そして
中学生になったら
室内犬のマルチーズの
ゴンちゃんを家族に迎え
ゴンちゃんは
ペットというより
弟のような存在の
家族の太陽で
ずっと
皆に
大切にされて
わたしの長女が
生まれたときは
11才くらいだったのだが
二人でよく寝ていて
癒しでしかなかった
そして
その後
姉の長女
わたしの次女
姉の次女
わたしの第三子、息子の妊娠と
次々に孫たちが生まれ
賑やかになる一方で
ゴンちゃんは
目が見えなくなり
尿道結石になり
認知症の症状も出て
歳をとっていった
そして両親が
ゴンちゃんをよく
病院に連れて行きながら
介護をしていて
それは本当に
大変だったと思うが
両親は
徘徊したり
不安で鳴くゴンちゃんを
時おり
厳しく叱るときもあり
わたしや姉も
自分の子どもに手がかり
そこまで
手が回らなかったのもあるが
そんな両親やゴンちゃんに
胸を痛めながらも
忙しさを言い訳に
両親を手伝うこともなく
わたしも
ゴンちゃんに
優しくできないことも
あったなと思う
そして最期は
わたしが息子を妊娠中に
ゴンちゃんは
大発作を繰り返し
15才で
苦しんで死んでいった
だから
コロちゃんにも
コロちゃんにも
ゴンちゃんにも
楽しい思い出もたくさんあるが
それより
後悔ばかりだった
罪悪感ばかりだった
だから
今のわたしが
動物たちにとって
善い人なら
当時のわたしは
悪い人だった
だから
娘たちは
小学生くらいから
「犬がほしい」
と何度も言っていて
元夫も
わたしも
犬好きだったが
元夫はどんなペットも最期まで
しっかり責任を持ってお世話する人だった
わたしが
息子のことや余裕が無かったのもあるが
ずっと
安易には飼えないと
首を縦に振らなかった
でも
子どもたちとは
買い物のたびに
よくペットショップは
覗いていて
そして
だんだんと
うちにペットが来るなら
ペットショップの子ではなく
野良犬か保護犬かもな…
と思い始めた
そして
なぜか
2015年夏に
わたしは
子どもを
産みたくて
たまらなくなった
そうしたら
ひょんなことから
メダカのミシマちゃんを
預かることになり
ミシマちゃんは
その後
家族になったのだが
もう彼女との時間が
涙が出るほど
愛おしく楽しく
わたしは
そんなミシマちゃんにも
そんな時間にも
そんな自分にも
衝撃を受けた
そして
ミシマちゃんが
家族になってすぐ
滅多に写真を撮らない
元夫が
会社にいたという
野良猫の写真を
無言で送ってきた
そして
その子を見た瞬間
涙が止まらず
犬ではなく猫というのや
白猫や黒猫ではなく茶トラというのも
もう予想外すぎたが
すぐに
「ああ、この子はうちに来る子だ…」
とわかった
そして
その子は
うちの子になり
シオンという名前をつけ
その後
ソイとラテ、ココ
野良猫ソイちゃん
野良猫タヌちゃん、クロちゃん
と縁は続いていった