父の透析 9. | ブログ.

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事実は小説よりも奇なり.
Truth is stranger than fiction.

息子りんの絵と猫と, 愛する人生と.
Rin’s arts,cats,and loved life.















透析液は、2種類の液が、1つのビニールバッグに、最初は壁で分かれて入っているのだが、使うときは、その壁を破り、2種類の液を混合して使い、これは液を押し、行ったり来たりさせながら、混合しているところ(父担当)











父は
在宅で毎日行う
腹膜透析(PD/APD)を選択していて










それは
細菌などが入れば
腹膜炎になるような
緊張感のある医療行為を
本人と家族が自宅で行う
ということだった













だから
心配症の母などは
ずっと怖がっていて
その気持ちも
本当にわかるのだが









でも病院で
父だけでなく
家族も練習をしたのだが
わたしは
その行為好きだとわかり








さらには
少しずつ
リラックスしながらも慣れながらも
緊張感を持ち続ける必要のある
その行為は










ずっと家にいて
緊張感の少ない生活をしている
父には、母には、わたしには
物凄く必要で有難いことなのでは…
と思うようになっていった












これは、その、透析液と繋げるコネクター、お腹のカテーテルと繋ぐコネクター、排液タンクに入れるチューブなどが引っかけられているセットで、機械の音声や映像に従って、そのチューブなどを一つ一つ繋いでいるところ(父と母、担当)















そして
その行為には
スピードではなく
丁寧さや、確実さや、安定が
求められることも
物凄く良かった








だから
せっかちで
雑なところがあり
手先がだんだん不器用になり
不安定な父には
それは不向きだとわかってきたのだが










でも
絶対ミスが出来ない所は
父に任せられないので
丁寧で慎重な
母やわたしがするとしても










その他の行為は
逆に今の父が
丁寧に、確実に、安定する
良い機会だな…
と思うようになった











そしてそれは
わたしも母もで









だから
わたしは何度も何度も
声を出して、見て、聞いて
丁寧に確認をしながら
透析を繋いだり外したりするようになり
家族にもそれを薦めるようになり









だからある日それは
〝今この瞬間を丁寧に生きる〟
ということだ
とハッとした











これが、お腹のカテーテルと、機械から出ているチューブを繋いでいる、一番緊張する大事なところで、ここは母が担当しているのだが、母は若い頃の仕事での事故で、左手の人差し指と中指の第一関節から上を切断し障害があり、普段はそんな事も全く忘れているほど問題なく生活しているのだが、この接続の時は、その障害で力が入り辛いこともあるので、心配症の母は全神経を集中させて接続している。(ここから、菌が入ると腹膜炎になる可能性も高くなるので、埃などが入らないように、コネクターを横か下向きに持ったり、先端部分も絶対触らないように注意したり、部屋も一日中猫が入らないようにしたり、皆手洗いマスク消毒もしていて、わたしは、二人の手技を見守り、ミスが無いかチェックする担当。)














だから
父や母には









「その、透析の時間を
丁寧に確実にすることは
もちろん大切なのだが
それだけではいつか限界がくるので

歩くときも、〝ゆっくり、ゆっくり〟
食べるときも、〝ゆっくり、ゆっくり〟
話すときも、〝ゆっくり、ゆっくり〟したら

つまづいたり、転んだり、怪我をしたり
食べ物を喉に詰まらせたり、
イライラしたり腹が立ったり不安になったり
ということも少なくなるから

普段から、〝ゆっくり、ゆっくり、丁寧に〟
生きることを一緒にしていこうね…

そうしたら、透析も自然に
丁寧に、確実に、安定して
できるようになるからね…」
と話した











そして野球が好きな父には
「イチローや大谷翔平選手など
世界で活躍する一流の人たちも

大好きな野球をする時も、その他の時も
一瞬一瞬を丁寧に確実に感謝の思いで
過ごしているからこそ
結果や豊かさなどが結果として付いてきていて

そういう人ほど
コツコツと丁寧に生きているのよ…」
と言うと頷いていて










「ああ、この腹膜透析は
全て看護師さんなどに任せて
全て受け身の血液透析より
家であまり動かない父にとっては
認知症などにも物凄く良いのではないか…」
と思ったら

血液透析も全てが受け身ではなく
暑くても寒くても、家を出て、乗り物に乗り、病院に行き
家族以外の人と会うということは刺激もあり
それは在宅医療の腹膜透析には無いところで

両親より少し年上の知人の男性は
血液透析に自分の運転で出かけ、普段は麻雀を楽しみ
奥さんの作る腎臓病食は文句を言ってあまり食べず 笑
血液透析もあまり苦ではないようで 笑
本当に人それぞれで面白いなと思う










医師や看護師や医療関係者で
腹膜透析を勧めているサイトなどでは
腹膜透析のメリットとして
〝認知症の予防効果がある〟
と言っている人が多く








ああ、やっぱり…
と思った
















そして
透析とは直接は
関係ないが








今、医療現場では
延命や生存率を上げることも大切だが
〝QOL=Quality of life〟
「生活の質」「生命の質」を上げることも
以前より大切にするようになったようで












それはわたしは
医療、透析、両親関係なく
人生で物凄く大切だと
思って生きていて










それが
ということだと思っている









だからわたしは
究極は
どんな両親も愛しているし
何が起こっても寝たきりになっても
絶対に楽しかった…
と思えるのは分かっているが










でもできれば
二人がなるべく心も体も健康で
二人が仲良く過ごし
二人が日々感謝に溢れ
二人が幸せに死んでいくのを見たい
という気持ちもあるし









母が
父が足腰が弱っているのに
運動もしないことを
心配しているし









わたしは
幸せに生きることと幸せに死ぬことは
イコールだと思っていて
そのためには一瞬一瞬
〝意識的に〟どう生きるかが
大切だと思っているし










そして両親が
老いたり
できないことが増えたりする自分を
否定したり自信を無くしたり
先の不安ばかりに目を向けるのではなく









今現在
一人で歩けたり食べれたり排泄できたりなど
今の自分や今出来ていることを肯定するように…
今のその奇跡に気づくように…
今の自分に感謝ができるように…
今の幸せが続き拡大するように…
過去や未来より〝今〟をより意識するように…
両親のQOLが上がるように…
と思っているので











張り紙やチェック表を作り
いつも目に付くように
それを透析部屋である
父の寝室に貼るようになった






























そして
透析の合間に
チェックリストとして
毎晩それらを
読み上げているのだが











〝一人でご飯が食べられましたか?〟
〝一人で歩けましたか?〟
〝一人でトイレに行けましたか?〟
と言うたびに二人は











子どものように
「はーい!」
と言い
その姿に
いつも胸がいっぱいになり 













二人が
一人で歩けて、食べられて
トイレに行ける奇跡に
わたしの方が感動し
感謝が溢れるようになった










そして
〝夫婦二人で仲良く思いやり
愛しあえましたか?〟
という項目にも









わたしは
毎回泣いてしまい
母も泣いていて…












まだたまに
母が「やめて!!!!」
と叫ぶような
父との喧嘩もあるが 笑










でもこのように
この透析をきっかけに
三人が、家族が
より協力し合い










生きることや死ぬことに
意識的に真摯に向き合うようになり
人生や家族の質が
少しずつ少しずつ向上していった



















そしてそれは
今24歳の息子
2歳で脳障害を負い










最初はそれを
不幸、苦労と嘆いていたが
何かの罰かと自分を責めていたが










5年、10年
のたうち回りながらも
一生懸命生きた結果
それがとんでもない祝福だった
と気づいたように











この透析もやっぱり
神からの祝福、ギフト、愛だった
と思うようになっていった