初めて
セックスをしたころ
好きなひとと
愛し合う、求め合う
という状態は
好きだったし
楽しかったが
その行為自体には
「思っていたのと違う」
「幸せじゃない」
「楽しくない」
と思った
それはその後
相手が変わっても同じで
心と体が真に満たされないまま
20年以上が経ち
その間には
相手に拒まれるという
何年もの
セックスレスも
体験し
あるときから
わたしは
相手の気持ちなども
大切にしながら
その
自分の違和感や欲求を
少しずつ相手に
伝えるようになった
そして
それと共に
わたしは日常で
今、この瞬間を生きることや
ハートを開くことなど
精神的な解放である
瞑想状態を意識して
生きるようになり
そして
女がセックスで
美しい
エクスタシーや
オーガズムを感じるには
瞑想のように
どこまでも
自我を、思考を手放し
どこまでも
大安心と歓喜の波に
身を任せることが必要だと
思うようになっていった
そして
その行為のあるとき
死を感じた瞬間があった
それは
漆黒の宇宙に
宇宙船から
何も持たずに
放り出されるような
恐怖で
これ以上進むと
「死んでしまう…」
と思ったわたしは
「怖い…」
と泣きじゃくった
だから
それからは
思考やエゴまみれの
当時のわたしは
まだ
大宇宙の中の
小さな砂のような
その
この世に存在していることを
見落としてしまいそうな
頼りない大きさの
大安心と歓喜と純粋さを
その中心に握りしめながら
わたしのペースで
日にちを開けて
時間をかけて
心もからだも準備していった
そして
少しの覚悟と勇気と
ありったけの好奇心と
相手の深い愛に
支えられて
自然に
導かれて
それを迎え入れ
それを越えていったとき
わたしは
この世の全ての空気を
吸い尽くし吐き尽くすくらいの
凄まじく長く深く
もう
息もしていないのではないか
と思うくらいの
死んでいるのではないかと
と思うくらいの
呼吸をし
もはや
静なのか動なのかも
わからないくらいの
もはや
肉体があるのかも
肉体があるのなら
どれが、どこまでが、誰の肉体かも
わからないくらいの
凄まじい
エクスタシー、オーガズムを
体験するようになっていき
ああ、
死を越えるというのは
こういうことか…
と
あんなに恐怖だった
漆黒の宇宙が
うっとりする心地よさに変わり
そこに
生まれたての赤ちゃんのように
何も考えず
大安心で抱かれながら
朦朧とする意識のなか
そう
思った
どんどん
肉体的な行為でありながら
精神的な状態へ
パワフルさから繊細、微細さへ
男性的から女性的へ
動から静へ
と移行していき
それが
そうであるほど
わたしの表現は逆に
激しく狂い
この世のものとは
思えないほど
男性的に動物的になっていき
それは
「思っていたどころではないもの」
「狂うくらいの幸せ」
「このまま死んでもいいくらいの楽しさ」
となっていった
そしてそれは
そのときの相手、自分
行為、状態そのものが
泣くほど純粋に
好きだったのもあるが
そのとき
わたしが
狂ったように
夢中になったように
そのとき
息子の障害や人間関係の問題や
お金の心配など
この世にはびこる
全ての問題から解き放たれ
わたしの深すぎる罪悪感から
一瞬で解放されていたのも
その快楽に
でもあった
そして
それは
わたしは
相手もそうであってほしい
共にそれを味わいたい
と願ったが
結局それは
わたしの場合は
今のところ
わたしだけの体験として
終わり
わたしは
その後何年も
誰ともセックスを
していない
そして
セックスで
涙が出るほどの喜びに
浸っていたあるとき
わたしは
「どうしてひとは、このままでは生きられないのか…」
「この、狂うぐらいの幸せで生きるには、どうすればいいのか…」
と思った
そしてその後
「誰かとではなく、
自分と、統合すればいいのか…」
とハッとしたように
今は
自分との
自分の中の男性性と女性性との
わたしが
子どもの頃からずっと
泣くほど好きだった
神との統合がどんどん当たり前になり