スクールカウンセラーとして,先生方と打合せやカンファレンスをしている時,自分が意地になって,クライエントについての理解などを主張していることがある。
 もちろん,良い状態ではない。

 スクールカウンセラーにとって大切なのは,教員やクライエントへ「正解」を示すことではない。そうではなくて,教員や保護者,児童・生徒の話を聴いて,真剣に検討し,カウンセラー自身の見方や意見を改めて行くことのできる力こそが,大切であると思う。

 スクールカウンセラーである自分が意固地になってしまうのは,自分だけに問題があるわけではなく,おそらくその場にいるメンバーとの相互作用によるところが大きい。自分が受け入れられていない,認められていないなどと,傷つきを感じている時ほど意固地になっているように思う。
 固い意見は人を傷つけ,傷つけ合いの悪循環に陥りやすい。

 もちろん,ある程度,確からしい意見や情報を示さなければ,話にならないこともある。しかしその意見や情報は,「プリマ・マテリア」であり,別の視点から異議申し立てをされ,文字通りの事実や真実であることを否定されて,「嘘」でガラクタのように見做され,解体・溶解される。臨床心理士・スクールカウンセラーが提出する意見や情報というのは,そのような運命をたどるものだとイメージしておいて良いのだと思う。

 このプロセスの中で,先生方から,新しい情報や異論・疑問,不安やきめつけ,結論づけようとする意見などが出てくる。この語りを,しっかり聴いて味わうことが大切であるように思う。
 2人で,あるいは数名,10数名で話し合っているうちに,いつの間にか新しいファンタジーが立ち上がってくる。透明な容器の中で「プリマ・マテリア」として解体・溶解された意見が,新しい形で戻ってくる。それは,スクールカウンセラーが提出した意見や情報そのものではなく,誰か特定の先生が表明した意見・情報でもない。
 そんな,恵みのような理解や見通しが,ファンタジーとして生じてきて,スクールカウンセラーを含めた教職員が,児童生徒・保護者などと生き生きと関わるための糧になること。そしてその関わりが,子どもたちが成長して行くための土壌になること。
 スクールカウンセラーが教員たちとケースについて話し合うことの意味を,このようにイメージしておきたい。

 そうすれば,文字通りの「正解」を出すことへの拘りから解放され,優劣を競う知的な討議に入り込むこともないだろう。私たちが行うのは,想像力と祈りの作業に近い。そしてそれは,極めて具体的に児童・生徒と関わり対応することと,矛盾するものではない。