これも決意の一つ | アブエリータの備忘録

アブエリータの備忘録

Yesterday is history,
Tomorrow is a mystery,
Today is a gift.
That's why it is called "present".

 

私は更新レベルの低いブロガーではある。

 

 

10日続けて記事をアップしたのは何年振りかと思って調べてみたら、これまで一回も無くて今回が初めてだった!

 

 

そもそも1ヶ月に10回以上更新する月が1年に何回あるだろう。

 

 

内容たっぷりのブログをマメに更新されているブロガーさんには本当に頭が下がる。

 

 

今月半ば頃に≪ブログを毎日書くぞ!≫と小さい決意をしたのは、実はダンナの暴言からスタートしたものなのだ。その因果関係はあまり納得できるようなものではないのだが…。

 

 

昨年11月に、最近の表現で言うと『心が折れた』という事件以来、ずーっと思いを巡らしていて、決意の記事を続けて書いた。

 

 

未だ納得の行く答えが出たわけではなく、また出るとも思っていないのだが、ブログにぶちまけたことやその後考えたこと、そしてダンナを見る目が変わったことで見えてきたこともあった。

 

 

大きな発見は、ダンナに同じ暴言を吐かせないように日々の生活で自分を抑えていたことだ。

 


ダンナは人一倍よく働く人間で、着るものや持ち物には頓着なく、美食もしない。ただ、自分の欲しいモノや人付き合いには惜しげなくお金を使う。

 

 

2人の幼児を抱えた私を置いて、南の島へ何回もダイビングに行き、オールナイトのスキー場へスキーをしに行っていた。どこからそんな費用を捻出していたのか私は知らない。

 

 

仕事人間になってからはそんな趣味ごとからも遠のいて、趣味や遊び、飲み会などとは無縁のひたすら仕事中心の毎日。

 

 

ダンナの仕事を手伝うこともあったが、私が手伝ってすき間ができた分、そこへ仕事を引き受けるので、何も変わらない。私は体が続かなくなって手伝うのをやめた。そういうことも不満だったようだ。

 

 

そんなダンナから見れば、私は怠け者の浪費家に見えるのだ。

 

 

だから、怠け者に見えないように気を遣っていたし、ダンナから渡される生活費では足りないのがほとんどなのだが、私のやりくりがへたなのだと思って自分の通帳から補填している。

 

 

コロナの給付金は気前よく2人分ともくれたものの、私の通帳に入ることは無くいつの間にか生活費に消えてしまった。

 

 

あまり気づかなかったが、意外にダンナの目を気にしていたことが、今回よーくわかった。

 

 

またギターを弾きたいと思いながら、いつも働いているダンナにギターの音が聞こえたら、また不満に思うだろうと思って控えていたり…。

 

 

無意識に自分を縛っていたものに気付いたので、そこから解放しようと思ったのだ。

 

 

それがなんでブログを毎日更新するという決意に結び付くのか?

 

 

ダンナとの関係だけでなく、日頃の生活でチマチマした気遣いから自分を解き放そうということだ。

 

 

今日は孫たちのためにコーンパンを焼いた左下矢印