親愛なる先生へ

 

ちょっとこのへんで、このところのお手紙を、ざっくりと振り返ってみることにします。

 

まず思い当たるのが、「自分で自分を否定していて、それがどうにも苦しくてやってられない」(2月15日のお手紙)、というもの。

 

だからこそ、「5つの質問に答える」というの(2月16日のお手紙)を、やろうと思ったわけで。

 

そしたら、そもそもソレ(「5つの質問に答える」というの)、やらない方がいいことだってあるんじゃないのか(2月17日のお手紙)、などという話になってきて。

 

その背景として主に考えられるのが(2月19日のお手紙)
・ 周りが敵
・ 親に甘える行為は親への働きかけであり、自分の場合は、それがスムーズにいかなかったのではないか

 

……はい、ものの見事に、同じような内容をぐるぐる、すなわち堂々巡り。(やっぱり? )
なんとか、新たな段階にいきたいところなんですがねー。

 

あなたの一番弟子(でありたい) elaineより

 

親愛なる先生へ

 

昨日のお手紙では、自分なりの分析として、「泣き寝入り」「どう思われるか気にする」「泣かずにいやな気持ちをひきずっているよう命令されていた」というようなことを書きました。

 

これらを、ざっと見渡してみると、共通して根底に横たわっているものの存在が感じ取れる気がします。
それは、2月9日のお手紙にも書いた、「周りが敵」という思い込みです。

 

それと同様に、2月7日のお手紙にも書いた、「甘えられる相手がいなかった」という要素も、からんでいるのではないかな、と思って。
じつは最近、つぎの言葉をみつけて、『その通り! だからこそ自分はずっと、うまくいってなかったんじゃないのか? 』と、深く頷いているところだったりするのです。

 

子どもが親に甘える行為は親への働きかけなので、それがスムーズだと学齢期には先生や仲間への働きかけ、やがて社会に出て労働力の提供と、うまく段階を踏めるようになると思うのです。 親に甘えるのを、逆に甘えだワガママだとあしらわれた人は奉仕の感覚が欠落しちゃうのでしょうね。

 

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さて、この続きは、また次回以降に。

 

あなたの一番弟子(でありたい) elaineより

 

親愛なる先生へ

 

昨日のお手紙で、「少し時間をとって考えてみよう」と思った問題。

ちょっと、まだよくわからなかったりするのですが、とりあえず、途中経過を記しますね。

 

まず思ったのは、『自分って、泣き寝入り体質、ってことなのかなー? 』ということ。

昨日のお手紙に書いた出来事も、結局、相手に指摘することなく、終わらせちゃったんですから。『もしかしたら、自分に非があったのかもしれない……。』ってだけで。

こんなんだと、『自分さえ我慢すれば、事は丸くおさまるはず。』ってことになり、自分ばかりがストレスためることになりますよね。良くない兆候かも!?

 

それと、『こんな些細なことに目くじらたてていては、小人物と思われる。』って心理もあったかも。これって、世間体を気にしちゃってるってことですよね。

 

あと、ちょっと別の点について、気づいたこと。

昨日のお手紙では、「いやなことがあったという感情があるからこそ、覚えていられる」というようなことを書いたと思うのですが、じつはコレ、幼少時にさんざん親などから言われてきたことだったのではないか? ということ。

つまり、「いやなことがあったとき、すぐ泣いてしまうと、涙と一緒にいやな気持ちも流れていって、忘れてしまう。だから、次からは気を付けて失敗しないようにするためには、泣いてはいけない。」と。

これって、果たして本当にそういいきれるのかな? と、思えてきているのですが。

 

ともあれ、今日のところは、このくらいで。

 

あなたの一番弟子(でありたい) elaineより

 

親愛なる先生へ

 

昨日のお手紙で紹介した、「5つの質問に答える」というやり方。
少しやってみたところ、さっそく(?)疑問点が生じてきてしまったので、そのことについて書いてみようと思います。
……あ、言っておきますがコレ、単なる「いちゃもんつけ」じゃないですよ、たぶん。前向きな議論の一環? というような位置づけのつもり。

 

その疑問点というのは、「そもそも感情を手放さない方がいいことだってあるんじゃないのか」ということです。
ほら、例えば何かいやなことがあったりしたとき、こんなふうに思うことがあるじゃないですか。『今回起きてしまったことは仕方がないけど、次からは気を付けよう。』って。
で、ここでもし「いやなことがあった」という感情を「手放して」しまった場合、はたして「次からは気を付け」る、ということが可能なのか? と考えた次第。

 

いえね、今日、実際にそういうことがあったんですよ。まあ些細なことではあるのですが。
くわしいことは、しょーもないことなので伏せますが、要は「話が違う→だまされた! 」と感じることがあったんです。
それについての、こちら側としての認識は、「相手が間違えた→相手が悪い」なんですよ、もちろん。
だけど、よく考えてみたら、こちらが確実に間違えてないとは断言できないんですよね。こちらにだって非はあったのではないか? とも思えてきちゃう。
だから、次に同じような状況が発生した場合、こちらの言い分が正当だということを確実に主張できるように、前もってしっかり確認しておかないと! と思ったわけなのです。
とはいえ、そうやって「前もってしっかり確認」って、けっこうたいへんですよね? よっぽど心して覚えておかないと、ついうっかりしちゃいますよね?
そのための「いやなことがあったという感情」なんじゃないのか……と思ったりするのですが。

 

まあ、次回のお手紙までに、少し時間をとって考えてみようと思います。

 

あなたの一番弟子(でありたい) elaineより

 

親愛なる先生へ

 

昨日のお手紙で、

「自分で自分を否定していて、それがどうにも苦しくてやってられないから、ついつい対象・相手を、おとしめてしまう」

のかもしれない……ということを書きました。

 

コレ、一刻も早く、なんとかしないといけないですよね。一朝一夕にはいくわけないだろうけど。

 

そこで、もしかしたらこういうの、ヒントになるかも? というものを、ネットで見つけてきました。

 

やり方はカンタン!心がザワついたら、5つの質問に答えるだけ

・【質問1】気になっている目の前の現実がありますね?今、そのことをどう感じていますか?

・【質問2】その感情を喜んで迎え入れてください。さぁ、その感情を喜んで迎え入れることを認めますか?

・【質問3】その感情を手放すことはできますか?一瞬で答えて!

・【質問4】そうするつもりですか?

・【質問5】いつですか?

 

抵抗をはずす方法【ボブドイル・もう悩まない!引き寄せの法則】|ザ・シークレット出演者、登場人物たちの本を読んで役立てるブログ

 

まぁ、まずは試しに、やってみることにしようと思います。

 

では、今日のところは、これにて。

 

あなたの一番弟子(でありたい) elaineより