パディージャ事件とE.デスノエス | MARYSOL のキューバ映画修行

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【キューバ映画】というジグソーパズルを完成させるための1ピースになれれば…そんな思いで綴ります。
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 9月6~7日の札幌キューバ映画祭 のために『低開発の記憶-メモリアス』『セルヒオの手記-ユートピアからの亡命』 の原作者エドムンド・デスノエスの資料を読み返していました。すると「パディーリャ事件」と彼はどう関わり、どういう影響があったか語られていたので紹介します。


Padilla  まず「パディーリャ事件」とは何かというと、1971年3月20日に詩人のエベルト・パディージャ(写真の人)が「国家の安全を脅かした」としていきなり逮捕され、(4月27日)釈放の交換条件に、UNEAC(作家芸術家連盟)の集会で自己批判文を読まされたオゾマシイ事件。何がオゾマシイって、自分の罪を仕方なく認めるだけでなく、数名の作家仲間を同罪として告発したから。

 

 この集会には名指しされた作家たちを含め、おそらくUNEACの会員は皆参加するように言われていたのでしょう。デスノエスにも「カサ・デ・ラス・アメリカス」(文化館)長官のアイデー・サンタ・マリアからパディージャの自己批判集会に出席するよう求められたそうです。けれどもデスノエスは「その種の告白は信じない」と答えて欠席しました。ところがそれが問題視される始まりだったのです。

 

 また、集会でパディージャは「デスノエスから発言に気を付けるよう忠告されていた」と語ったそうですが、デスノエスは否定。「おそらく当局の差し金だろう」と推測しています。なぜなら「私は彼に一度も口を閉じるよう進言したことはない。逆にパディージャは私にいつもこう言っていた。『誰も我々には手を出せないさ。フィデルはヨーロッパ知識人の支持を必要としているのだから。我々は作品によって守られているのさ』」と。「だが私はかねがね思っていた。ヨーロッパの知識人だろうが、アメリカだろうが、ラテンアメリカだろうが、もし革命政策を攻撃されたら、フィデルは迷うことなく対決するだろう」と。

 

 それまで「体制側の人間と思われていた」デスノエスが、この事件の頃から失望を深めていきます。

続きは映画『セルヒオの手記ーユートピアからの亡命』で見てくださいね。

 

 尚、亡命作家のレイナルド・アレナスは「デスノエスは集会に出席していた」と発言もしくは記しているそうですが、デスノエスはこれも否定。「集会には行かなかった」と断言しています。

 80年代、両者の亡命先アメリカでデスノエスはアレナスから思わぬ仕打ちを受けるのですが、この話題は別の機会に

 

パディージャ事件の背景を綴った本 が日本語で読めます。