親愛なる先生へ

 

きっと、もうお察しでしょうが……。
昨日のお手紙中の引用文に出てくる「その存在」には、先生、あなたになってもらおうと思っているのです。

 

昨日のお手紙中の引用文の論調のままだと、「その存在」って、なんか神々しすぎて具体的な実感がわかないんだもの。

 

もっとも、リアルな先生が、そのような理想的な状態でないってことは、百も承知のつもりだけど。

 

もしかしたら、わたしって、ほんとの親のかわりに、いわば“仮想親権者”みたいなものを、求めている、ってことなのかな? (まあ、とっくのとうに、親権者が必要な年齢は脱しちゃってはいるのだけどネ☆)

いわば、つぎの引用文に似通った感じで……。

 

子どもが信頼を寄せる相手、たとえば独身の担任教師や、親友の家族、塾の先生、少年サッカーチームのコーチなど、子どもが自分の身近にいる大人が誰でも親権者になれて、彼らの元へいつでも身を寄せられる権利を法的に保証してほしいのです。

 

■「子ども虐待はもうイヤ」と胸を痛めてるなら… | 今一生のブログ


……だけど、先生って、「もう会えない」っていうのにね!?

いやいや、そうだからこそ、のメリットがあるんですよ。
でも、それについては、また次回以降に。

 

あなたの一番弟子(でありたい) elaineより

 

親愛なる先生へ

 

昨日のお手紙で、「考えていること」を書くという予告をしたので、一応、まとまらないながらも……。

 

このところのお手紙によって、みてきたところ、2月9日のお手紙に書いた、「周りが敵」という思い込みって、ほんと、無理もないことだったんだなあ、と思えます。

 

とはいえ、たとえ、周りが敵ばかりにみえたとしても、ごく少数でいいから、確実に味方という存在がありさえすれば、だいぶラクになるのかもしれないでしょうけど。
(通常、ていうか、本来なら、それは親にあたる人物なんですよね。)

 

で、思いついたのは、以下のような方法が、ヒントになるかもな、ということ。

 

まず、自分の上に、天井くらいでも空の上でも構わないので、とにかく自分の上に「神様的」な存在を想定します。それは神様そのものでもいいですし、天使様でもいいですし、もう一人の自分でもいいです。とにかく、自分の良心を体現したような存在を想定するのです。「その存在」は客観的にすべてを見渡すことが出来、完全なる良心をもって評価してくれる存在です。そして、慈愛に満ちています。まずは「その存在」を想定してください。
そして、「その存在」にあなたを肯定してもらいます。
「その存在」はあなたのことを優しく肯定してくれます。あなたの良い面を正当に評価して指摘してくれます。「その存在」はあなたの悪い部分を許してくれます。「その存在」はあなたにしょうがなかったね、と言ってくれます。「その存在」はあなたによく頑張ったね、と言ってくれます。
一日一回でもいいので、「その存在」を出現させてください。できれば、多ければ多い程望ましいです。
あなたの心がすーっとラクになっていきます。

 

誰かに肯定してもらえる人は幸せです! | 森陽のハピリプコーチング

 

では、今日のところはこれにて。

 

あなたの一番弟子(でありたい) elaineより

 

親愛なる先生へ

 

昨日のお手紙で、「迎合」ということに触れたのですが、これ、異なる表現の仕方で書かれた文だったら、以前から目にしていたんですよね。

例えば、こういうの。

 

親が心理的に病んでいる時の子育ては、親の心の葛藤を晴らすための子育て。こういう親に育てられた子は周囲の人を全て敵と感じる。症状は恐怖と孤独。人が怖いから会話は取り繕って相手に合わす会話。つまり全て嘘。本心からの会話をしたことなければ、人と親しくなれるわけがない。孤独になる。

 

自分探しイズム2さんのツイート

 

このツイート、読んだ当初は、『ここまで言うのって、ちょっと大げさでは? 』って気がしなくもなかったんだけど。

でも、3月3日のお手紙や、昨日のお手紙をはじめとした、これまでのお手紙を書いた後の今となっては、なんか頷ける感じがしてきました。

 

あと、やっぱり異なる切り口で書かれた文(ツイート)に、こんなのもあるんですよね。

 

神経症になってしまったということは、愛という名の憎悪、温かさという言葉の冷たさ、思いやりという名の敵意の中で育ったということではなかろうか。父親でも母親でも、誰でもいいから他人を理解する能力を持っていたら、あなたは救われていたかも知れない。

 

自分を癒し心を育て直すメソッド(bot)さんのツイート

 

これらを読んで、考えていることがあるのですが、それについては、また次回以降に書きますね。

 

あなたの一番弟子(でありたい) elaineより

 

親愛なる先生へ

 

昨日のお手紙の中で引用したページの中に、「迎合」という言葉が出てきたんです。
最初は、『なんか馴染みのない言葉だなー。』と思いながら読み進めていったのですが、そのうち、自分にとても当てはまっているような気がしてきちゃったんですよ。

 

以下に引用するのは、昨日のお手紙の中で引用したページと同じサイト内の別ページに、書いてあった文章です。

 

その行動の『動機』は、相手と対立しないためではないのか?
相手にすり寄るためではないのか?
もしそう感じるのであれば、それは『迎合』なのです。
そしてそれこそが、虐待の後遺症なのです。
徹底的に相手との対立を予防し、回避するのです。
なぜなら、対立せずにすむ状態を確保しつづけることによって、自分の、
『身の安全』
が守られるからです。


迎合してしまう - 虐待の後遺症

 

えーっと、思い返せばわたし、1月26日のお手紙の中で、
「誰かと話すのは、あたりさわりのない、どーでもいいことだけ。
もう既にみんなが知っているような、手垢のつきまくったジョーシキ的な話題だけ。」
って書いたんですよね。
で、もしかしたらソレ、この「迎合」のなせるわざだったりするのかも? ……なんて思えてきてしまって。
なんかちょっと、愕然としていたりします。

 

さて、この続きは、また次回以降に。

 

あなたの一番弟子(でありたい) elaineより

 

親愛なる先生へ

 

昨日のお手紙にて疑問を呈した「おこがましさ」については、ちょっとまだなかなか納得いかないところがあるので、ここで少し時間をさかのぼりまして……。

 

2月28日のお手紙などで出てきた文についてですが、「自分だって我慢しているのだからお前も我慢しろ 心理」で、ちょっと検索してみたんです。

 

そしたら、出てきたのが、以下に引用する文を含むページ。

 

たとえば、まだ幼い子供が、何か親の気に入らないことをしてしまったとき。
親から、
「もうご飯つくってあげないからね」
と突き放されたり、
「お前なんてうちの子じゃない。出ていけ!」
と怒鳴られる。
また、
「そんなに私のことが嫌いなら出ていきます。」
と荷物をまとめるふりをされる。
急にヒステリーを起こされて、
「いい加減にしてよ!私だってこんなに頑張ってんじゃない!」
と物を投げられたり、わめき散らされる。
なかなか言うことを聞かないと、低くドスのきいた声で
「ごぉ~、よぉ~ん、さぁ~ん…」
とカウントダウンをされる。
このような親の行動に共通して言えることは、子供に対して親が脅迫しているということです。
少し過激な言葉に聞こえるかもしれませんが、それが事実です。
自分の方が生活力があり、体力もあるのをいいことに、子供を脅すことで、無理やり言うことを聞かせようとしているわけです。
親も人間ですから、このような行動はどこの家でもよく見かけることではあるでしょう。
しかし、これが頻繁におこなわれており、子供に言うことを聞かせる基本パターンになっていたのだとすれば問題です。
それは、親から子供への脅迫が、日常になっていたということだからです。
このような状態で言うことを聞いた子どもは、もちろん心から納得をして親の言うことを聞いたわけではありません。
あくまでも、親の脅しに恐怖し、屈服しただけです。
恐怖を終わらせるために、親に迎合をしたのです。
つまり、親からの脅迫が日常になっていた家庭では、
子供は、自分の意志よりも、迎合することで問題を解決するという癖が自然とついてしまうのです。
そしてそのことが、知らずしらずのうちに後遺症となり、学校での人間関係や、のちの社会生活で苦労していくことになるのです。

 

ネチネチとくり返す長い説教 - 虐待の後遺症

 

なんかちょっと、びっくりしちゃいましたよ。

主に、ふたつの点で。

 

まずひとつ目。ここに出てくる例と、まさにおんなじようなこと、日常的にされてたんです、わたし。
(そりゃ、細かいところに違いはありますけどね。)

 

もうひとつの驚いた点は、こういうのが「脅迫」「脅し」に該当するの!? ということです。

そんなこと、考えたこともなかった。

ていうか、そういうふうだったのって、普通、っていうか、よくあることなんじゃない? って思ってたんですけど……。

 

ともあれ、今日のところは、このあたりで。

 

あなたの一番弟子(でありたい) elaineより