パディージャ自己批判映像の反響(1):E.デル・リスコとR.アレナスの反応 | MARYSOL のキューバ映画修行

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先月半ばにパディージの自己批判映像がネット上で公開されて以来、様々な意見を目にしています。50年前の映像が現代のキューバ人に巻き起こす反響の大きさに驚きながら―。

そのなかで印象に残ったこと、興味深い指摘などを以下にメモっておきます。

 

エンリケ・デル・リスコ(1967年生まれ、作家、1997年からニュージャージー州在住)

・パディージャの詩との出会いは 「難局に当たって」。作者の名前は書かれていなかったが、大学の級友のノートに書き留められていたのを読むなり、〈奴隷の国で見つけた自由な言葉〉に共感した。当時の私は革命の信者だったが、手、足、時間、舌…と際限なく要求してくる専制政府の逆説は体験済みだったから。

 

・キューバを出ようと決めたきっかけは《パディージャの自己批判文》を読んだこと。

それから何十年が経ち、数年前に初めて自己批判の映像を見て理解した。文書は公にされていたのに、映像は秘蔵されていた理由を。

それは、政府が見せたいのは〈パディージャの後悔〉なのに、映像ではそれが否定されてしまうからだ。

公の場で笑劇を演じること、キューバがスターリニズムに染まったと示すこと、それがパディージャの意図だったから。

 

アレナスの見解(デル・リスコの引用文から)

  アレナス(右端)とパディージャ(中央)

 

パディージャの《自己批判》はフィデルの創作であり、その意図はパディージャの士気をくじかせ、無力化すること、ついでにパディージャと同じ不安を抱えるキューバの知識人たちを脅かすことにあった。

だが、「ハバナ・グリーンベルト」や「砂糖黍10万トン収穫」と同じで、目的は達成できなかった。

しかも、歴史に汚点を残したのはパディージャではなく、フィデル・カストロ自身だった。

パディージャの逮捕・収監が世界の知識人に蕁麻疹(じんましん)を起こさせたとすれば、釈放と引き換えの公開自己批判は、専制体制の素顔をさらけ出す結果となった。

 

・パディージャは、キューバ人特有の(そしてカストロ政権下でさらに辛辣化した)ユーモア、皮肉、嘲笑を用いた。

 

・自己批判を通して公安職員から受けた数々の拷問的行為を暗示した。

そしてジョージ・オーウェルの小説『一九八四年』の小説を想起させるフレーズを使った。釈放後、キューバを去るまでの10年間、同小説の主人公同様、パディージャも“蒸発”させられていた。

   

・1980年にフロリダの国際大学でパディージャに会ったとき、公開自己批判について彼は言った。「4丁の機関銃を突き付けられ、主張を撤回しなければ、両手を切断すると脅迫されたら、受け入れるのが普通だ。その手は、書き続けるために必要なのだから」。

 

・デスノエス批判

4月27日夜に行われた「自己批判」の集会に招待された。そこには、ビルヒリオ・ピニェーラ、アントン・アルファー、ミゲル・バルネー、ホセ・ヤニェス、ロベルト・フェルナンデス・レタマールを始め多くの知識人がいた。

エドムンド・デスノエスもいた。彼のアンソロジー"Los dispositivos en la flor"には、自己批判文の一節が引用されているが、〈パディージャをペシミストで懐疑主義者と示す〉ことで、カストロ政権の抑圧を中和化している。

 

※Marysol注:デスノエス自身は、集会には呼ばれたが、行かなかったと証言している。

パディージャ事件とE.デスノエス | MARYSOL のキューバ映画修行 (ameblo.jp)