以下は3月22日友人たちほかメーリングリストに送信した日記です。
2~3箇所20文字程度訂正しています。原本は21日配信.
数字を確認訂正した上で22日再送。
福島市に住む福島県民です。3月22日です。
あの震災から10日がたちました。長いような短いような10日間でした。
毎日泣きながら過ごした10日間でした。
徐々に明らかになってくる震災の現実と福島県民、東北人の我慢強さと、人々の優しさに。
私は福島市に住んでいるので震度5強と震災被害は比較的軽微でした。
家族は無事。ガスはとまらず、電気は1日で復旧しました。
は復旧が17日までかかったので大変でしたが、
飲料水は会社の同僚から、生活用水は近所の井戸水からもらえたのと、
お風呂の汲み置きの水が使えたので他の人に比べればずっと恵まれていました。
食料は新型インフルエンザと4月からの食料品の値上げに備え、
ある程度買い置きがあったのでそれほど困りませんでした。
困ったのは震災の当日入れる予定だったガソリン。
今私の軽自動車でも残りの走行可能距離は50km。弟の車もほぼ同じ。
父の軽自動車が残り走行可能距離200km。
ガソリン入荷状況を考えれば無駄には出来ません。
私と弟の会社は幸い歩いていける距離ですので、2人でかわりばんこに乗り合わせ、
父の車は必要最低限の移動に使うことにしました。
震災後の週末2日間は電話・携帯がつながらないなか親戚や友人の安否確認、自宅の片づけで終わりました。翌14日からはラジオ福島を聞きながら会社の片付け。
次第に明らかになってくる地震と津波の被害。
悲痛な叫びと助け合いと。
ラジオ福島のベテランパーソナリティくらいではないかと思います。
リスナーからのメールやFAXを読みながら声を詰まらせ、リスナーから泣くな!!!とメールが届くのは。
状況が変わったのは14日原発が水素爆発をして避難指示がでてから。
13日から浜通りから避難しはじめていた人の数が一気に増えました。
15日福島第一原発3号機付近で毎時400ミリシーベルト(40万マイクロシーベルト)の放射線量が観測。
16日の新聞には『超高濃度放射能が拡散』の見出し。
過剰な放射能への不安。
浜通りから避難してきた人は,
スクリーニング(放射線量の測定)をして安全を確認してからでないと避難所にも入れない。
津波や突然の避難指示でとるものもとりあえず逃げてきて、
見知らぬ土地で右往左往し、ガソリンがなくなり身動きもとれず、
スクリーニングの場所を探す浜通りの人のつらさを
身近にいながら何の手助けも出来ずにただラジオで聞くしか出来ないことに情けない思いでいっぱいになりました。
福島県の基準では放射線量が10万cpm(カウント毎分)以上だと、全身除染が必要で、
除染可能な施設に移送される。1万3000cpmから10万cpmの場合は検査をした場所で部分除染を行う。
結果的に19日現在福島県の4万2000人の測定に対し、全身除染が必要とされた人は1人もいませんでした。
67名は部分除染の基準を上回ったため、
手や顔など外気にふれる部分を洗い再測定した結果健康被害なしとなりました。
これも放射能に対する過剰反応の1つです。
19日福島県から避難したということで県外の宿泊施設で宿泊拒否されるという事態になりました。
悔しい思い半分、やっぱりと思う気持ち半分。
私たち中通りの人間が無知により浜通りの人にしたのと同じことが拡大して再現されただけです。
無知と思いやりのなさは人を傷つけます。
本当は浜通りの避難してきた人たちが住んでいた大部分の地域より放射線量は福島市のほうがずっと多く場合によっては20倍以上になっていたのですから。
無知による風評被害・・・。微量の放射線量しか観測されていない南相馬市やいわき市などの避難地域・屋内退避地域に住む人がなぜこんなにも差別されなければならないのか?
いわき市にはまだ充分な物資が届きません。本当に物資がないこともあるでしょう。
でも汚染された地域と誤解されているせいで輸送トラックが入ってこないのです。
いわきの母親が訴える『ガソリンがなく医療機関にいけません。
医療品が入ってきません。子供が40度の熱が出ているのに助けてください!!!』
南相馬市の工場経営者は訴える。
『屋内退避地域で従業員が避難し操業できない、得意先には放射能に汚染された地域で作った製品は要らないと取引を断られた。』
東北道は放射能汚染が怖くて首都圏からのトラックが入ってこない。
白河市のトラックの運転手が福島のテレビに訴える。
『ガソリンがない!!!ガソリンさえあればビビッて入ってこられない首都圏のトラックに代わって俺が運ぶのに!』
福島県は不運でした。どうして屋内待機の30km圏外、原発から50km以上はなれたところにあったにもかかわらず、県都福島市が30km圏外最も高い放射線量を測定し、全国にその数値が配信されてしまったのでしょう!
実際20日現在、福島市の放射線測定値は毎時7.94マイクロシーベルト。
南相馬市は毎時2.52マイクロシーベルト。
いわき市は毎時0.73マイクロシーベルト。
・・・・ちなみに胃がんのX線集団検診は600マイクロシーベルトです。
15日通常時の500倍!!!と全国に配信された福島市の放射線量も20日にはほぼ3分の1に減っています。
少なくとも直ちに健康被害のある数値ではありません。
今後の展開によって予断は許しませんが。
実は福島市が高い数値が出たわけは簡単です。
福島市が原発の北西にあるから。原発から同心円が描かれた地図が新聞に掲載されています。
つい私たちは原爆の際の『死の同心円』を思い出してしまいます。
原爆のときは爆心地から何キロ離れたところで被爆したかが生死を分けました。
でも原爆の時には現在の原発事故とは比較にならない量の放射能が人々の住んでいる真上で撒き散らされました。
現在測定されている放射線量は原発から放出された放射能汚染物質が風に乗って流され雨に含まれて落ちてきたところで検出されています。
今は季節が冬と春の境目のため冬型の気圧配置が強まると北西の風が吹き、原発から放出された放射能汚染物質は南東の海へ流れます。
逆に春の暖かさになれば南東の風が吹きそのとき雨が降れば放射能汚染物質は北西方向に流れます。
原発爆発事故後初めて15日雨が降ったとき南東の風が吹いていたのです。
そのため北西方向60kmの福島市、原発より40km北西にある飯館村で高い放射線量が測定されたのです。
繰り返していいます。この数値は人体の健康にただちに影響を与える数値ではありません。
人体は年間およそ2.4ミリシーベルト(世界平均)の自然放射線に常にさらされています。
原発事故に対処している人たちに対する始めの規定上限は100ミリシーベルト。
(現在は250ミリシーベルトに上限が引き上げられていますが。)このシーベルトという単位は、
マイクロシーベルトの1000倍。
福島市で最高値だった23マイクロシーベルト/h(1時間裸で外気にふれていた場合に被爆する量)は、0.023ミリシーベルトになります。
知らないことは、恐怖を呼び起こします。おそれは人を傷つけます。
恐れている人に伝えてください。怖がらなくていいことで怖がらないように。
福島は宮城・岩手と違って地震・津波の被災だけではありません。
何より原発事故の被災者なのです。
福島市は物資さえせめてガソリンさえ入ってくれば自力復興というより、
浜通りの市町村を助ける立場になれるはずでした。
今はみないつ何時避難指示が出るかとおびえています。残念で悔しい。
浜通りから逃げて来る人たちの話を聞くと心が痛みます。
何より地震・津波で行方不明になった家族や友人を捜索さえ出来ずに強制的に避難しなければならなかった南相馬市、浪江町、大熊町、富岡町、双葉町、楢葉町の人たちのことを考えると涙がどうしても止まらないのです。
昨日9日ぶりに救助された人の報道がありました。うれしい。
けれど捜索も出来ず逃げてきた浜通りの人たちはこの報道をどんな思いで聞くだろう。
浪江町だけでも900名の行方不明者がいたのに。考えるだけでつらい。
無関係の私でもつらい。東京電力のばかやろう!!!
それが福島県民の気持ちです。
県外の人は誤解している人も多いのですが、福島第一原子力発電所、第二原子力発電所で発電される電力は福島県では使われていません。首都圏に送電されます。
福島県で消費するのは東北電力が発電した電力です。
東京電力はこの命にかかわる被害を受けた福島県民に対しお詫びしたのは18日になってから。
しかも『多大なご迷惑をおかけしました。』人の命が懸かっているのにご迷惑はないでしょう!!!
でも首都圏の人たちに恨みがあるわけではもちろんありません。
首都圏の人始め全国の皆さんが被災地の直接力になれないもどかしさと戦いながら、
必死に節電して、募金してくださっているのもよくわかっています。
感謝しています。
ただ今風評被害のせいで物資の輸送が滞っているせいで、助けられる命が助けられない事態になっていることだけはわかって欲しい。
昨日も牛乳から放射線物質が検知されたと大きく報道され全国で健康被害について議論しています。
でも本当は議論する必要なんてないのです。放射線物質が基準値を超えて検知された原乳は地震以来出荷されておらず、今後基準値を下回るまで福島県全域の原乳が出荷停止になりましたから。
どれだけの被害額になるか見当もつきませんが。
でも泣いているだけでは何も出来ません。私に出来ること。一生懸命考えました。
私は消防団で、市役所で昼夜頑張っている友人たちより時間があります。福島の情報を集めて全国に発信することにしました。でもやり方がわかりません。力を貸してください。
19日自宅から5kmほど離れた福島県立北高校に直接電話で確認したところ、浪江町、南相馬市から130名ほど避難しており、下着が足りないそうなので私の住む町内会で家にある新品の下着・靴下の寄付を呼びかけました。
2時間半のという短時間の募集にもかかわらず、町内各家庭より174点・約ダンボール5箱分の下着・靴下等のご協力があり、無事北高校に届けることが出来ました。
浜通りの人たちが気の毒だ。なんとか力になりたい。みんな家中探して持ってきてくれました。
翌20日更に124点・約ダンボール4箱分が集まり、20日午後福島北高校に届けました。
みんな優しいです。福島は頑張っています。負けません。
浪江町、南相馬市から県立北高校に避難されてきた方は津波に遭われた方、原発事故の避難勧告地域の方、屋内待機地域の方とさまざまなようです。
20日お話した人は津波で家は全壊、身一つで避難してきたそうです。
『前にいた避難所は食料も不足しおにぎり1つに水だけ。ふとんもなかったけど、ここは暖かいものが食べられて、布団があるからよかった。服は何日か着ていても我慢できるけど下着は代えが無いとつらいから、下着の差し入れうれしいです。』と言ってもらえました。
避難された方はそれでも20日に伺ったときは、昨日までボランティアに炊き出ししてもらっていたけれど、
今日から自分たちでします。と力強くおっしゃっていました。
高校生・卒業生のボランティアも一生懸命お世話活動していましたよ。
若い力頼もしいです。
福島市は少しずつ物資が入ってきました。
これを浜通りのもっと困っている人たちに届けてあげられたら!ガソリンがないのです。
JR在来線。新幹線。不通です。再開の見込みはありません。
医療・介護従事者でさえガソリンがないために職場に通えないことになっている現状です。
ガソリンの一滴。血の一滴。偽りのない真実です。
首都圏での買いだめの話を泣きながら聞いています。
首都圏でも震災で帰宅難民になって、ガソリンとか食料品とか目の前でどんどんなくなっていって、
原発が大爆発したらどこに逃げようとか不安になって、その上計画停電で。
買いだめしたくなる気持ちもよくわかる。
でもそのせいで被災地の特に災害弱者がいのちを落とす事態になっていることを理解してほしい。
今このときもよく調べもしないで闇雲に怖がっている風評被害のせいで命を落とす人がいることを。
今日テレビを見ていたら、いわき市や南相馬市の窮状についてリポートしてくれていました。
もっと情報ながして!!!
みんな怖がって原発から目を背けないで!
振り返ってその同心円の中に助けを待っている人たちがいることを思い出して!
本当はみんな心の奥底には優しい気持ちを持っていると思います。
ただ怖くて今は本来持つ優しさが隠れている人がいるだけだと信じています。
今日必要なものが明日変わる目まぐるしい状況で今何が出来るだろう。
私も出来ることを考えながら復興に努力するつもりです。
今福島はガソリンがないために営業できないお店、会社がたくさんあります。
一日も早くガソリンが入ってくることを待っています。
商品は少しずつ入ってきましたが、会社への通勤、商品の配達すべてが滞り、
商店街の半分がしまっている状況です。
このままでは自力復興が出来ません。
農業、漁業はこれから激しい風評被害にさらされるでしょう。
もう始まっています。
本社が福島県外にある大手建設会社は福島県から社員を避難させました。
そのため今必要な地震後の建築物の補修が大幅に遅れています。
工場では機械が壊れてメーカーに修理を依頼しても福島県だからと修理に来ることを拒否されたため、
工場再開にめどが立たない。という事態も起きています。
もちろんそんな人ばかりではなく、ぜひ福島の復興に力を貸したい!といってくれる人もいます。
何より力づけられる言葉です。そんな人が1人でも増えること祈っています。
今日今このときも福島原発で消防の人たちが、自衛隊員が、東電関連会社の人が命がけで原発を守っていると思います。本当にありがたく、感謝しています。
世界に発信されるヒーローたちでしょう。
でも私は知っています。津波の被害があったとき必死に避難を呼びかけ、
パトロールしながら津波に巻き込まれた警察官や消防団員たちを。
津波による通行規制するために機材を持って走ったきり帰ってこなかった役場の職員がいたことを。
その話をしながら相馬市長は彼らを亡くしてしまったことが悔やまれると声を詰まらせていました。
私は知っています。世界に発信されなかった本当のヒーローたちがいたことを。
彼らが文字通りいのちと引き換えに守った人たちが、
生きていて本当によかったと思えるようにできるだけのことをしなければならないと思うのです。
2011年3月22日