善い人、悪い人 | ブログ.

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事実は小説よりも奇なり.
Truth is stranger than fiction.

息子りんの絵と猫と, 愛する人生と.
Rin’s arts,cats,and loved life.











わたしは
これだけ見たら
動物好きな
善い人に見え








善い人かどうかは別にして
動物好きというのは
間違っていない




































そして 
わたしは小さい頃から
よく犬を飼っていて











保育園の頃は
白い雑種の中型の
外犬のコロちゃんで













多分
2、3年くらいで
フィラリアで
死んだと思う









そして
小学生の頃は
茶色の雑種の
それより大きい外犬の
コロちゃんがいて







父が
子犬のときに
会社でもらってきた
子だと思う









でもその
茶色のコロちゃんの記憶は
いつも
外の暗い所に繋がれ








ご飯は当時の外犬が
大抵そうだったように
ドッグフードも食べていたが
味噌汁ご飯のようなものを
よく食べていて









わたしや姉が
給食で残ったパンなども
あげていて









大きかったので
子どもでは無理だし

いや、姉と二人なら行けたよな…と思う











両親も共働きで
父は入院などもよくしていたし
あまり
マメではなかったのもあり











散歩もあまり
行ってなかったようで









そして 
いつのまにか居なくなった
と思ったら









父がある日
「このままでは可哀想だからと
海岸に逃してきた」
と言った














そして

中学生になったら

室内犬のマルチーズの

ゴンちゃんを家族に迎え










ゴンちゃんは

ペットというより

弟のような存在の

家族の太陽で









ずっと

皆に

大切にされて











わたしの長女が

生まれたときは

11才くらいだったのだが

二人でよく寝ていて

癒しでしかなかった










そして

その後











姉の長女

わたしの次女

姉の次女

わたしの第三子、息子の妊娠と

次々に孫たちが生まれ

賑やかになる一方で










ゴンちゃんは

目が見えなくなり

尿道結石になり

認知症の症状も出て

歳をとっていった










そして両親が

ゴンちゃんをよく

病院に連れて行きながら

介護をしていて







  




それは本当に

大変だったと思うが










両親は

徘徊したり

不安で鳴くゴンちゃんを

時おり

厳しく叱るときもあり











わたしや姉も

自分の子どもに手がかり

そこまで

が回らなかったのもあるが












そんな両親やゴンちゃんに

胸を痛めながらも

忙しさを言い訳に

両親を手伝うこともなく










わたしも

ゴンちゃんに

優しくできないことも

あったなと思う











そして最期は

わたしが息子を妊娠中に










ゴンちゃんは

大発作を繰り返し

15才で

苦しんで死んでいった
























だから

コロちゃんにも

コロちゃんにも

ゴンちゃんにも









楽しい思い出もたくさんあるが

それより

後悔ばかりだった

罪悪感ばかりだった











だから

今のわたしが

動物たちにとって

善い人なら












当時のわたしは

悪い人だった













だから

娘たちは

小学生くらいから

「犬がほしい」

と何度も言っていて











元夫も

わたしも

犬好きだったが


元夫はどんなペットも最期まで

しっかり責任を持ってお世話する人だった










わたしが

息子のことや
わたし自身も
生きることに必死で

余裕が無かったのもあるが












ずっと

安易には飼えないと

首を縦に振らなかった













でも

子どもたちとは

買い物のたびに

よくペットショップは

覗いていて









そして

だんだんと












うちにペットが来るなら

ペットショップの子ではなく

野良犬か保護犬かもな…

と思い始めた











そして

なぜか

2015年夏に









わたしは

子どもを

産みたくて

たまらなくなった










そうしたら

ひょんなことから

メダカのミシマちゃん

預かることになり










ミシマちゃんは

その後

家族になったのだが










もう彼女との時間が

涙が出るほど

愛おしく楽しく










わたしは

そんなミシマちゃんにも

そんな時間にも

そんな自分にも

衝撃を受けた





















そして

ミシマちゃんが

家族になってすぐ










滅多に写真を撮らない

元夫が

会社にいたという

野良猫の写真を

無言で送ってきた











そして

その子を見た瞬間

涙が止まらず











犬ではなく猫というのや

白猫や黒猫ではなく茶トラというのも

もう予想外すぎたが











すぐに

「ああ、この子はうちに来る子だ…」

とわかった












そして

その子は

うちの子になり

シオンという名前をつけ











その後

ソイとラテ、ココ

野良猫ソイちゃん

野良猫タヌちゃん、クロちゃん

と縁は続いていった





















そしてわたしは
メダカのミシマちゃんや
猫たちを育てながら








いつも
コロちゃんや
ゴンちゃんのことで
胸を痛めていた
自分を責めていた









でも
人生を生きるうちに
ということを知り











人生を俯瞰して
大きな視点でみるように
なっていった























だから
ペットたちのことに関わらず
全てにおいて










例え
この世的にそれが罪で
世の中の人が全て 
わたしを裁いたとしても
そうしようと








わたしは
どんな自分も
一つ一つ、一つ一つ












〝あれで良かった〟
許し、愛するように
なっていった






















そして
ラテの兄弟猫の
ソイを2才で亡くし









ソイのことは
どんなソイも 
苦しいくらいに
愛していたが










でも
大切さを
強く思い知らされ









ああ、
もっともっと愛せた
と思った

















また
ソイの介護は
大変だったが









と思えるほど
大変さより
愛おしさのが勝っていて










だから
無条件に愛せなかった
息子の障害
ゴンちゃんの老後も
ここに繋がっていたのか…
と思った












だから
それらのことや










わたしは
常にどこかに
罪悪感があるような
後悔のある
人生だったことから










今目の前にいる
この子たちを
後悔無く愛する
後悔無い人生を生きる
と強く決めた











だから今
痛いくらいに
苦しいくらいに









猫たちを
三人の子どもたち
自分
愛していて










それでも 
まだまだまだまだ
足らなくて











どんどんどんどん
その愛は
無限に湧き出ていて











今やっと
コロちゃんにも
コロちゃんにも
ゴンちゃんにも
感謝だけになり











〝それで良かった〟
〝それが良かった〟
だけになり











彼らを
思い出すと
自然に笑みが
こぼれるようになった