京都盲唖院・盲学校・視覚障害・点字の歴史

京都盲唖院・盲学校・視覚障害・点字の歴史

視覚障害教育の歴史を研究しています。京都盲唖院、古河太四郎、遠山憲美、鳥居嘉三郎、石川倉次、好本督、鳥居篤治郎、小野兼次郎、斎藤百合、エロシェンコ、楽善会、雨宮中平、点字

 Wood Carving Finland “Sokea” Signed Man Reading Braille Book. フィンランド・1962年 (Sokeaは盲目の意。基盤の板の裏にSokeaと記されています。)

 どことなく京都ライトハウスの創立者・鳥居篤治郎さんを偲ばせる木彫りの人形です。高さ16㎝ほどの座像で、本の1ページは2.5㎝幅なので、点字の突起は表現されていません。

(『月刊讀賣』1943年9月18日発行 写真はこの記事の1ページ目)
 1ページめに、目を白い布で覆い、杖を携えながら椅子に腰かけ、盲導犬の頭をなでている失明軍人の姿がある。東京盲学校長が失明傷痍軍人教育所長をかねていたことなども知れる。

長いこと探していた、函館盲を卒業してビクター専属となった山本麗子の流行唄レコード。タイトルの書き写し間違い、、、、、似たところのある漢字だが2文字とも違っていたとは(苦笑)

♪ 2014年10月12日のfBに<1906年頃の〈岐阜盲〉授業風景>が載ったイギリスの雑誌のことを書きました。そのときは、「フランスの友人から届いた情報」として紹介しましたが、

 今日、その写真入りの記事がイギリスから届きました。岐阜聖公会訓盲院の創立は 1894年ですから、創立12年目くらいの3葉です。マッサージの実技のほか、女生徒の机上学習、男子生徒の立体地図触察のように見えます。和服姿がほとんど。創立者、森巻耳さんは、Моri San。(オータニ サン の先駆け!)

 【1年ぶりの投稿となりました】

むげの ひかり   てんじ ちりょー しんぽー    かくせい   ひびき    ほしの はな   ほしかげ   ぶつがん   ほしの とも   とくせい   えっさ もーじんかい   けんろくの ほし   みえけん もーじん きょーかい はっこーの かいほー   だいもー どーそーかいほー   むつの はな   むつぼしの ひかり   あいち もーじん がくゆーだんし   みえけんりつ もーあ がっこー もーぶ どーそーかいほー   めいじの ひかり   むげんきん   とーきょー どーあい もーがっこー あいこーかい かいほー   すいせんの はな   てんじ こーろん   いわての ほし   しんじ まっさーじ   ことりの うた   ぶつり りょーほー じろん   みよの ひかり   しのぶの むつみ   ぞーげの とー   にほんの もーじん   ほしの ひかり   てんじ さいせいぐん   ぶつがん   しんこー   かがやき   ほしの はな   ひかり   エスペラント リギーロ

 

 

 左右に四人ずつ、和服の生徒が正座している。左は男生、右は女生。点字らしき書物に指先を当てている。中央には、羽織姿の、おそらく森巻耳院長であろう。背景は襖。
 女子生徒のなかに、野口小つる(後の斎藤百合)がいるのかどうかは定かでない。
 この1枚は、岐阜盲学校にも残っていないと伺った。吟味に区切りがつけば同校に寄贈したい。

 

 「點字讀賣新聞」は、日刊東洋點字新聞の継承紙として1942年8月15日に創刊され、1946年3月5日の第6791号をもって廃刊となりました。点字8ページだてで、日々、読者のもとに郵送された世界唯一の日刊点字新聞でした。(点字毎日は週刊)廃刊は読売新聞社が空襲に見舞われたさいに、点字の活字などが壊滅的な被害をうけたことに起因するそうです。

 このほど、同紙の墨字翻訳版を入手しました。初めてその存在を知りました。点字読者以外に墨字版を購読した人があったのか、宣伝を兼ねて視覚障害教育などの関係者に参考として配布したのか、点字版を作成する過程で作業用の資料として作成されたのか、読売新聞社とは別の機関か個人が作成したのか、、、今のところ全く定かでありません。読売新聞社の社史関係などにあたってみようと考えています。


 

 現在は10月10日が眼の愛護デーになっています。

 1938年から敗戦後までは、9月18日が眼の記念日でした。写真は、その頃のポスター。中央盲人福祉協会・日本眼科医師会・日本トラホーム予防協会の連名で作成されています。

 2020年に復刻出版された「中央盲人福祉協会機関誌」(金沢文圃閣)では、1947年よりあとの、10月10日全国視力保存デーのポスターが裏表紙に配されました。

 

 点字本の『新訂中学修身教科書巻四ノ上』をわけていただいた。最後のページに驚いた。本の天地(上下)を逆にし、点字(凹面)の行と行の間に「1.細胞 cell 生物体の体はcellよりなる事は現在明らかなる事実である。」と始まるペン字が1ページびっしりと書き込まれている。インターラインの点字だが、ここは片面書きに近いページなので、やりやすかったと思われる。

 紙不足の頃、もとの持ち主とは別の晴眼者か相当よく見えた弱視者かが、点字本をノートの代わりに使ったのだろうか。

 その次のページは両面書きビッシリの点字なのでペンで書き込みづらかったのか、途中であきらめたふしがある。

 旧家の蔵から出てきた点字本らしいが、物語に満ちている。