親愛なる先生へ

 

昨日のお手紙で、「このところ、『いつもと違う』という要素が、不足していたかもしれない、とくに、場所的なものが。」ということを書いたのですが……。

 

そりゃ、どっか違う場所へ出かけたら、一時的には気分も変わるだろうけど、真に頭を悩ませている問題がある場合は、たとえ場所を変えたところで、それがしつこくつきまとってきてしまうのでは?

(もっとも、そういうのって、もしかしたら、「趣味が外遊び」と公言してらした先生にとっては、相容れないことなのかもしれなかったりして? )

 

そうそう、振り返ってみれば、幼い頃から、「お前は視野が狭い」と、言われ続けてきたのでしたっけ。

 

人間は誰でも視野が狭くなってしまう時がどうしてもあります。自分では気づきにくいですが、どんな人でも視野が狭くなる時はあるのです。

どういう時に視野が狭くなってしまうのか見ていきましょう。

…(中略)…

人間は誰でも怒っている時は、頭に血がのぼってしまうので心に余裕がなくなります。たとえ普通の状態では視野が広い人も、怒っている時は視野が狭い状態になります。

その他にもネガティブな感情を持っている時は、視野が狭い状態になりがちです。怒っている状態の時は特にそれが顕著に出ます。

 

視野が狭いの意味とは?視野が狭い人の特徴11選と改善方法 | 女性がキラキラ輝くために役立つ情報メディア

 

もしかして、自分が幼い頃から「視野が狭い」と言われていたのは、ズバリ「怒り」をかかえていたりしたからなのかもなあ。
それこそ、2月4日のお手紙の例なんかみてみると、怒りをおぼえない方が不思議だったりするのでは……!?

 

まあ、今日のところは、このあたりで。

 

あなたの一番弟子(でありたい) elaineより

 

親愛なる先生へ

 

昨日のお手紙で、「自分はもしかしたら“十把ひとからげ”に一番イヤな解釈をあてはめて、勝手にイヤな気分になっちゃってるのかも」というようなことを書きました。

 

それって、どういうことなのか? と考えていたところ、「視野が狭くなっている」ということなのかな? と思いついたんです。

そこで調べてみたら、「トンネル・ビジョン」という言葉がありました。

 

 トンネル・ビジョンとは、視野がトンネル化して、中心部分しか見えなくなってしまう現象です。認知の範囲が狭くなり、あたかもトンネルの中から外をのぞいているような認知状態になることから、「トンネル・ビジョン」と呼ばれています。

 例えば、受注や納期のことなど多くのストレスを抱えているときには、自分の仕事のことしか考えられなくなって、同僚のことも、会社のルールも見えなくなってしまうことがあります。また、作業現場では目の前の作業に意識が集中しすぎて、危険を示す周辺情報を見落としてしまうこともあります。

 この現象は、脳の処理容量と関係していると考えられています。
 不安や不満などのストレスが増えると、ストレスの処理のために脳の容量が使われ、残された容量が減少します。そのため、脳は情報処理を軽くしようとして周辺情報の取り込みを制限してしまうのです。

…(中略)…

 
 視野のトンネル化を防ぎ、判断力を保つには、「視野のリフレッシュ」が有効です。

 特別なことは必要なく、いつもと「違うこと」をしたり、いつもと「違う場所」に行ったりすれば、視野はリフレッシュされます。レジャーや趣味、散歩やドライブなど、簡単にできることで十分です。

 視野がリフレッシュされ、新たな視点で物事を見ることができれば、思わぬ解決法やアイデアが見つかることもあるでしょう。視界が広がって判断力も高まってくるはずです。

 

ストレスで起こるトンネル・ビジョンを防ぐ--[ストレスケア・コム]

 

そういわれてみれば、このところ、「いつもと『違う』」という要素が、不足していたかもしれないな。(とくに、場所的なもの? )

 

さて、今日はこのへんで。

 

あなたの一番弟子(でありたい) elaineより

 

親愛なる先生へ

 

なんか、今ごろになって、ひらめいたのだけれど……。

 

わたしって、このところ多用している「周り」のことを、“十把ひとからげ”にして扱いすぎてますよね!?

 

例えば、昨日のお手紙の中で、

「『周り』が『楽しんでる場合じゃない! 』などと圧力をかけてくる」

などと書いてたのだけれど。

実際には、そうしてくる人もいるだろうけど、そうしてくる人ばかりとは限らないわけであって。決して決めつけられるもんではないのでは?

だいたい、同じひとりの人であっても、時と場合によって、気分がかわってくるであろうから、寛容なときも不寛容なときもあるんじゃないのかな。

 

それだっていうのに……。

いったいどうして、わたしったら、「周り」のことを、そんなふうに、よせばいいのにわざわざ一番イヤな解釈をあてはめて、勝手にイヤな気分になっちゃうんだろう?

 

もしかして、そうすることによって、予防線を張ってるのかなあ?

あらかじめ、イヤな目にあうことを想定しておいて、むやみに傷つくことのないように?

 

ともあれ、今日のところは、このへんで。

 

あなたの一番弟子(でありたい) elaineより

 

親愛なる先生へ

 

昨日のお手紙の中で、「想定外を楽しむ」ことについて触れた記事を紹介しました。

 

ところが、改めて考えてみると。

自分って、そもそも、この「楽しむ」というのがニガテなんですよね。

 

そりゃ、自分としては、楽しみたいのはやまやまなんだけど。

「周り」が「楽しんでる場合じゃない! 」などと圧力をかけてくる……ように思えてならなくって。
「楽しんだりなんてしてないで、まずやるべきことをやれ」と。

 

だけど、「やるべきこと」って、やってもやっても、つぎからつぎへと湧いてきて、終わりがないじゃないですか。

だから、どうしても、自分が楽しめることって、いつも優先順位がものすごく低くなっちゃう。

結果、毎日、ほとんど楽しめていなかったりする……。


そういうことがあるからこそ、「周りが敵」と感じてしまうのかもしれないなあ。

 

さて、今日のところはこうして問題提起するにとどめて、つづきはまたにすることにしますね。

 

あなたの一番弟子(でありたい) elaineより

 

親愛なる先生へ

 

昨日のお手紙の最後の方で、堂々巡り状態ではなく新たな段階にいきたい、というようなことを書きました。

 

新たな段階、というのは、例えば……
もう堂々巡りを脱している状態、だな。
それこそ、何度も出てきている「周りが敵」ということがらで言うのであれば、もう堂々巡りから脱しているのであれば、それこそ「周りが味方」ってことになっていたりするのだ、とか。

 

考えてみれば、なんで「周り」を「敵」視しちゃうのか? といえば、「周り」は想定外のことばかり引き起こすから、なのかもな。

 

だけど、つぎの記事なんかを読めばわかるけれど、「想定外」ということにも、大いにメリットがあるんですよね。

 

想定外を楽しむ技術 | DHBR編集長ブログ|DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー

 

それでは、今日はこのへんで。

 

あなたの一番弟子(でありたい) elaineより