短気だけど、正義感の強い、私の父の話の続きです。

兄姉が面倒を嫌がり、たらい回しにされた祖父を引き取り、

最期を看取った私の父「末春(すえはる)」。

通夜の席で、何気ない兄の嫌味に、

短気な末春が爆発したのだ。

 

「やってられるか!」

 

 

祖父の面倒も見ずにノコノコと通夜、葬式だけに顔を出して、

「山形は寒いだの。」「熱燗はないのだの。」

遠慮のない兄妹に末春はキレた。

末春はそれだけでは終わらない。

 

祖父の遺体の前に置かれた戒名を、

汲み取り式の便所に投げ捨てたのだ。

(ここはトイレではなく、あくまでも便所と言いたい。)

 

 

うんこに刺さった祖父の分身、

これほどの親不孝があるだろうか。

 

一同、唖然。

 

兄への怒りを何故、戒名にぶつけたのかは謎だが、

末春はこれ以上ない怒りを、

「うんこと戒名」という究極のミスマッチで表現した。

 

しかし、末春の奇怪な行動はこれで終わらないのだ。

遺体の前にあるはずの戒名を失っては、

翌日の葬儀で坊さんが不思議に思うはずだ。

そう思った末春は部屋の片隅に置いてあった、

銀色の菓子箱の蓋だけを取り出し、

ハサミで切り出したのだ。

 

 

四隅を丸くした長方形の蓋に、

末春は投げ捨てた戒名に書かれたあり難い文字を、

マジックで書き始めたのだ。

 

 

翌日の葬儀は菓子箱に手書きした、

末春特製オリジナル戒名でなんとか乗り切った。

あれから40年以上経つが、

私の実家の仏壇にはそのお手製戒名が飾られている。

皆さんご無沙汰しております。

怠け癖が出まして、長い間更新していませんでした。

ごめんなさい。

 

実はある打合せの席で「私の父の友人でホームレスの塩野さんのエピソードが面白い!」と言われ、すっかり気をよくしてblogを再開したのが本当の理由です。

我ながら単純というか、

でも、真面目な話、今回の件で、

人が人にやる気を与えるのだなぁとつくづく感じました。

まさに言葉はエネルギーです。

 

今回は再び、私の父「末春(すえはる)」の話を書きます。

末春は大分県玖珠郡に川野家6人兄弟の末っ子として生まれましたが、

何故か九州から東北の山形にまで北上し、

山形で私の母「ふじ江」と結婚します。

末春の父、つまり私の祖父は、

九州が実家なのにも関わらず、山形の末春宅で亡くなりました。

末春の兄や姉は面倒見るのを嫌がり、

祖父はたらい回しにされて山形にやってきたのです。

 

私の祖父の思い出といえば、家族が囲む食卓に口から外した入れ歯を置いて

お茶をすする姿で、その当時、私は食べ盛りでしたが、

おかげで旺盛な食欲は一時消えてなくなりました。

祖父の通夜の日、九州からこぞって親戚がやってきました。

通夜、葬儀の段取りは末っ子の末春です。

久しぶりの兄姉との再会ですが、末春は「面倒も見ない連中がノコノコ

葬式だけ来やがって」という想いがあったのでしょう。

朝から少し、苛立っていました。

そんな状況の中、兄がボソッと言った嫌味な一言に、

末春は爆発してしました。

「やってられるか!」

そして、何を思ったか末春は遺体の前に置かれた戒名を、

汲み取り式の便所に投げ捨ててしまったのです。

        

一同、唖然でした。

 

何故、怒りの矛先が戒名だったのか。

何故、便所だったのか。

その謎は不明のままですが、

実はその後にとった末春の行動が、

さらにキテレツでした。

 

それはまた次回に。

ではでは。

 

新年あけましておめでとうございます!

 

本年も写真が少ない物語中心のblogに、

お付き合いよろしくお願いいたします。

 

前回は私の父について書きました。

貧乏なのにホームレスの人を家に入れて酒でもてなす。

他人の不幸を見過ごせない、

家族にとってみればややアリガタ迷惑な正義感の持ち主。

 

 

この話を思い出すと、

私はブッタのこのエピソードを思い浮かべます。

 

ブッタは弟子たちとともに托鉢へ行く時、

富裕層がいる村ではなく、貧困層がある村へと向かったという話です。

 

 

弟子たちはブッタにこう問いかけます。

「何故、お金持ちが住む村に行かないのですか?」

 

ブッタの答えはこうです。

「貧困に苦しむ人たちは、求めるだけで与えることをしない。

 それでは貧困の輪廻から抜け出せない。」と。

 

 

貧しくても、与えることによって、

貧しさから抜け出せるきっかけを掴むことができる。

つまり、貧しさは環境ではなく、内面の問題が根源なのだと。

 

心の貧しさが、経済的な貧しさを引き寄せてしまう。

 

 

私の父はその貧しさかから抜け出すことができませんでした。

志半ばで旅立ちました。

 

 

父からのバトンは、私に託されたと思っております。

 

私は父がやり残した宿題を解き、

豊かさを享受したいと思います

今回は私の父について書きたいと思います。

父は15年以上前に亡くなっていますが、

私に強烈な思い出を残してくれました。

喧嘩っ早く、正義感の強い男。

それが父を端的に表す言葉だと思います。

ですが、正義感の強い男は、時に家族を災難に巻き込みます。

 

ホームレスなどという言葉がない昭和40年代。

山形の片田舎でホームレスだった塩野さん(仮名)の生活ぶりを見かねた父は、自宅に招き、毎晩もてなしました。

元々、酒にだらしなかったのでしょうか、

塩野さんは父が振る舞う酒を飲みながら小便を漏らしていました。

 

そんな塩野さんに赤ん坊の私を「抱っこしろ。」と預けたといいます。

小便を漏らしながら赤ん坊を抱っこしている塩野さんの写真は、

まだ実家にあります。

 

母は文句を言わずに塩野さんのお漏らしの後始末をしていたそうです。

 

私の父、名前は「末春(すえはる)」と言います。

貧しく、家のない塩野さんを、

家はあるけど、決して裕福でない末春は、

見過ごすことができなかったのだと思います。

家族の迷惑を顧みず、独自の正義感を突き進む男「末春」。

また次回も書きたいと思います。

では。

私の人生の恩師である台湾の先生からある日こんなことを言われました。

「あなたを支える人はさる年とねずみ年の人よ。」

そんなことで私は先生から頂いた「さる」と「ねずみ」の小さなアイコンが付いた金のネックレスをしています。

ペンダントと言った方が正確かもしれません。

先生曰く、あなたを支える「さる年」と「ねずみ年」の象徴なるものを身に着けるといい、という意味があるそうです。

50歳すぎてからの初ネックレス(初ペンダント)。

知人からは「肩こり酷いの?」と言われます。

50代デビューはそうなるんだなぁ、と切ない気持ちにもなりました。

近所のかかりつけのお医者さんからは、

「川野さん、ディズニーが好きなんだ?」とも。

金の「ねずみ」が「ミッキーマウス」に見えたらしいのです。

そんな周りの反応を見れば、いかに似合っていないかがわかります。

 

でも、一方でこんな発見がありました。

どん底時代に会社を立ち上げた私に、最初に声をかけてくれ、

ずっと仕事を依頼し続けてくれる恩人がさる年だったのです。

その方がさる年だったのは最近わかりました。

 

弊社の所属になった新しい放送作家二人も、

さる年だということが最近分かりました。

(さる年だから採用した訳ではありませんので…。)

二人の放送作家が弊社を支えてくれることを、

本人たちにプレッシャーを与えぬ形で期待したいと思います。(笑)

そんなことから私が感じたのは…。

これはいい意味での「引き寄せ」ではないかということです。

当事者が行動しなくても自然な流れで思い通りにいく、

あの「引き寄せの法則」です。

私に特殊な能力はありませんが、

自然にいい流れが来ているうちは今のままで問題ないと思っています。

 

おかげさまで…。いい流れに感謝です。