1937年に録音されたレコードからデジタル化しました。(写真はCD-R)
文献やネットなどに、その文字起こしが載っています。しかし、いくらか疑問点がありまして、以下は、私なりに精査した「石川倉次のことば」(決定版)です。漢字・仮名の選択や句読点には別の判断もありえます。ご参考までに。
日本訓盲点字の翻案者・石川倉次先生御講話(聴写 岸博実) 私は石川倉次ですが、こうして皆さんに声を聞いていただくことは誠に嬉しく存じます。私が盲唖教育に従事して今日の幸せを得ておるのは全く小西先生のお引き立てによることで、日々ありがたく思っております。明治20年の末に先生からルイ・ブライユの点字をわが国の仮名にあてる工夫を勧められたが、私の考えではブ氏の点字は6点で、その変化は63とはなるが同じ形のものを除くと、わずかに44となる。これに48の仮名をあてることは無理だと思いました。ところが明治22年の末に同僚の遠山邦太郎君がブ氏の点字の位置を少し変えて仮名をあてられたが、同じ形のものや数符まで用いてもワ行のヰとヱが抜けていました。私はブ氏の列点法を変えるならば大いに変えて、最善の工夫をすべきだと、日夜心血を絞りました。その結果、ヤ行は母音のアウオを下にさげてそれに1点を加えてヤユヨとし、ワ行は母音のアイエオを下にさげたものをワヰヱヲにあて、数符は全くブ氏のと同じにしました。それで私は日本の盲人の心に眼を与えるという考えでブ氏の6点をメにしました。この他に、ブ氏の点字ほとんどそのままのものに仮名をあてた伊藤文吉、室井孫四郎両生の案もありました。そこで明治23年の9月27日に点字選定会を開いたのを初めとして、同年11月1日の第4回目の会で、とうとう私の案に決定されました。もとより私一人の力でできたのではないが、多年苦心の結果がわが国の盲人方に光を与え得たのは喜び限りないことで、この点字が今後わが国幾百万の盲人の明かりとなって、目あき以上の功績をわが文化の上に樹てられる人が出て来られることを心から祈ってやみません。
(CDには、小西信八の声も入れてあります。)