親愛なる先生へ

昨日のお手紙で、「愛情は、超能力じゃない。ごく当たり前にあって、扱える。」なんて書いたのですが、わたしのこれまでは、そういうような状況とは全くかけ離れたものだったんですよね。

いえ、なにも「愛情」に限ったことではなくて。
他のあらゆることに対して言えることです。

つまりですね。
「周りの人々にはたやすく出来ることがらなのに、自分にとってはするのがとても難しい」というものだらけだったんですよ。

もっとも、この「周りの人々」が、自分より年上だったら、全然問題ないんですよ。だって当たり前だものね。
自分の場合は、周りにいたのが年下だったのが、困ったところだったのかも。
だって、「『するのが難しい』なんてこと言ってられない、なんとしてでも出来るようにならないと! 」って、めちゃめちゃ焦るわけでしょ。
その結果、とてつもなく消耗してしまったんじゃないか……と、思う次第なんですよね。

さて、今日のところは、このへんで。

 

あなたの一番弟子(でありたい) elaineより


親愛なる先生へ

そういえば、3月24日のお手紙で書いた、「愛情と境界越えとの区別がついてなかったのか? 」、っていう疑問に対する、答えがまだでしたね。

はい、ズバリ、区別ついてなかった、ってことです。

それどころか、昨日のお手紙によると、恐ろしいことに、愛情がいわば超能力のことみたいになっちゃってたりして……!?

だけど、断じて、愛情は超能力なんかじゃないはず、ですよね?
超能力者しか愛情深くなれない、なんていうのは、どう考えても実態に即してやしないもの。

愛情は、超能力じゃない。ごく当たり前にあって、扱える。
こういうスタンスで、いこうと思います。

ではでは。
 
あなたの一番弟子(でありたい) elaineより

親愛なる先生へ

 

昨日のお手紙に書いてあること、よく考えたら、そうとうヘンですよね!?

だって、「人の気持ちをぴったり当てられないなんて、なんて冷たい愛情に乏しい奴だ」と、なじるなんて!

超能力者にでもなれ、と言うの? って感じ。

 

だけど、どうやら小さい時の自分は、そう信じちゃってたっぽいんですよねえ。

『愛情があれば、人の気持ちがわかるはずなんだ』、って。

で、『人の気持ちがわからない自分は、愛情が無いダメなヤツなんだ』、と。

今でも、心のどこかで、そのことを否定できないでいるんです。

 

もしかして、自分が、人づきあいや、おしゃべりが苦手だったのは、そのことが影響しているのだったりして!?

 

その点、先生は、正反対なんですよね。(あくまでわたしにとっての印象ですが。)

まあ、「人間関係が得意だ」なんて表現してしまうのは、なんかうぬぼれてるっぽくてあまり感じ良くないので、「人間関係を楽しんでいる」という表現にしておくのがいいのでしょうけど。

そういうふうになれる秘訣を、知りたいなあ、と思うのです。

 

それでは、今日はこれで。

 
あなたの一番弟子(でありたい) elaineより
 

親愛なる先生へ

 

昨日のお手紙で、「境界線・透明バリア」のことを取り上げたのですが、そのことに関連して、思い出したことがあります。

 

それは、2月6日のお手紙にて、「『愛情』って、なんてイヤなことだろう……って感じていた」と書いたこと。

もしかしたら、そう感じていた理由のひとつとして、この「境界線・透明バリア」という観点を含めると、合点がいくんじゃないか? とひらめいたのです。

 

つまりですね。

例えば、自分独自のことだというのに、相手に、「こうこうこうでしょ。」と、勝手に決めつけられるわけですよ(そしてそれは完全に的外れ)。

そうして、つぎはその相手に、「今度は、自分(※ その相手自身のこと)の気持ちを察しろ。」などと迫られる。で、それをぴったりと当てない限り、「お前はなんて冷たい愛情に乏しい奴だ」と、なじられるわけ。

 

思うに、こういうのって、愛情と境界越えとの区別がついてなかった、ってことになりはしないでしょうかね?

 

次回のお手紙までに、ちょっと考えてみることにしようと思います。
 
あなたの一番弟子(でありたい) elaineより
 

親愛なる先生へ


昨日のお手紙で、プライバシーについて触れたのですが、それに関連した、重要と思われる文章をネットで見つけたので、以下引用しますね。

 

すぐ近くに知らない人の顔があったら、イヤなかんじがするように、自分のまわりには、勝手に人に入ってこられない個人的な空間があります。
 自分と相手の人との、目には見えない境界線。 見えない透明バリア。この透明バリアで、安心や安全が守られています。(英語では boundary バウンダリーといいます。)

 空間のほかにも、持ち物、時間、からだや性、気持ちや考え方…。 いろいろな境界線があります。
 透明バリアが守られないことがあります。自分でも気づかないうちに、相手のバリアをこえてしまっていることもあります。
 子ども同士でもおきるし、大人と子どもの間でも起きます(残念だけど…大人が子どものバリアを守れないこともある!)。
 親子、恋人、友人など、いろんな身近な関係の中で、透明バリアが守られないことがあります。

 境界線・透明バリアは、自分も相手も大切にするためのツールです。

 

境界線ってなに?...自分も相手も守る透明バリア - 子ども情報ステーションby ぷるすあるは

 

こういうことって、わたし、確かにあまり大切にしていなかったかも!?

なので、今後は意識するようにしていこうと思います。

ではでは。


あなたの一番弟子(でありたい) elaineより