昨日のお手紙で、「愛情は、超能力じゃない。ごく当たり前にあって、扱える。」なんて書いたのですが、わたしのこれまでは、そういうような状況とは全くかけ離れたものだったんですよね。
いえ、なにも「愛情」に限ったことではなくて。
他のあらゆることに対して言えることです。
さて、今日のところは、このへんで。
あなたの一番弟子(でありたい) elaineより
さて、今日のところは、このへんで。
あなたの一番弟子(でありたい) elaineより
親愛なる先生へ
昨日のお手紙に書いてあること、よく考えたら、そうとうヘンですよね!?
だって、「人の気持ちをぴったり当てられないなんて、なんて冷たい愛情に乏しい奴だ」と、なじるなんて!
超能力者にでもなれ、と言うの? って感じ。
だけど、どうやら小さい時の自分は、そう信じちゃってたっぽいんですよねえ。
『愛情があれば、人の気持ちがわかるはずなんだ』、って。
で、『人の気持ちがわからない自分は、愛情が無いダメなヤツなんだ』、と。
今でも、心のどこかで、そのことを否定できないでいるんです。
もしかして、自分が、人づきあいや、おしゃべりが苦手だったのは、そのことが影響しているのだったりして!?
その点、先生は、正反対なんですよね。(あくまでわたしにとっての印象ですが。)
まあ、「人間関係が得意だ」なんて表現してしまうのは、なんかうぬぼれてるっぽくてあまり感じ良くないので、「人間関係を楽しんでいる」という表現にしておくのがいいのでしょうけど。
そういうふうになれる秘訣を、知りたいなあ、と思うのです。
それでは、今日はこれで。
親愛なる先生へ
昨日のお手紙で、「境界線・透明バリア」のことを取り上げたのですが、そのことに関連して、思い出したことがあります。
それは、2月6日のお手紙にて、「『愛情』って、なんてイヤなことだろう……って感じていた」と書いたこと。
もしかしたら、そう感じていた理由のひとつとして、この「境界線・透明バリア」という観点を含めると、合点がいくんじゃないか? とひらめいたのです。
つまりですね。
例えば、自分独自のことだというのに、相手に、「こうこうこうでしょ。」と、勝手に決めつけられるわけですよ(そしてそれは完全に的外れ)。
そうして、つぎはその相手に、「今度は、自分(※ その相手自身のこと)の気持ちを察しろ。」などと迫られる。で、それをぴったりと当てない限り、「お前はなんて冷たい愛情に乏しい奴だ」と、なじられるわけ。
思うに、こういうのって、愛情と境界越えとの区別がついてなかった、ってことになりはしないでしょうかね?
親愛なる先生へ
昨日のお手紙で、プライバシーについて触れたのですが、それに関連した、
すぐ近くに知らない人の顔があったら、イヤなかんじがするように、自分のまわりには、勝手に人に入ってこられない個人的な空間があります。
自分と相手の人との、目には見えない境界線。 見えない透明バリア。この透明バリアで、安心や安全が守られています。(英語では boundary バウンダリーといいます。)空間のほかにも、持ち物、時間、からだや性、気持ちや考え方…。 いろいろな境界線があります。
透明バリアが守られないことがあります。自分でも気づかないうちに、相手のバリアをこえてしまっていることもあります。
子ども同士でもおきるし、大人と子どもの間でも起きます(残念だけど…大人が子どものバリアを守れないこともある!)。
親子、恋人、友人など、いろんな身近な関係の中で、透明バリアが守られないことがあります。境界線・透明バリアは、自分も相手も大切にするためのツールです。
境界線ってなに?...自分も相手も守る透明バリア - 子ども情報ステーションby ぷるすあるは
こういうことって、わたし、
あなたの一番弟子(でありたい) elaineより