下した事件は、オム・ボクトンが2000万朝鮮人にとってどんな存在だったのか立証させる十分だ。 当時の朝鮮人に、オム・ボクトンと彼の優勝が持つ意味が単なるスポーツに止まっていることがなく、民族の勝利であり、希望だったという事実を端的に示している。
 
映画はこうしたオム・ボクトンに焦点を合わせ、冷たい時代的雰囲気とは正反対の熱い闘志同時に表現しために努力した。 俳優たちの苦労と情熱は言いは言えない。 製作者として第一歩を踏み出し、しっかりしたデビュー戦を終えたイ・ボムスは映画の中パクの生活を守り、精進的支柱の役割を果たし、チョン・ジフンは、猛暑の中、地球半周をマークし、実際の専門サイクル選手に劣らない訓練を消化した。 また、強靭な独立闘士に女性キャラクターの存在感を高めたカン・ソラも強力なアクションを直接演技し、大規模な一軸を担当することはもとより、イメージ変身にも成功した。

公開前の疑いの目を向けた観客らは映画を直接観覧した後は、共感の声を高めており、目を引く。 厳しい時代、独自の方法で民族の自尊心を守った映画の中の人物たちに感謝すると拍手を送っている。もちろん'映画的な見方'から見ると、ところどころ泥臭さがにじみ出たのは事実だが、その泥臭ささえ時代相をうかがわせるという肯定の反応も相当する。
 
事実'自転車王だったオム・ボクトン'は製作過程から開封までノクロクチャンた時間を過ごした。 特に、封切りの時期が数回変わって内部的にもそれなりの辛酸を嘗めなければならなかった。 当初'150億の大作映画'に焦点を合わせて最盛期の封切を念頭したが、そうなれば、製作意図と目的が意味なくなると判断、もう少し休ませても3.1節の公開を推進するのが正しいという決定を下した。
 
これと関連し、最近、記者と会った'自転車王だったオム・ボクトン'投資・配給会社セルトリオンエンターテインメント徐廷珍(ソ・ジョンジン)会長は"職員たちが'3月はオフシーズンのことをご存知ですか?'という話だけ数十度もした。 それはまさに'興行し難い'ことを意味する。 周辺で反対もたくさんした。 それでも入ったお金があるが、当然、懸念されるしかないのではないか。 それにもかかわらず'3月に公開するのが筋だ'は考えがなかなか変わっていなかった。 それで私が先に'3月に封切りさせよう'と釘を刺し、昨年一年間をそのまま寝かせておいて3月を待った"と説明した。
 
徐廷珍(ソ・ジョンジン)会長は"初めて監督とイ・ボムスが'この作品を映画化したい'とシナリオを持って来た時は作りたい心が本当に一つもなかった。 '何だ'した。 ところで36年間その暗うつだった時期に自転車競走一つを見るために龍山(ヨンサン)に10万人が集まったというポイントが入った。 彼らには自転車競走試合の勝敗がそれなりの生きていける、耐えられる理由だったのだ。 私たちの祖父や父親の世代にすまなくて作った。 そして、今現在の時代を生きながら、苦しんでいる彼らに'それでも私たちは生きがいがある。 幸せだ'はことを教えてあげたい150億を書いた。 獲得できるかどうか、突き詰めず、使っている。 私が抱いた考えを多くの人が一緒に感じてくれることを望む気持ちで書いた。 あえて慰労と治癒の映画と言いたい。 心だ"と強調した。
徐廷珍(ソ・ジョンジン)会長は、やや敏感できるTMI(Too Much Information)をかけて置くのにもためらいもなかった。 豪放さと率直さが'自転車王だったオム・ボクトン'に対する真正性を高めた。 "関係のない情報である可能性があるんで私はこの作品を開封させておいてまた日本に薬を売りに出なければならない。 わが社のメインは知られたように製薬と化粧品のことである。 日本側でもちょっと難しくしている様子は言っていた。 何だか"、大笑いした徐廷珍(ソ・ジョンジン)会長は"VIPの試写会にはチョン・ジフンの日本ファンらが大勢参加した。 どう考えたらその子や七に失敗した"と冗談交じりの話術をはばかることなく披露した。
 
さらに、"状況になってみたらそうということで、作る時は全く考えていなかった部分だ。 今も特別な心配してはいない。 それだけ私たちはこのメッセージを必ず伝えたかったし、ストーリーに対する確信があった。 ジフンさんは血下ろしながら、ものすごい努力を傾けた。 ありがとう"、"なんだかんだで、予め準備した3.1節映画になった。 私たちの作品だけでなく、3.1節に表明しことのできる有意義な作品がいくつもあることいいな。 他のことは望まない。 興行?もう思わない。 映画を見てくれる観客たちに、この映画に参加した私たちの心だけを最大限、深く伝えられることを願うだけだ"と付け加えた。

3.1運動100周年や上海臨時政府樹立100周年記念事業会委員長は"100年前、我々は非暴力で日帝に対抗した。 3.1運動は非暴力平和運動で、全国民10%が参加した。 '平和運動'を日本は憲兵、警察を動員して無慈悲に扱った。 民間人は戦争の主敵がない。 総、刀なく'独立万歳!'を叫んだだけなのに、残忍な暴力が続いた。 全国民が、あざが出来た時、しばらく彼らの傷を癒してくれた人が、オム・ボクトンだ。 オム・ボクトンは実力で、能力で直接日本選手を勝利したことで、平和的に国民に、癒しと感動を与えた。 この映画はそのようなメッセージを盛り込んでいる。 誇らしく思ってほしい。 そして、オム・ボクトンのバトンを受け継いでほしい"は言葉を伝えたりもした。
 
血、汗、涙なしに作られる作品はない。 ためにすべての作品が'観客との疎通'を最優先目標としている。 選択はひたすら観客の仕事で、誰も強要することはできない。 ただ、映画に対する愛情と心、そして自身は映画を作った彼らが示しことができる最善だ。 '自転車王だったオム・ボクトン'はさまざまなルートを通じてその最善を見せた。 今はそのどんな誤解なく完全に伝達なることばかり残っている。


blog前ページで、この時VIP試写会のことを書きましたが、会長さんの言葉が心に染みた、の部分は、コメントで質問がありましたが、ハッキリと言えませんでした。聞いたときは割合わかったつもりだったんですが…。

blogにもこんなことを書きましたね。↓
私たちの祖父や父親の世代に~の辺りだけを書いたんですが、

つまり、こういうことだったのですね。

私たちの祖父や父親の世代にすまなくて作った。 そして、今現在の時代を生きながら、苦しんでいる彼らに'それでも私たちは生きがいがある。 幸せだ'ということを教えてあげたい…
 私が抱いた考えを多くの人が一緒に感じてくれることを望む気持ちで書いた。 あえて慰労と治癒の映画と言いたい。 心だ"
映画を見てくれる観客たちに、この映画に参加した私たちの心だけを最大限、深く伝えられることを願うだけだ

のような感じでした。

ボムスさんも、GVのトークの中で、
"当時の朝鮮人にとって、オム・ボクトンの優勝が持つ意味が単なるスポーツに止まっていることがなく、民族の勝利であり、希望だったというようなことを仰ってましたね。希望は、韓国語でヒマンですが、お話の中に良く出てきていました。😊

オム家のヒマンは、弟のキドン君でしたが…。彼はどうなるのか…。
映画を観たくなったでしょう?😁
日本では難しいかなあ…。
そのうちDVDが出るかもですね。

そう言えば…なんですが、
セルトリオングループの会長さんが挨拶されたVIP試写会では、日本人がいたのは、グローバルファンのところだけでした。他には居なかったと思います。

お話の途中、ストレートに言葉が心に染みてきて、私も少し頷いたりてしていたのかもしれません。
ふと、目をあげると、目の前の位置にいた会長さんの目と目が合ってしまいました。
落ち着いた目で、そうなんだよ、と言われた気がして、思わず頷きました(笑)。

まあ、気のせいでしょうけどね。😆

この映画を見て十分伝わりましたよ。
良い映画です。
何と言うか…
努力を惜しまず、誠実に、まともに生きなければ、とも思わされました。

それにしても、、、
この記事を読んで、会長さん、日本人が来ていたのがわかったのか?と思ってしまいました😃💦
特にね。。。

韓国のファンが参加した、クルムの企画のVIP試写会は、別の会場だったので、
その会場には、これを企画して下さった韓国人Rainファン以外は、グローバルファンだけしか居なかったはずです。

この会場には、
聞くところによると、3.1運動に関係ある方々が招待され観覧していたようです。お年寄りが多く、そんな感じでしたが、ハッキリしたことはわかりません。

雨のグローバルファンがあなた方を招待しました、という画面が映されていて、他の出演者が
ここは、ビのファンの館だから、みたいに遠慮して言うので、アニエヨー!お話下さい~みたいな声も飛んでました😊。

1番下にファンの各国名が出ていました。ジフンさんも、頭を回して画面を見ていました。
韓国、中国、日本……→の順番でしたね。
グローバルマスター、いつもお世話をありがとうございます。

参照↓

いくら何でも、昔の日帝時代の話の映画を見て、ジフンさんを嫌いになりませんよ、
そして、そう思うからこそ、会長さんも、レインの日本人ファンもいるからちょっと失敗かな、と冗談を言われたのでしょう。

そこも、何となく嬉しかったです。
酷い日本人の行いを描きながら、それでいて、オブラートに包んだ描き方だなあ、という印象でした。だから、韓国のナショナリストに、表現が弱いと思われてしまったのかもしれませんですね…。

でも、民衆の心の支えを描いた、というこの映画は、韓国の人にはウケないかもです。こういうの、むしろ日本人の方がわかるかと感じるのは私だけでしょうか…。

ちょっと違うかもですが、
冬のソナタが日本でヒットしたように…。
韓国では、ペ・ヨンジュンさんは当時人気無い、とか言われていましたし。

とにかく、善良なオムボクトンにハマり役のジフンさんを観て欲しいです。

グローバルファンのサポート記事です。
地球儀🌍を押したら日本語で読めます。

上映館の予定が、見たあとも変わったりするので、もう暫く調べてまたあげますね。




こちらも宜しくです。
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村