親愛なる先生へ

 

昨日のお手紙の中に、「いちゃもんつける」という言葉がでてきたのですが、これについて、少し考えてみたところ、気づいたことがあります。

 

それは、もしかして、この「いちゃもんつける」という言葉って、2月12日のお手紙の中で紹介した、

毒親育ちが人間関係を克服する方法 | ふわふわふわふわ

という記事の中で取り上げられている、「批判」ということなのではないか? ということ。

 

「批判」っていっても、当初はそんなのするつもりは全然ないんですよね。だって、昨日のお手紙の中の内容でいうと、

「『ネットなどで見つけた言葉や考え方に、助けられることが多い』ので、そういうのを書き留めておきたい。」

と考えてのことなのだから。つまり、結構高く評価してのことなのだから。

 

それなのに、どーしても、無意識で、やらざるを得なくなっちゃってるんですよ。その「批判」≒「いちゃもんつけ」ってやつを。

 

それって、要するに、自分で自分を否定していて、それがどうにも苦しくてやってられないから、ついつい対象・相手を、おとしめてしまう、ということだったりするのかなぁ。

 

では、今日はこのあたりで。

 

あなたの一番弟子(でありたい) elaineより

 

親愛なる先生へ

 

どうやら、2月8日などのお手紙に書いていた、“せっかち症(?)”が、再発してしまってますよねー(汗)

 

そもそも、初心というか、このブログをはじめた最初の方に考えていた方向性としては……。

 

「ネットなどで見つけた言葉や考え方に、助けられることが多い」ので、そういうのを書き留めておきたい。

 

……っていうのだったはず。(11月29日の記事、ね。)

 

じゃあ、なんでそれ、うまくいってないのか、というと。

な~んか、ただ「書き留めて」おくだけでは飽きたらなくて、なにか付け加えなきゃ、って思っちゃって。

それが、なんていうか、「いちゃもんつける」みたいなかたちになってる気がしてきて、あまり気分が良くなくなってきたから、なんじゃないのかな。

(それ以前に、わたし、自分のことを書くということからして、あまり気分が良くなかったりする。)

 

なんだか、ちょっとまだ、どうすればいいのか悩み中、て感じですね~(汗)

 

あなたの一番弟子(でありたい) elaineより

 

親愛なる先生へ

 

なんか、このところ、今までうまくいかなかった理由みたいなものばかり、時間をさかのぼって着目してた気がします。

 

そろそろ、そういうことばかりしていても、気が滅入りこそすれ、前へは進めないんじゃないかという気がしてきたのだけど……。

 

とにかく、今までが、あまりに不適切なかかわりかたばかりされてきたなー、っていう感じなので、それをまたガラッとなおすとなると、ただでさえ否定しまくっていたのを、さらに全否定するということになって、手元に残るものはなにひとつなくなってしまうのではないかしら?

 

そういうふうになるのを防ぐには、少しずつ、改善していく、というのが、ポイントになるのかなー、と思うのだけど、具体的には、どうしたらいいのでしょうねー?

 

あなたの一番弟子(でありたい) elaineより

 

親愛なる先生へ

 

昨日のお手紙では、またもや、「先生に見て取れた『透明感』(1月23日のお手紙の)って、もしかして、『自己欺瞞』が『ない』、ということなのだったりして? 」などと、「持ち上げる」ようなことを書いてしまいましたね。

 

あ、ちなみに、「そんなの、ほんとかどうかわかったもんじゃないでしょ!? 」なんていうツッコミは、無しってことで。なにしろ、2月6日のお手紙に書いたとおり、先生に関することは、「史実を基にしたフィクション」なんだと考えることにするのだから。

 

話を戻して……
この「『自己欺瞞』が『ない』状態」というのは、もしかすると、こう言い表せるのかな? と思えるような文章が、ネットにあったので、引用しますね。

 

健全な人は、自分の汚い部分(社会通念で認められないような部分)も自分で肯定しているので、心が平穏です。すると、毎日機嫌がいいため、結局周りの人を幸福にします。元気に「おはよう!」と言えるし、人にイライラをぶつけることもないわけです。そして、何より自己肯定力により批判しなくて済み、いい人と思われやすいのです。

 

「あの人は、全然人のことを悪く言ったりしないし、いつも明るくて素敵な人だ」と思われやすいということです。(実は違うんですけれどね。でも、こういった健全な方たちは、実際、復讐などに気を取られることもないと思います。つまり、本当に安全な人であることは間違いないのです。)

 

自分で自分の感情を認めて、感情に折り合いがついているのであれば、決してとんでもない行為にも出ません。容易に我慢出来ます。話すことも明るいことばかりで楽しい人です。結局周りの人にとって、付き合いやすい人なわけです。

 

毒親育ちが人間関係を克服する方法 | ふわふわふわふわ

 

ところで、この引用元のページ全体や、このページを含むカテゴリーである

毒親 | ふわふわふわふわ

に載っている他のいろいろな記事って、すごく頷けたり、考えさせられたりするところがあるんですよね。

 

とはいえ、今日のところは、このあたりにしておきます。

 

あなたの一番弟子(でありたい) elaineより

 

親愛なる先生へ

 

昨日のお手紙に書いた、「ボーッとしてしまう」状態って、自分の記憶だと、小学二年生くらいまで続いてた気がします。

 

小学二年生の終わりくらいになって、ようやく、勉強の仕方が少しだけわかってきたような気がしてきて、その頃からは、「ボーッとしてしまう」のにとってかわって、「向上心」(2月はじめくらいのお手紙で何度も書いてたけど) が、自分を守ってくれるようになった、って感じなのかもしれないな。

 

そうはいっても……。なんていうか、“動機が不純”っていうか。
つまり、「向上心」≒「いい子でい(さえす)れば」イヤな・ヤバいことにはならないだろう、ていうような、打算みえみえのふるまいであって。
そんなんじゃ、真の「向上」なんてしない、ってもんですよね。

 

こうしてみてみると、一連の悩みの元凶(?)のようなものは、早い話が、「自己欺瞞」とも言い換えられるのかもしれないです。
そして、そもそもこの「自己欺瞞」って、すでに親がやってたんじゃないかと。
お見合い結婚の相手の勤め先が、旧財閥系企業、ってだけで、もう一生安泰、ひともうらやむような幸せな人生のはずなんだ、などと、自分に言い聞かせてたふしがある。

だけど、はたからみたら、それほど仲良さそうな両親じゃなかったんだけど。

 

……今ちょっとひらめいたんだけど、先生に見て取れた「透明感」(1月23日のお手紙の)って、もしかして、「自己欺瞞」が「ない」、ということなのだったりして?

 

ともあれ、今日はこのへんで。

 

あなたの一番弟子(でありたい) elaineより