痛み
痺れ
苦しみ
凝り
治療
無理解
疲れ
ぼんやり
無為
死者
不明
瓦礫
暗闇
障害
錆
鎖
絶壁
水滴
転落
絶望
沈降
溶解
破断
微生物
苛立ち
痛み止め
煮沸
行き止まり
霧
洞窟
帰って来た
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たいせつなのは
手にふれられるひと
ずっと一緒にいられるひと
平凡なひと
怒ったり笑ったりするひと
いっしょにごはんを食べたり
ぐうぐう寝たりするひと
なぐさめてくれたり
蹴とばしてくれたりするひと
不安におもったり
助けをひつようとしたりするひと
…そんなときは
だいすきなチョコレート食べて
手をとらせておくれ
じぶん
仕事をするじぶん,職場にいるじぶん
じぶんではいられない,ことを意識しながら
これが本当のじぶんだなんて,無意識に思ったり
求められるじぶん,合わせてるじぶん
求められないじぶん,あれ,おかしいな
すごいあの人の,まねをしてきたじぶん
他の奴らとは違う,なんてね
イミテーションのじぶんの下に
何も変わってないじぶん
じぶんを守らなきゃ,そう思ってる
守るじぶんって,何だろか?
じぶんが傷つけられた,痛みを感じる
傷つけられたじぶんは,どこから借りてきたのかな?
そのじぶんを,じぶんから剥がして
眺めてみたらどんなきもち?
じぶんのプライド,じぶんの愛情
それはみんなのプライドだし,みんなの愛情
なのかもしれない
もっと楽に,やれたらいいのに
自信がない
じぶんをかぶって,かぶってるの忘れて
ピリピリしながら働いてる
もっと楽に,やれたらいいのにね
しんどい
ちょっとがんばりすぎた
あたま痛い
首凝ってる
キムチ
豚肉
チョコレート
おなか痛い
悪循環
耳鳴り
悪あがき
焼肉焼いて,焦げた網
ゆっくり回復するしかない
温泉行きたい
花と,蝶と,空
夕暮れにビ ール
「THE ROOSTERS a-GOGO」は,1981年6月25日に発売された,The Roostersのセカンドアルバム。オリジナルメンバーの大江慎也(vocal,guiter)・花田裕之(guiter,chorus)・井上富雄(bass,chorus)・池畑潤二(drums)による演奏。
2018年のリマスター版を購入。
ルースターズのセカンドと言えば,「SITTING ON THE FENCE」である。…自分的には。
1981年7月14日,渋谷Eggmanでのライブテイク
https://www.youtube.com/watch?v=5N6vny-_dJQ
3分弱のシンプルな曲。
歌詞は,明るい空の下,フェンスに腰かけて,考えたり,待っていたり,感じたり,想ったり,パズルを解いたりしている…というだけの内容。
アルバム発売時,大江は22歳。
SITTING ON THE FENCE (作詞:大江慎也)
フェンスに 腰かけ
明るい 空の下
考えているところ
これから 何をやろうかな
フェンスに 腰かけ
遠くを ながめて
待っているところ
イカす 悪魔の訪れ
フェンスに 腰かけ
ミルク 飲みながら
感じているところ
おいらの すてきな狂気を
ずいぶん ながいこと
こうして いるみたい
フェンスに 腰かけ
すずしい 顔して
想っているところ
愛する あの娘のことを
フェンスに 腰かけ
むずかしい 顔して
やっているところ
おいらの ジグソーパズル
ずいぶん ながいこと
おいらこうして いるみたい
Yes! I'm sittin' on the fence…
フェンス…こちら側と,あちら側を隔てる壁。大江はフェンスの上に座り,「これから何をやろうか」と,考えている。
遠くを眺めながら,彼が待っているのは,人でも天使でもなく,「悪魔」である。
彼は自らの「狂気」を感じている,ミルクを飲みながら。ミルク…小学校の給食で出た牛乳,お母さんに飲ませてもらったミルク。口の周りにミルクをつけた,少年のような大江がいる。
フェンスの上で,彼は「すずしい顔して」,愛する女性のことを想っている。フェンスから地上に降りたら,「すずしい顔」などしていられないことはアルバムの他の曲を聴けば,分かる。
彼がむずかしい顔でやっているのは,自分自身という「ジグソーパズル」なのだが,「ずいぶん ながいこと」そうしていても,パズルは完成しない。フェンスを降りて,足りないピースを探しに出かけなくてはならない。
なぜなら,もう「私はひとりの大人,あるいは男(I'm a man)」なのだから。
ある気質と才能を与えられた少年が,フェンスの上で遠くを眺めながら,強烈な何かを予感している。しかし,「イカす悪魔」も「すてきな狂気」も,そして「愛するあの娘」も,まだその暗い半面を現していない。だから,空は晴れて「明るい」のだ。
空へ向けて噴き上がって行く大江のギターのように,輝く何かがそこにある。
できることは
「病」を見つけ出し,治したり養生を勧めたりすることではない
(ワタシは医師でも看護師でもない)
「障害」や知識の欠如を見つけ出し,直したり教えたりすることではない
(ワタシは教師ではない)
ダレカの背負った荷物を,軽くしてあげることじゃない
(ワタシはその役目を負った「死」ではない)
ワタシは無力になって,ソコに居る
ダレカの訴えを,解いたり治したりすることはできない
ダレカをソコに,連行したり繋ぎ止めたりすることはできない
ただボーゼンと,ソコに居る
ソノママを見詰めて,ソコに居る
ナニカになりたくなる,ワタシを鎮めてソコに居る
ナニも生じてこない
ナニカがワタシの周りを泳ぎ回る
ダレカがコトバを話している
・・・叫びや,悲しみや,努力や,絶望に,声が与えられるように
・・・ダレカが突き通され,倒れ込み,頭を抱えられるように
・・・訴え,嘆き,怒り,呪えるように
ナンノためにでもなく,お祈りをしながら
結ばれることもなく,愛しながら
冷たい果実を,2人で齧りながら
(2006年3月1日)
ひとがしぬと
日が暮れてきやがった
畜生
ジンが透明に揺れてる
安っぽいコーラで流し込め
何もしたくなんかねぇ
机の上
インクぶちまけて
頭の中
音ぶちまけて
カラダの中
透明な蛇が通り抜け
風の中
安っぽい火薬の臭い
終わりの時は
白いコート揺らして
ダレカそばに居てくれ
ダレモ構わないでくれ
アスファルトと乾いた空気で
歩いたら楽かね
日も暮れてきやがった
畜生
(2006年2月22日)
カウンセラーとして話を聴くとき,こころの中で,カウンセラーは何をしようとしているだろうか?
一般的なカウンセラーのイメージとして,まずは「傾聴する」,じっくり聴くというイメージがあると思う。
これはこれで良いのだが,「傾聴する」というイメージに乗っかって,カウンセラーがただ頷いたり相槌を打ったりしているだけで,内面の動きは空っぽ,ということもあり得る。実際,カウンセラーとして仕事をしている時のことを思い返すと,「形は傾聴,こころは空っぽ」になっていることは,決して少なくないように思う。
カウンセラーとして,「形は傾聴,こころは空っぽ」になっていることには,罪悪感がある。カウンセラーたるもの,こころを動かしながら,相談に来られた方の話を聴きたいと思っているからである。
しかし,この「こころは空っぽ」という状態に過剰に罪悪感を持ってしまい,自分のこころが空っぽであることを認めず,無自覚に何かを感じたり考えたりしているかのように振る舞うことは,望ましくないように思える。
少なくとも,「何も感じないなぁ」とか,「何もアイディアが浮かんでこないなぁ」というくらいには,「こころは空っぽ」の状態であることを自覚しておきたい。
そんな時にも,「形は傾聴」を崩す必要はない。カウンセリングであれ,日常の生活であれ,常に相対している人に愛情を感じたり,興味を抱いたり,こころが動いたりしているわけではない。「傾聴」は,日常生活で気にくわない人にも挨拶をすることや,興味のない話題にもちょっとつき合うことと同じような,カウンセリングをする上での礼儀・マナーなのである。
その上で,「なぜ,私のこころは空っぽなのだろう?」と考え始めることが大切であるように思う。カウンセラーのコンディションの問題,体調不良や強度の疲労や寝不足などが主な要因だろうか?相談に来られた人のキャラクターに関係する要因,興味や共感を引き出すことが下手な,あるいは,そのようなことにあまり関心がない人なのだろうか?カウンセラーとクライエントの相性や関係性の問題,興味の焦点や経験してきたことのミスマッチなどが大きいのだろうか?
上のようなことを考えず,「こころは空っぽ」を否認して,無自覚に親しげな,あるいは共感的な「形は傾聴」をくり返しているだけの状態になった場合,どのようなことが起こるだろうか。
相談に来られた方が,「傾聴」されるという形を強く必要としていて,自分自身で語りながら,いろいろ考えたり感じたりして,自ら問題に整理をつけたり解決の道筋を見つけたりする,ということもあり得ると思う。しかし,当然ながら,そのような「力のあるクライエント」ばかりではない。「傾聴」されていても,自分で何かアイディアを出せるわけでもなく,カウンセラーからも助けになる言葉が出てくるわけでもなく,クライエントのこころに「また話してみたい」という引っかかりを残せなければ,カウンセリングは中断という形で終わるだろう。
ニガミ17才の「町の変態」(「ニガミ17才b」所収)を聴いていて,「不登校の味方」でいたいなぁ,と思った。
学校という場所は,時に「行きたくない魔力」を持ってしまう。
思考力も想像力も,固まって動かなくなったり。
妙ちくりんにに緊張して,いい子になってしまったり。
できないことが,恥ずかしく思えたり。
なんだかやたら疲れたり。
ハイテンションになってしまったり。
カリカリ,やたら主張してしまったり。
あとで頭を抱えたり。
ドギマギして怪しくなったり。
トラウマに鷲掴みされたり。
とにかく,なんでも,そっくり返って拒否したり。
「なぜ行きたくないの?」と聞かれても,脳は止まったまま,言葉なんて出てこない。
スクールカウンセラーは,つい「見立て」なんてして,つい対応 方法なんて,考えてしまったりするけど。つい,先生や学校やお父さんやお母さんの役に立とうなんて,考えてしまうけど。
ほんとうは,「町の変態」として,別に誰かのってわけじゃなく,「不登校の味方」でいたいな,とか,ぼんやりと思う。
「いいのさ,いつだって,歯車は狂いっぱなしだ」。
実行機能(executive function)は,特別支援教育に関する勉強などをしていると,よく目にする言葉。
以前から,「実行」(executive)という訳語が,ピンとこない感じがしていた。
「語源の広場」から引用しつつ,イメージしてみる。
http://gogen-wisdom.hatenablog.com/entry/2017/01/08/180000
executiveは,executeの名詞形・形容詞形。
動詞 execute の語源は,ex 「外に」「最後まで」+ラテン語 sequte 「続く」「ついて行く」。
これは,死刑を執行し,墓場までついて行って埋葬されるのを見届ける,というイメージだそう。
「熟語本位英和中辭典」には,execute の意味として「(死刑を)執行する。(人を)死刑に處する」とある。ここから「(法律,宣告,命令などを)執行する」→「(計畫などを)實行する」と意味が広がっていった,と考えておいてよいだろうか。
形容詞 executive は,「(刑や処分を)執行する」→「(計画を)実行する」→(法律,宣告,命令などを執行する機関である)「行政の」→(法律,宣告,命令などを執行させる主体である)「役員/重役/理事の」→(役員/重役/理事が使うのにふさわしい)「高価で贅沢な」という具合に意味が広がっていった,とイメージしておく。
どうも私は,最後の「高価で贅沢な」というイメージに引っ張られていたように思う。この意味について,「ランダムハウス英和大辞典」には「広告などで乱用されることがある」と注意書きがついている。
function は,「熟語本位英和中辭典」によると「(各機関持前の)働き,作用,官能,機能」となっている。
「exective function」は,特別支援教育の分野では「実行機能」と訳されることが多い。
「脳科学辞典」によると,神経心理学やリハビリテーションの分野では「遂行機能」とも訳される。「前頭葉損傷による高次脳機能障害の説明概念として機能しており,目標設定や,行動の抑制・制御が行えるかといった行為能力に重きが置かれている」。また,中国では「執行機能」という訳語があてられている,とのこと。
https://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E5%AE%9F%E8%A1%8C%E6%A9%9F%E8%83%BD
「例解現代国語辞典 第5版」によると,
「実行」は「計画や理論などを実際に行うこと。実地に行動すること」
「遂行」は「物事を最後までやりとおすこと」
「執行」は「とり行うこと。実際に行うこと。特に,法令,裁判,行政処分などの内容を実際に実現すること」である。
まあ,一般的には「実行」でいいのだろうし,語感的には「遂行」が近いように思えるし,語源的には「執行」のイメージが合うように思う。
ただ,「実行機能」にしても「遂行機能」「執行機能」にしても,用語として,それが指すものをイメージしづらい。
「executive function」は,「エグゼクティブ・ファンクション」のままか,「ものごとを最後まで実行させる働き」くらいの言葉で理解しておけば良いだろう。
加えて,死刑を執り行い,墓場に埋葬されるまで見届けるような,暗い脳内に住んでいる(西洋中世的な)死刑執行人の姿を重ねてイメージしておこう。