訃報:撮影監督 マリオ・ガルシア=ホヤ | MARYSOL のキューバ映画修行

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【キューバ映画】というジグソーパズルを完成させるための1ピースになれれば…そんな思いで綴ります。
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写真家として、また、キューバ映画において撮影監督として活躍したマリオ・ガルシア=ホヤ氏が22日、マイアミで亡くなりました。享年84歳。

謹んでお悔やみ申し上げます。

 

 

ガルシア=ホヤ氏が撮影した映画作品は約90本にも及び、とりわけ70年代以降のトマス・グティエレス・アレア監督の作品には(『グアンタナメラ』(1995年)を除き)全作品に撮影監督として関わった。

『悪魔と戦うキューバ人』(1971年)、『最後の晩餐』(1976年)『天国の晩餐』(1978年)、『Hasta cierto punto』(1982年)、『公園からの手紙』(1988年)『Contigo en la destancia』(1992年)、『苺とチョコレート』(1993年)

『公園からの手紙』に主演し、後に妻となるイボンネ・ロペス

 

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マリオ・ガルシア・ホヤ(アレア作品の撮影監督)の証言 | MARYSOL のキューバ映画修行 (ameblo.jp)

 

また、写真家としても世界的に認知されており、キューバの歴史や日常生活、芸術方面で優れた写真を数多く撮り、モントリオール万博(1967年)やフランスなど、世界各国で展示された。

※  私も数年前、ロンドンのテート・モダン美術館の一室で彼の写真(複数)に遭遇し、嬉しい驚きを覚えた思い出があります。

 

 

1986年、キューバ・フォトライブラリー創設に参加

1988年、ISA(高等芸術学院)の専任講師となる

1992年、グッゲンハイム財団にキャリアを認められ、奨学金を授与される。

 

90年に米国へ移住した後は、アンディ・ガルシアが監督したドキュメンタリー映画『カチャオ』(1993年)など映画や視聴覚分野でカメラマンとして活躍する傍ら、キューバ=アメリカ文化協会を設立し、芸術フェスティバルを開催したり、G.C.インファンテやセリア・クルス、オルガ・ギジョット、パキート・デ・リベラなど作家やミュージシャンの功績を表彰した。

また、1992年に結婚した、妻で女優のイボンネ・ロペスが主催する劇団の活動にも尽力した。

 

2001年、革命後のキューバの写真回顧展への参加を拒否し、以下のような文書でカストロ体制を公に批判した。

「私は不幸を誘発し、罪を社会化する政府には加担したくない。自由を語るからと投獄する者たちと共謀したくない。ハバナからパリの獣医に愛犬を送る官僚に与したくはないし、幼い子供たちや母たちが乗るタグボートを沈めた殺人者らの仲間にはなりたくない(注参照)。私の村の倫理的退廃を企てた者、自尊心や市民としての尊厳を奪った者の共犯者にはなりたくない」。

 

注:「タグボート3月13日号」事件

1994年7月13日、違法出国者72人を乗せたタグボート「3月13日号」が、ハバナ湾から7マイルの海上で沈没し41人が死亡。うち10人は未成年者だった。生存者の証言によれば、2隻のタグボートが故意に「3月13日号」にぶつかってきたうえ、海に落ちた人々の救助を拒否。国際的メディアの告発にも関わらず、キューバのメディアは同事件について1週間以上報道しなかった。8月5日、フィデル・カストロ首相は、関係者の行動を「真に愛国的努力」と評価し、裁きも処罰も下さなかった。