解説『悪魔と戦うキューバ人』(マリオ・ピエドラ教授) | MARYSOL のキューバ映画修行

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『悪魔と戦うキューバ人』解説       マリオ・ピエドラ(ハバナ大学教授)

ポスター
トマス・グティエレス=アレア監督の書簡集を読むと、彼が最も配慮と熟考を重ねて撮った作品は『低開発の記憶』ではなく『(仮題)悪魔と戦うキューバ人/(原題)Una pelea cubana contra los diablos)』 であることが分かる。

 

本作の完成は、キューバの文化がとりわけ複雑な状況にあった1971年。この頃から文化政策は不寛容で抑圧的になり始めた。アーティストには“革命思想の擁護”を旨とする作品が求められた。批判や複雑さではなく、シンプルで分かりやすく、ほぼ“プロパガンダ”的作品だ。だが、グティエレス=アレアが、ICAIC(キューバ映画芸術産業庁)の“リベラル”な政策に護られ、こうした指導に従わなかったのは明らかだ。なぜなら彼の映画は批評的で、複雑で、分かりやすさとは無縁だからだ。

 

本作は、キューバが誇る社会学者フェルナンド・オルティスの同名の著書を基にしている。その内容は、17世紀に起きた歴史的事実で、舞台はキューバの中心部。レメディオス町のカトリック神父が住民に対し内陸部の新天地へと移住を強いたという実話だ。そのために神父は、村が“悪魔だらけ”で人々の魂が危機に瀕していると告げる。神父によれば、これらの“悪魔たち”は村にはびこる堕落が招いた結果であり、異端者と見なされる密輸業者との接触に起因する。というのも、密売人といえば、ヨーロッパの非カトリック国出身の異邦人と相場が決まっていたからだ。
それにしても奇妙なのは、神父が住民を移し“悪魔のいない”新しい村を築こうと提案した土地が、彼の所有地だったことだ。今のサンタ・クララ市に当たる。

 

さて、映画が訴えようとしたテーマ、それは色々あるにせよ、住民に対するイデオロギー操作だ。つまり、表向きの(この場合は宗教的)見解の背後に、いかに自分勝手な考えや、経済的・政治的理由という真意が隠されているかだ。こうした操作に対する抵抗にも重きが置かれている。混乱した状況に流されることを拒否し、自分たちの利益を守るため留まる住民たちもいる。
本作は1971年に製作されたことで、深い比喩的意味、つまり批判的意味を獲得した。なぜならその当時キューバでは、公式談話の一部として“イデオロギー的理由”が色濃く存在していたからだ。

 

本作は、おそらく複雑すぎてヒットしなかった。アレア監督の考えは、スクリーン上ではバロック的作品として結実し、表現主義で難解と映った。特に、過剰なまでに作り込まれた映像は観客にとって息苦しかった。俳優たちの演技も誇張され大仰だった。しかもストーリーの複雑さと監督の意図の複雑さに加え、観客には理解しがたい言及が多々含まれていた。

 

それでも『悪魔と戦うキューバ人』は、監督の最も深奥な憂慮や焦燥を示している。そしてまた、彼がその全フィルモグラフィーを通して駆使した術策も示している。その術策とは、己を取り巻く現実に対する批判的観点をスクリーンに反映させる術であり、そのために歴史を手段および“カムフラージュ”として利用することだった。

 

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