親愛なる先生へ

 

近頃のお手紙の内容に関連して、注目しているツイッターのアカウントがあります。

それは、

親子の役割逆転

というもの。

きっと、わたしはコレにあてはまっているんだろうなあ、というふうに、思えてならないのです。

もっとも、確証はないのですが。

 

中でも、印象強いツイートは、このようなものです。

 

アドラーの主張によると、人は小さい頃から、愛情を得るために攻撃的な態度を見せる。それが直接的に表現されたり、隠されたりする。
「親子の役割逆転」をする親は恩着せがましい親が多い。それは子供への攻撃性を間接的に表現しているからである。

 

1:48 - 2018年12月30日

 

子供に恩を着せようとする親は、子供に自分を「愚か」と思い込ませたいのである。 恩を着せられる側は、自分を無価値で愚かな人間だと思わなければならない。

 

5:49 - 2018年12月30日

 

恩を着せられるということは、人に迷惑をかけながらでないと自分は生きていけない人間だと思い込まされることである。 常に自分は人に迷惑をかけていると思わなければならない。 自分が「今、ここにいる」こと自体が相手にとって迷惑なのである。

 

 

さて、これらについて、わたしが思っていることなどは、また次回以降に、ということで。

 

あなたの一番弟子(でありたい) elaineより

 

親愛なる先生へ

 

このところ、お手紙の中で「赤ちゃん」という言葉を多用しちゃってますよね。

 

考えてみたら、それもそのはず。
なにしろ自分は、人と比べて「赤ちゃん」でいられた時期が短かったのかもしれないのだから。
2歳そこそこで妹が生まれたりしたもんで。
まあ、それだけならどうってことないのかもしれないですけど。
3月1日のお手紙に書いたとおり、親が「マオ・レゾルビーダ(未解決の人間)」だった恐れがあったものだから。

 

つまり、自分は、本来ならば、もっと屈託なくいられて然るべきだったのではないか? という気がしてきているのです。

 

ということは、あの頃の境遇や、周りにどういう人がいたか、というのが、凄く重大な意味を持っている、ってことなのかもしれないな、と。

 

そういうわけで、せめて、「あの頃、周りにいたのが先生みたいな人だったのなら」と、思えてならなくて。
だからこそ、先生のことを持ち出させてもらうことが、わたしにとっては凄く重要なんだなあ……という思いをかみしめているところなのです。

 

それでは、今日はこれにて。

 

あなたの一番弟子(でありたい) elaineより

 

親愛なる先生へ

 

昨日のお手紙の中で引用した方法(セラピー)をやる上での、キーポイントとして、

3月8日のお手紙の「赤ちゃんみたい」なのって、かなり重要なんじゃないかな、という気がします。

つまり、あたかも「赤ちゃん」みたいに、どんな「わがまま」を言ってもいい、というスタンスでいるように、と。

 

例えばですね。(といっても結構抽象的かも、だけど。)

誰かがお金をかけて何かしてくれたとします。
だけど、じつはそのことによって、結構疲れたりとか、余計な時間や手間や労力がかかったりとかして、結果的にあまり嬉しくなくなってしまった。

 

そういうときに、つい大人としては、『せっかく〇〇してくれたんだから、迷惑がったりなんてしちゃいけない』と思いがちですよね。

 

でも、「赤ちゃん」だったら、そんな相手の都合なんて知ったこっちゃないでしょ?

ただひたすら、自分の気持ちや感覚などのみにもとづいて、泣いたり笑ったりする。

 

むろん、そんな身勝手な自分の気持ちや感覚などは、明るみに出したりするわけにはいかない、ましてやその相手にぶつけるなんてもってのほか。

 

でも、心の底でだけでも、そういうのがある、ってことを、シンプルに認めておくと、モヤモヤが生まれることなく元気でいられるんじゃないかな、って思うのです。

 

それでは、また。

 

あなたの一番弟子(でありたい) elaineより

 

親愛なる先生へ

 

昨日のお手紙、たとえもう二度と会うことはない相手に対してなんだ、とわかっていても、やっぱり書くの凄く恥ずかしかったんですよねー。

 

それでも、あえて書いたのは、「『チョー恥ずかしい』のに『したくてたまらない』」ことというのは、とっても重要なんだ、という認識があるから。

 

つまり、例えばですが、こういう説が、あるからなんですね。

 

大人になってからでいいから、
工夫して、
子供時代のやり直しを、しようよ。

今からでも、十分できるよ!


私は、そう考えます。


但し、ひとつだけ、コツがあって、
子供時代の気持ちを、ちゃんと掘り起こして、
その、過去のネガティブな気持ちも、感じること。
それをしないで、フタしたまま、

子供時代のやり直しだけ、
大人になって、繰り返していても、


そうです。
大人になりきれない人になるだけです。


かといって、
大人になったフリだけしていても、
やっぱり、大人になりきれないのは同じ。
未解決の課題を、持ったままになります。


だから、解決の道は、一つしかないの。


(1)子供時代に経験できなかったことを、
工夫して経験すること。

 

そして、
同時に、

 

(2)その頃の気持ちを、ちゃんと開いて感じること。

 

この(1)と(2)を両方やること。
これが、大事なことなんです。


そして、これこそが、
いくらでも、過去のやり直しができるという、
希望のあるセラピー、なんですね。

 

女と男の「心のヘルス」-癒しの心理学 [まぐまぐ!] 638号 2014.3.25

 

要するに、わたしが重点を置きたいのは、この

「(2)その頃の気持ちを、ちゃんと開いて感じること。」

に該当することなのかなー、なんて思ったりしているわけなんです。

 

では、今日はこのへんで。

 

あなたの一番弟子(でありたい) elaineより

 

親愛なる先生へ

 

昨日のお手紙の最後の方に、「『もう会えない』からこそ、のメリットがある」と書きました。

 

それはなにか?

ズバリ、「リアルに会えるとなると、チョー恥ずかしいこと」を、したくてたまらないから、です。

 

例えばなんですけど、赤ちゃんみたいに泣きたいときが、あったりするんです。
(むろん、いつもそうってわけじゃないですヨ。だいたい、実際の赤ちゃんだって、必要な場合にしか泣かないじゃないですか。)

 

だけど、そんなの、リアルだと、ぜっっっったいに、ゆるされるワケない。

 

だからこそ、「もう会えない」という状況は、とっても有難いんです。

どんなに恥ずかしいことであっても、そうしているつもりになれるから。

 

ではでは。

 

あなたの一番弟子(でありたい) elaineより