エドムンド・デスノエス近況(2014年5月撮影ビデオ) | MARYSOL のキューバ映画修行

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1ヶ月半前にエドムンド・デスノエスの近況をアップしたばかりですが、今年5月に撮影された動画を見つけたので紹介します。

ブラジル出身の新人女性監督ペトラ・コスタさんの自伝的作品『エレナ』(2012年)上映後のインタビュー風景。場所はニューヨーク。
コスタ監督は、デスノエス原作・脚本の映画『低開発の記憶』にインスピレーションを得たと言っています。(監督はトマス・グティエレス=アレア)

それでデスノエスが登壇しているわけですが、彼のコメントから(『エレナ』と関係なく)持論部分のみ抜き出してみました。
『低開発の記憶』『セルヒオの手記』を理解する参考になりますように。

尚、全文はこのサイトで読むことができます。

☆デスノエス紹介文(同サイトより):
エドムンド・デスノエスは高名なキューバの作家。彼の小説「低開発の記憶」は、キューバ革命のプロセスに適応しようとして苦悶する一人のブルジョアの疎外を活写した複雑なストーリー。



①8分30秒あたりから15分くらいまで

たいていの文学や映画は多義的で、様々な読みが可能だ。

歴史的に見ると、稀に例外もあるが、ラテンアメリカ映画は余りにも見せかけのリアリティ、過剰な社会主義リアリズム、フォークロア、粗野な外観をまとってきた。
我々の願望と行動が生んだ“から騒ぎ”の苦境を示そうとした結果である。
ブラジルではクラウベル・ローシャから『シティ・オブ・ゴッド』まで。
親友のティトン(トマス・グティエレス=アレア)でさえ、『グァンタナメラ』ではキューバ流悲喜劇の旅に陥った。これらの作品は今や古典かもしれないが、我々の大陸について偏ったビジョンを創りあげている。

我々は、絶対的信念という点で余りにも「ドン・キホーテ」で、「ハムレット」の懐疑と曖昧さを欠いているがゆえに、その痛手をこうむっている。

『エレナ』に見られる「死すべき運命」に対する真正なビジョン。「敗北には尊厳がある。その尊厳は騒々しい勝利には値しない」とボルヘスは言った。

この映画のなかで世界を構成しているのは女性で、男性ではない。これまで何世紀もの間、男が人間の苦境を演じてきた。これからは女が過ちを犯す番だ。
私は女性の世紀の到来に期待している。83才の身では見届けられないかもしれないが。

②Q&A後、26分20秒~
私は極力、から騒ぎ、フォークロアを排除しようと努めてきた。私の映画はキューバ革命を扱っているが、スペインの思想家オルテガ・イ・ガセットが言ったように「私は私とその環境である」。バックグラウンド(環境)こそが自己を表現し自己を発見する何かである。


Marysolより一言:
まだまだ頭も身体もしっかりしている様子で安堵しています。
自分の作品が時代と国境を越え影響を与えているのは、作家にとって最大の幸せですね。

②の発言については、スペイン語を母語とする文化と、母方の英語の文化を併せ持つデスノエス自身の環境と関係がありそうです。