親愛なる先生へ

昨日のお手紙にて、投げかけた疑問。
「なぜ『自分はダメじゃない』と、どうしても反論できないように、なっちゃってたのか? 」

答えにつながりそうな、いくつかの要因は、なんだかこれまでのお手紙の中に見受けられそうです。

まず、3月14日のお手紙にあった、「自分では、ひとからどう見えるのかが、さっぱりわかんない」ということ。

それと、5月23日のお手紙に書いた、こういうようなこと。
「妹たちの幼稚さに手を焼いていた→自分の至らなさも、同様に誰かに迷惑をかけているにちがいない。」

さて、これらについて、思いをめぐらしていたところ、ちょっと驚くような仮説を発見したんです。
これについては、また次回以降に書くことにしますね。

あなたの一番弟子(でありたい) elaineより

親愛なる先生へ

昨日のお手紙に、「恩着せがましくされていた、ってことなんだろう」って書きましたが、そんな大したことされてなかったはずなんですよね。

思うに、こちらのダメさを強調してたんですよ。
で、ダメな奴の面倒をみるのが、いかに大変か、ということで、恩着せがましくする、と。

でも、ここで、「なぜ『自分はダメじゃない』と反論しなかったのか? 」って思いますよね。
これが、どうしても反論できないように、なっちゃってたんですよ。

とはいえ、この続きは、また次回以降に。

あなたの一番弟子(でありたい) elaineより

親愛なる先生へ

昨日のお手紙に、「『感謝』に対するアンビバレントな思いがあるのを、どうしたらいいか? 」と書きました。

で、考えたんですが、やっぱり、ちょっとでもマイナスな思いを認識しちゃってるのを、ガン無視して、ムリヤリ感謝とかしたって、ズバリ逆効果ですよね。

で、昨日のお手紙に書いた、感じてしまう「恩着せがましさのようなもの」のこと。
主観的にすぎないと言われてしまえばそれまでですが、やっぱり、そう感じてしまうということは、そうだった(つまり、恩着せがましくされていた)、ってことなんだろうなあ、と。

ではでは。

あなたの一番弟子(でありたい) elaineより

親愛なる先生へ

このところのお手紙の中によくでてくる、「感謝」という言葉。
じつはわたし、この言葉に、いわゆるアンビバレントな思いを抱いているんですよね。

そもそも、先生、よく「感謝」の大切さについて、おっしゃってたじゃないですか。だからわたしも、見習いたいという気持ちは強いんです。
だけど、その一方で、すごく恩着せがましさのようなものも感じてしまって、どうにもモヤモヤしてしまうんです。だから、素直に実践する気になれない……。

では、一体どうしたらいいか? 
これについては、また次回以降に。

あなたの一番弟子(でありたい) elaineより

親愛なる先生へ


昨日のお手紙の続きです。

……えーっと、これから書くことは、パッと思い付いたようなことで、ほんとにそうなのかという検証とかされてないのですが。

昨日のお手紙での引用文に、「もらっているので、自ずと感謝の気持ちが湧きあがってくる」とありますでしょ。
もしかして、自分はずっと、この真逆だったのかもなー、と思い付いたのです。

つまり、例えば何か良いこと知って実践しようとしたとしても、いつもなーんか腑に落ちてなかったり、ついいちゃもんつけてしまったりしてたのは、きちんと受け取るべきものを受け取りきってなかったからだったのかも? と。
そりゃ、受け取ってもないのに感謝なんてできっこない、ってんですよ。

さて、今日はこのへんで。

あなたの一番弟子(でありたい) elaineより