父の透析 8. | ブログ.

ブログ.

事実は小説よりも奇なり.
Truth is stranger than fiction.

息子りんの絵と猫と, 愛する人生と.
Rin’s arts,cats,and loved life.























その鬱やパニックの症状は

日常生活や透析には

問題は無かったが










わたしは一時的に

車に乗れなくなったので

毎週行っていた食料品の買い物も

母に行ってもらったり

わたしが歩いて行くようになり













それだけ聞くと大変そうだが

その歩いて買い物に行く

という事も

物凄く豊かで楽しかった











そして

透析、夜の透析(APD)

そのものは順調だったが













やはり

父の寝相や 笑

その他の問題もあるのか

夜にエラーがほぼ毎日のように鳴り










それは後に

その医療機器メーカーさんに聞くと

そういうものらしく

うちは少ない方だったらしいが











それを知らなかったので

あの手この手と

毎晩のように対策を考えたり


抱き枕を使ったり、管の位置を考えたり

病院やメーカーさんに相談し設定を変えてもらったり

(後にメーカーさんが、室外機のホースを縦に切り、そこから管を入れる物を持ってきて下さったり)











とにかく

波動を上げ続け

問題の無い次元〟を生きれば

どんな問題も無くなることは

分かっていたので

わたしはそれをやり続けた













だから今思うと

最低限の問題で済んでいたな…

と思うが













やはり

父の部屋の隣の部屋で寝ている母は

一度起きるとなかなか寝付けなかったり

父はすぐに寝るのだが

熟睡はしていないようで

常に透析の事で頭がいっぱいだったり

わたしの鬱やパニックが続くなど














いつか抜けるとはいえ

暗いトンネルの中を

進んでいるような時間が

しばらく続いた


わたしは2階に寝ていて

エラーの音は聞こえないので

ナースコールのようなブザーを用意し

最初はエラーが出るたびに押してもらったり

トイレに起きたついでに

父の寝室を見に行ったりしていたが


そのうち夜間のエラーの対処は

両親だけでできるようになってきたので

どうしても両親だけで対処ができなければ

それを押してもらうようにしていた


また、もし、停電が起こったときも機械が止まるので

その時の処置の仕方も教わったり

電気が使えない災害時は手動の透析(CAPD)になるので

そのやり方も教わったり


もし夜中に父が管を抜くなど

管の交換が必要になった場合や

具合が悪くなったりなど緊急の時は

隣市の大学病院に電話をしたり

緊急で夜間に病院に走る可能性もあり


〝人生に起こることは全て最善である〟

とは思って生きているので

特別不安に思っていたわけではなかったが

全てが未知の世界なので

今思うとわたしも緊張した時間を過ごしていたなと思い

さらに両親のサポートもしていたので

そりゃあ、鬱にもパニックにもなるよなと思う 笑

(結局これらはどれも起こらなかった)







  





















そして

父の透析のスタイルが

落ち着いていないこともあり

退院後の通院も









車で10分ほどの

市内の主治医ではなく

車で30〜40分の

隣市の大学病院にまだ通っていて











そこは母も運転ができない為

わたしが運転をして

通院をしていたのだが











7月の初旬の診察と検査は

わたしが

運転ができなくなったことで

どうしようか…

と思っていたら











いつも全てのことを

相談してきた親友

「わたしが行こうか?」

と言ってくれ

三人で行ってくれたこともあり












それも三人が

「本当に楽しかった✨」

と帰ってくるなど

有難くて涙が出る

豊かな体験だった














また

8月の初めの検査と診察も

次女の出産があったことや

まだわたしも頑張れないこともあり

親戚に送迎を頼み










そして

その親戚がずっと

院内も付き添ってくれるのだろう

と思っていたら

まさかの送迎だけで 笑











だから

父と母の二人だけで

検査と診察を受けた

と帰宅後聞き









それは聞いたとき

初めてのお使いみたいに

少しドキドキした 笑












でも結果

今までの検査や診察の流れを

二人が覚えていたり

協力し合ったことで

素晴らしい時間となったようで









母は

「その二人の時間は

一切心配も不安も無くて

ただただ幸せで有難くて

顔を手で覆うほど

涙が出た…

と言い








それは

想像以上どころか

もはや覚醒で











わたしも皆も

涙が出るような

想像以上の体験で













わたしたちは

父の透析を通じて

とんでもない暗闇と

とんでもない光を体験していた








(この時から半年近く経った今、改めて振り返ってみたら、背負いすぎて、苦しくて、うっとなり 笑、それはそれだけ楽になってきたんだな…と思う)















看護師の親友と病院に行った日、母は「神様…」と彼女を拝み、父は彼女の荷物を持つなど普段わたしたちに見せない顔を見せ 笑、親友は、「実の両親のように思っている」と言ってくれ、それはとんでもない景色だった









父の透析 1. 



透析 7.