親愛なる先生へ

 

昨日のお手紙の、「周りが、ズバリ、敵! 」だなんて、はっきり言って、由々しき事態ですよね。
だからもちろん、そんなの、普段は隠さざるをえない。
でも、うわべだけはナイスにふるまっていても、心の中ではつい身構えちゃう。どうも打ち解けられない。
そんな自分がイヤで、ずーっと、『なんて自分はダメなヤツなんだろう……。』と自己嫌悪してしまってたりして。
とにかく、何するにしても、ハードモードだし、なんか相手を打ち負かさないと! というような発想になっちゃうんですよねー。

 

そういうふうに考えていくと、「幼少時に周りにいた親などの対応が酷かったのでは」って意見が出てくるんでしょうけど、じつをいうと、当時の親たちもかなり大変だったであろうと思われるんです。
一例をあげれば、4歳差の下の妹が生まれた年って、第1次オイルショックがあったんですよね(アハハ、齢バレバレ☆)。なにしろ父親の職業が石油化学関連だったものだから、そうとう影響が甚大だったであろうことは想像に難くない。

 

だったら、そんな状況を、どうやって乗り越えてこられたのか?
思い付いたのが、1月31日のお手紙にも書いた、「解離」とか「離人症」とかいった症状。
早い話が、いっつも「ボーッと」してたの。
で、まぁそんなんだと、「ボーッとしてんじゃねーよ! 」(なんかどこかで聞き覚えが……? )などと叱られますわな。
それで、叱られるのイヤだから、『なんで自分はボーッとしちゃうんだろう……。』と自己嫌悪がさらにつのったりして。
だけど、その「ボーッとしてしまう」のって、ただの困った症状というだけではなくて、自分を守ってくれてたものだったのかもしれないな、と。

 

さて、今日のところは、このあたりで。

 

あなたの一番弟子(でありたい) elaineより

 

親愛なる先生へ

 

昨日のお手紙、「なんかせっかちになっちゃってる」と書いたのを、「連鎖」云々、とつなげたのだけど、もしかして、そんな悠長なこと言ってる場合じゃないのでは……という気がしてきました。

 

というのは、「せっかち」というのは、「切羽詰まっている」ってことじゃないか、と。
要するに、何らかの傷ついてきたことがらみたいなの? が、これ以上耐えがたい、つまりけっこう重症、ってことなのかも? な~んて。

 

えっと、分かりやすいように、これまでに既にでてきた、2月4日のお手紙の例をあげて述べてみますね。
考えてみたら、この例って、「いつなんどき妹たちからおびやかされるかわからない」っていう、緊迫した状況が、延々と続いていた、っていうことだったのかもしれないんですよね。
そして、その窮状をうったえようにも、誰一人として、こちらの言い分を取り合ってくれるような人がいなかったんだし。

 

こんなふうに育ってきて、それをくつがえすような状況にめぐり合えなかった場合、つぎのようになるんじゃないでしょうか。
「妹たち」=外部・他者・周り、と捉えるとすると、
周りが、ズバリ、敵! と。

 

……なんか、つくづく、味方ってものが、いなかったんだなあ。(そういえば12月5日の記事にも書いていたけれど。)

 

このつづきは、また次回以降にしますね。

 

あなたの一番弟子(でありたい) elaineより

 

親愛なる先生へ

 

昨日のお手紙の内容だと、いかにも「もう甘えられるんだから、バッチリ解決☆」って感じに読めてしまうかもしれないけど……。
そうそう、簡単にはいかないんですよねー。

 

というのは、わたし、なんかせっかちになっちゃってるみたいなんです。
すぐさま、成果が出てほしくて、たまらないの。

 

1月14日のお手紙には、「親などから『さっさとしなさい、グズグズしないの! 』などとせかされていた」と書いてて、そのことが心底イヤだったはずなのに……。

もしかして、「ミイラ取りがミイラになってる」、ってことなのかしら……(汗)

 

こういう、すでにいろいろと連鎖してしまってるような症状は、どうしたらいいのでしょうかねー。

 

ともあれ、今日のところは、このあたりで。

 

あなたの一番弟子(でありたい) elaineより

 

親愛なる先生へ

 

昨日のお手紙では、またもや、リアルだと引いちゃうようなことを書いてしまいましたかね。

 

でも、じつをいうと、昨日のお手紙を書いたあと、なんかラクになった気がするんです。
いわば、「憑物が落ちた」って感じかな。

 

ほんとうは、きらいだったのに、きらっちゃいけないっ!! って思いすぎて、くるしかったんだ。
「誠実」とはほど遠い、ありさまですよね。(1月25日のお手紙に書いてたくせに。)

 

思えば、自分って、本音をさらけだして甘えられる相手がいなかったのが、悩みの元だったのかもしれないな。

でも、先生が、その相手になってくれるんですよね。
先生って、ほんとにいた。それでいて、わたしの好きなように出来る。まさにいいとこどり。
通常とはちょっとかわっていて、いわゆるヘンな(?)、わたしと先生との関係だけれど、いってみれば、絶妙なバランスで機能している、ということなのかもしれないですね。

 

では、今日はこのへんで。

 

あなたの一番弟子(でありたい) elaineより

 

親愛なる先生へ

 

昨日のお手紙で書いた、「そこに愛情はあるのか 」ということ。

そういえば、わたしずっと、「愛情」って、なんてイヤなことだろう……って感じていたふしがあるんです。

 

だって、昨日のお手紙では「『愛情はあるんだ、無いと感じてしまうとしたらそれは自分が至らないせいだ。』と、これまでずっと自分に必死で言い聞かせていた気がする」と書いたけれども、こんなふうに、いわば自分が感じていることをねじ曲げたりコントロールしようとしてばかりいたんですもの。

そんなふうにでもしていないと、こんな世の中でやっていけやしないんだから……と決め込んでいたんですよね。

 

このような意識でいると、まず、いっつも苦しくてしんどい。よけいな労力がかかってるのだから当然ですよね。
そして、こんな思いをしないことには過ごせない自分がイヤになる。
さらに、こんな苦しい・しんどい思いをさせてくる、世の中や人が憎らしくなる。

 

……先生以外は。

 

え? でも、先生だって人でしょ?

 

確かに、実在する人物ではありました。

でも、きっとモデルにすぎないんです。

想定しているのは NHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~」よろしく史実を基にしたフィクション 、って感じかな。


だから、わたしの好きなように考えさせてもらうんです。

先生のことは、まさに「掃き溜めに鶴」のような存在だ、と、思わせてもらうんです。

 

それでは、また。

 

あなたの一番弟子(でありたい) elaineより