2024/03/24(両親との対話 17.) | ブログ.

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事実は小説よりも奇なり.
Truth is stranger than fiction.

息子りんの絵と猫と, 愛する人生と.
Rin’s arts,cats,and loved life.













今、父が入院していることもあり
父のことも母のことも愛おしく
二人のことを思うたびに
涙が溢れる













でも同時に
父の透析を中心とした
この一年の深い関わりでは









喜怒哀楽の全てが
起こったこと全てが
それで良かったと思っているので
大きな後悔は無いものの








 

今日はふと
「ああ、もっと上手くやれたのにな…」
という思いが溢れた










それは
「もっとあれもこれもしてあげたかった…」
というより









「もっと、あれもこれもせず 笑
透析ももっとギリギリに手を抜き 笑
三人でゆっくり過ごしたら良かったな…」
というものだった 笑

でももちろんわたし一人ではやる事が多すぎたし
わたしや両親の生き癖や運命もあり
それを生きるには心身の余裕がなく
現実的には難しかったのだが

でもこの一年で、もう、その、手続きなど
やれる全てをやり尽くしてきたし
今、透析のことも大分分かってきたので

ここからさらに肩の力を抜いていくか…
そして家で看取れるように体制を整えていくか…
と思っていた矢先の父の入院だった












その
あれや、これやとは
このような
透析とは直接関係ないが











透析や両親の人生が
少しでもスムーズに
豊かになるように作った
わたしの手書きの作品の数々や 笑



















わたしは元々は

薬を飲み忘れたら

忘れたでいいやん

というタイプだったが 笑













母がきっちり生真面目に飲み

色々な病気から解放されていることや

父が飲み忘ればかりになってきたことや 笑

わたしが父の病院に関わり出したので

それならしっかりやるか…

と思ったこともあり













薬ケースを用意したり

アラームを鳴らすなど

飲み忘れが無いように

整えたり











また

腹膜透析の管を

繋いだり離したりという手技が









頭や手を使うことが減り

刺激が少なくなってきた

両親にとって
凄く良いリハビリだと感じてからは











患者や家族向けというより
医療関係者向けの腹膜透析の動画を
何度も見て学ぶなど 笑

もう、看護師並みに 笑

一生懸命色々尽くしてきたこともで 笑















だから母に泣きながら

「ごめんね…

もっと(リラックスしたら)

上手くやれたなと思って…」

と言うと母は










「何言ってんの!

こんなに一生懸命やってくれて…

こんな事してもらえる人誰もいないのよ…


だからこのポスターは

死ぬまで飾ろうと思ってる

お母さんの宝物なんよ…」

と泣きながら言ってくれ











二人で

抱き合って泣いた

























そしてわたしが

「それは

完全に後悔という訳ではなく

しなかったらしなかっで

後悔していたかもしれないし


起こったことは絶対にどんな事も最善

〝それで良かった〟〝それが良かった〟

と思うし


作ることも知ることも楽しかったし

二人も本当に喜んでくれたし


じいちゃんとの大喧嘩なども

本当に良かったな…と思うし


あ、だからそれは後悔ではなく、〝学び〟だ…










でも

〝あの時じいちゃんは

こういう事が言いたかったのではないか…〟

とか


〝あれは、こうすれば良かったのかも…〟

ということもたくさんあるし












でも、もう、よくこの環境で

わたしも、じいちゃんも、ばあちゃんも

頑張ったな…やり尽くしたな…

走り抜いたな…生き抜いたな…

という思いや











もう、本当に三人の時間が豊かで…


透析は絶対わたしたちにとって

不幸なことではなく幸運なことだ…

と最初から思ったように


大変だったけれど

透析を中心にした三人の時間が本当に幸せで

ああ、この一年はご褒美やったんやな…

と思い…













今、もう、色々な思いが

ぐちゃぐちゃに溢れているの…」











と言うと

母も同じだと言い

泣いていた
























だから母と

「じいちゃんも同じかもね…」

と話した











「じいちゃんもきっと反省もしているし 笑


ああ、

俺もばあちゃんも愛子もよく頑張ったな…

と思っているだろうし


ああ、楽しかったな…

ああ、幸せやったな…

と思っているね…」

とまた二人で泣き













このようにこのように、わたしが作った〝やりすぎ〟の物たちで溢れる両親の棚 笑。この〝やりすぎ〟は父譲り 笑。












母は

「愛子で良かった…」

と言ってくれ











わたしも

「わたしも、わたしで良かった…

本当に幸せやった…」

と言い










二人でまた

抱き合って泣いた



























そして

「普通は、多くの人は、こういうこと

死んでから思うことよね…」

と言った










でもわたしは

ある時から

後悔なく生きると決めたので











それからは

多くの人が死んでから

気づいたり学んだり感謝したりすることを

生きているうちにするようになったので

それはわたしにとっては自然なことなのだが












でもそれを

完全に生き方が同じではない母と

こうして生きているうちに

しかも母が元気なときに

素直に言葉や行動で分かち合えたことは

もう奇跡中の奇跡で












わたしは

「じいちゃんとのこの

会えない時間も凄くいいと思っていて…」

と言った











そして

「会えないけれど

全てが繋がっているこの時間が

本当にいいなと思っていて…


だからじいちゃんは今

側にはいないけど

側にいるのと変わらないくらい

全てを共有していて


それを死んでからではなく

じいちゃんが今生きているときに

共有できたことは本当に奇跡で…

と言った












そして

「反省を生かして 笑

二人でこれからは、ゆっくり楽しもうね…」

と話し













「ああ、やっぱり

全てこれで良かったんだ…」

と思った





















そして

ああ、これは

母との対話ではなく

両親との対話だ…

とハッとし










色々あったけれど

その色々あったこともだが

それを越えて











母と両親と

今こんな対話ができたことに

もう、一切の後悔がなく

頭が爆発している

























両親との対話 16.