ビットリオ・ガラッティと『未完のスペース』(ドキュメンタリー) | MARYSOL のキューバ映画修行

MARYSOL のキューバ映画修行

【キューバ映画】というジグソーパズルを完成させるための1ピースになれれば…そんな思いで綴ります。
★「アキラの恋人」上映希望の方、メッセージください。

去る12日にミラノで亡くなった建築家、ビットリオ・ガラッティ(写真は2014年撮影)の名は、キューバではよく知られています。

なぜなら、この屋根が特徴的な国立芸術大学(以下、ENA)の音楽科と舞踏科の校舎の設計者だからです。私は行ったことがないけれど、憧れの場所のひとつ。

   

 

さて今回なぜガラッティに注目したかというと、今月末に日本初上映となるキューバ映画『悪魔と戦うキューバ人』にも美術面(17世紀の村の再現セットと思われる)で参加していたから。

そして、調べるうちに判明した事実が、まさに『悪魔と戦うキューバ人』のテーマ(イデオロギーの悪用)と重なったからです。なんとも不幸な一致ですが…。

 

〈ユートピア建設の理想〉に燃えた60年代から〈灰色の時代〉の70年代へ。

この歴史の不条理を象徴するかのような(未見なので誤解かもしれませんが)ドキュメンタリーのトレーラーにも遭遇したので、ネットから得た情報を加えて、以下に〈キューバにおけるガラッティの足跡〉をたどってみました。

 

Unfinished spaces(仮:未完のスペース)』2011年/ドキュメンタリー

トレーラー(英語字幕付き)

2人目に登場する方がビットリオ・ガラッティ。

3人目はリカルド・ポロ。

1人目の方は見覚えがあると思ったら、画家のマヌエル・ロペス・オリバ氏でした。

 

ビットリオ・ガラッティと『未完のスペース』または「未完の革命」

 革命勝利後、ブルジョア階級のための場所だったカントリー・クラブでゴルフをしたフィデルとチェは「ブルジョアがいなくなったゴルフ場に〈第三世界の若者たちのためのアート・アカデミー〉を建てよう」と考えた。このアイディアを託されたのが、革命勝利後にベネズエラから帰国したリカルド・ポロ。彼は仲間のイタリア人、ビットリオ・ガラッティとロベルト・ゴッタルディを誘い、芸術大学の校舎をデザインする。1961年のことだった。

 

フィデルは言った。「キューバに世界で最も美しい芸術学校ができるだろう」。

ガラッティ:「革命のように開放的な作品になるはずだった」

 

3人は3つの原則を決めた。

1,ワイルドで変化に富む周囲の景色と建物の統合。

2,レンガとテラコッタの瓦の使用

 (米国による経済封鎖後、鉄やセメントに比べ最も安価な材料だった)

3,基本的な建築要素をカタルーニャのアーチ形屋根にする。

その特異な形態は、世界的標準と化した幾何学的で“資本主義的”な建築と対極を成すだろう、と考えたのだ。また、そこには当時の楽天性や熱気が反映されていた。

 

命が社会を新しく作り直すように、3人は学校の建築を作り替えようとした。

 

ところが翌1962年の「ミサイル危機」を機に予算の見直しが行われた。

斬新でユートピア的な建物は無駄遣いと見なされ、〈ブルジョア趣味〉だとか〈政治的に正しくない〉と不評さえ浴びた。建築においてもソ連スタイルが勢力を伸ばしつつあった。

 

1965年、遂に学校建設は放棄され、資材の一部は他の建設に利用された。

3人の夢は未完のまま、設計プランは実用的なものに変わった。

 

1966~67年、ガラッティは、モントリオール万博のキューバ館のデザインに従事。

68~70年にかけては、ハバナの都市開発の指揮をとった。

そして71年にアレア監督の『悪魔と戦うキューバ人』に関わる。

ちなみに71年からキューバの文化・イデオロギーがソ連化(硬直化)し「灰色の時代」が始まる。

1974年、スパイ容疑で20日間拘留された後、強制出国処分となる。

リカルド・ポロもパリ(1966年に移っていた)で亡命した。

 

それから40年近くが経ち、2012年、ENA建設プロジェクトに対し「ビットリオ・デ・シーカ建築賞」が3人の建築家に授与され、学校は国の文化財に指定された。

だが、ENAの校舎は使われていたものの、劣化が進んでいた。

 

2014年、フィデル(またはキューバ政府)は〈未完の夢〉を達成させるべく3人を呼び戻す。

2019年、イタリア政府は学校再建のため2,500ユーロを寄付。

 

本作(2011年)が、上に書いた内容とどこまで一致しているかは(未見ゆえに)分からないが、現実に建物を完成できたのは、ポロ(現代舞踊科と造形美術科の校舎)とゴッタルディ(演劇科)で、ガラッティの設計した校舎は未完のままらしい。

 

某映画批評:「本ドキュメンタリーは、3人の革命的建築家の闘いと情熱を考証している」

 

Marysolよりひと言

ドキュメンタリーは未見ながら〈革命的〉人物とはどちらでしょうか?

”ブルジョア趣味を押し付けようとしている”という意見の持ち主? 

それとも、経済封鎖のなかで創意工夫をこらし、独自のアイディアを具現化しようとした建築家たち?

 

それを考えることは『悪魔と戦うキューバ人』のテーマにつながるはずです。

ガラッティにとっての「未完のスペース」が、アレアにとっての「未完の革命」のように私には思えてなりません。