このブログは小さな家に暮らすアラカン主婦の日常を綴ったブログです。

 

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私と夫の再婚物語はこちら。

 

 

今回は私の両親の事について何回かに分けて書きたいと思います。

1回目はこちらです。

 

 

前回は、姉の一言で最悪の事態になることを免れた事を書きました。

 

父親の元を離れ10年以上の月日が流れました。

その間に、父親は住んでいた場所から居なくなり行方知れずになりました。

 

祖父が老衰で亡くなり、その後祖母も肝臓がんで息を引き取りました。

どちらも私達姉妹で看取りました。

 

祖母は、最後まで長男である父親の事を案じていました。

やっぱりどんな子供でも可愛いんですよね。

 

そんな祖母のお通夜の日に突然やってきた父親。

 

きっとどこかで様子を伺っていたのかもしれません。

または、知人から知らされたのかもしれません。

 

顔を見るなり怒りが込み上げてきてきました。

泣きながら父親を詰りました。

 

「最後まで父ちゃんの事を心配して会いたがっていたんだよ!」

「死んでから現れるなんてあんまりだ!」

 

私達姉妹は、父親の言いなりになるしかなかったあの時とは違います。

 

もう二度と会いたくないと思った父親。

でも父親の姉弟や姉は違ったんですよね。

 

その時に姉と連絡先を交換し、その後の新盆や法要などのタイミングでは父親と顔を合わせる事になりました。

 

徐々に歳を取っていく父親に優し言葉をかける事も出来ず、とても愛想の悪い娘だったと思います。

どうしても許す事ができなかったんです。

 

その後、ブログにも書きましたが最初の結婚が破綻しシングルマザーになりました。

離婚した後に父親に会った時に、私が離婚した事を姉が伝えました。

 

すると「ちょっと待っていろ」そう言って席を立った父親。

戻った父親は私にぶっきらぼうに封筒を渡しました。

 

中を見てみると30万円程入っていました。

きっとかき集めてきたんでしょうね。

 

お金はないけれど私への贖罪だったのか?

それとも連れている孫が不憫に思ったのか?

 

言葉が出ませんでした。

 

「お金は要らないよ」

 

そう言うと、姉は

「もらっておきなよ、これからお金もかかるし・・」

 

色々な思いが巡りましたがもらう事にしました。

そのお金は離婚後の生活でかなり助かった事は言うまでもありません。

 

それから更に月日が経ち父親も後期高齢者の仲間入りと言うところで1本の電話が姉の元にありました。

 

次回「蒸発した両親の過去、子供が追う記憶」最終回に続きます。

 

 

 

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