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☆私の本棚☆

読んだ本について思うところを書いています。

あくまでも個人の感想です。

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今回ご紹介するのは、池口豪泉著『教養として知っておきたい空海の真実』。


著者の池口豪泉先生は、鹿児島の烏帽子山最福寺の貫主さまであり、高野山真言宗伝燈大阿闍梨である。
さらに、あの「永田町の怪僧」、「今空海」と評される池口恵観法主の御子息である。

この令和2年の元日、高野山別格本山清浄心院にて、恵観法主の護摩行を拝見することができた。

清浄心院の門には、眠り猫さん。カワイイ。

真新しい鳳凰奏殿の中で、僧侶や信者の方々が読んでいるのは『理趣経』。
『理趣経』の後の『般若心経』は一緒にお唱えさせていただいたが、『理趣経』は暗記していないので、お唱えできなかった。

栄賢とは逆に意味はだいたい知っているのだが。

さて、本の内容に戻る。
大学中退や入唐求法などは普通の空海の伝記であるが、密教行者の家系にお生まれになって、ご自身も焼壱萬枚護摩行という難行を修された豪泉先生の語り口には説得力がある。

特に面白く感じたのが、唐僧・如宝との交流についてである。
如宝は、鑑真の弟子として一緒に来日した僧侶。
鑑真は、空海より半世紀前の人であるが、一緒に来日した若い僧侶の中には、空海と親交があった人がいるのだ。
空海の50年後に入唐した円珍が、彼の地で「五筆和尚」はお元気ですかと空海の安否を聞かれたのと同じくらいの驚き。
平安時代にも長生きの人がいたものだ。

唐から帰ってから空海は、如宝の手紙(『大徳如宝のために恩賜の招提の封戸を奉謝する表』)を代筆するなど、親しくしていた。
豪泉先生の著作によれば、若き日の空海の入唐の決意の後押しに如宝も一役かっていたのではないかという。
若き日の空海は、大安寺をはじめ、奈良の寺を出入りしていたし、鑑真のあとを継いで唐招提寺の住職となっていた如宝ともこの当時から出会っていたであろう。
空海は、如宝から鑑真和上の話や唐に船で渡ることがいかに命がけのことであるかも聞き、はるか海の向こうの大唐長安に思いをめぐらせた。

如宝という人は、姓名を安如宝といったそうで、出身は中国の西方諸国あるいは中央アジアとの説があり、エキゾチックな顔立ちであったかも知れない。



明けましておめでとうございます。

令和の最初の新年を高野山で迎えた。

今回の高野山行きでは、高野山が如何に神仏習合か、という思いを強くした。

空海が高野山をひらくにあたって、神領を寄進したと伝えられる丹生都比売神社。
丹生都比売神社は高野山への入り口にあたることから、高野山参拝前にはまず丹生都比売神社に参拝する習わしであったとのこと。

今回は、古くからの習わしにならい、まずは、丹生都比売神社を参拝。


太鼓橋、通行禁止だった。



光明真言曼荼羅の石碑があった。
神社⛩にほとけの文字。

丹生都比売神社からバスで高野山大門へ。



この日の宿泊は、高野山大学の隣の宿坊、天徳院。
金剛峯寺、壇上伽藍、そして、コンビニ(大事です( ^ω^ ))が近くて便利。
お世話になるのは3回目。

お部屋の床の間には掛け軸。
二頭の犬を連れた狩場明神と空海。

お部屋の窓から天徳院のお庭をのぞむ。


夜8時頃の壇上伽藍。
静かです。

除夜の鐘、高野四郎というお名前だそう。

これが夜10時近くなると、ワラワラと人が集まってきた。

除夜の鐘スタンバイ中のお坊さん。

ここからは、スマホが寒さにやらせて不調のため、文章のみ。(このスマホそろそろ限界かも。)

大晦日の高野山のイベントは、御幣納め。
除夜の鐘の鳴り響く中、壇上の北側にある龍光院から、松明を先頭に御幣の束を持つ僧侶と信者たちが、壇上伽藍の明神社にお納めする。

お坊さんが除夜の鐘(高野四郎くん)をついているのを眺めていると、東の方から、大きな松明がやってきて、そのすぐ後を御幣の束が担がれてやってきた。
御幣を担いでいる人とても重そう。
「やべっ、やべぇ!」と何度か立ち止まって、担ぎ直して、また進む。
大勢の人が松明と御幣を囲んで写真を撮りながら進んでいく。
写真は撮れなかったが、臨場感を味わうために、私も、すぐそばを一緒に歩いた。

お社の前に着くと、いつもは締まっているお社が開けられ、御幣が中に運ばれていく。
松明の燃える中、僧侶の読経の声が響く。
般若心経。
神さまの御前で。
高野山真言宗ならではの神仏習合の儀式だ。
その後、松明とともに元の道を戻っていく。
そのまま、天徳院に私も戻った。

宿坊で除夜の鐘の鳴り響くのを聞きながら、高野山で新年を迎えた。

天徳院の元日の朝食はおせち。

なつくさのブログ、本年もどうぞよろしくお願いいたします🙏






朝日カルチャー湘南で、「梵字悉曇入門」を受講した。
講師は、川崎大師平間寺の僧侶の橋本秀範(しゅうはん)先生。
30歳代の若いお坊さんである。

昨年、川崎大師平間寺で開催された藤田貫首さまの川崎大師で学ぶ弘法大師の教え(朝日カルチャー湘南主催)の講座のときに、橋本先生が、梵字の書き方のデモをされた。
再び、今年の6月に同様に藤田貫首さまの川崎大師で学ぶ読経入門(朝日カルチャー湘南主催)が開催され、梵字のデモがされるのを期待していたが、残念ながら、このときはなかった。

しかしながら、去年の大師の講座のときにデモをしてくださった若いお坊さんが、いつか梵字の講座をやってみたい、とおっしゃっていたのを思い出し、「もしかしたら」と思って、朝日カルチャーのアンケートに、「梵字の講座を開催してほしい。」と書いた。

アンケートの効果かどうかわからないが、しばらくしたら、朝日カルチャー湘南から橋本先生の「梵字悉曇入門」開講の案内葉書が届いたので、受講することにした。

講座は、3カ月が一区切りで、今回は、10〜12月の全3回。
初回で、梵字悉曇の概要の説明のあと、橋本先生の丁寧なご指導の元で、「ア」字を書く。
毛筆で。
何を隠そう、わたくし毛筆を持つのは、中学のときの習字の授業以来。
空海ファンとしては、情けない限りである。

講座2回目で、大日如来の「バン」、地蔵菩薩の「カ」、弥勒菩薩と弘法大師空海の「ユ」の3文字を学び、3回目で自分の干支の守護梵字を色紙に書いた。

書いた‼️


名前も梵字で書いている。
(読める方は、こっそり読んで、なつくさってホントはそんな名前なのかー、と思ってください。ヘタすぎて読めないかもしれませんが(〃ω〃))

橋本先生の「梵字悉曇入門」は、1月から再び開講。
10〜12月の講座と同じ感じで最初からやるようだ。
ご関心のある方、是非、オススメです。

私は、再受講を申し込んだ。
再受講者は、新しい文字を教えていただけるみたいなので期待している。

ちなみに、橋本先生は、8月に種智院大学で開催された講座「梵字 ほとけの文字を書く」の講師をしてくださった児玉義隆先生のお弟子さん。
児玉先生の後継者目指して頑張っていただきたい、と勝手ながら密かに応援してます\(^ω^)/